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ヴィガノ・テープ【質問15】【質問16】:「達成できない楽園」「キリスト教を取り消そうとする地獄の計画」

達成できない楽園
【質問番号15】
大司教様、私たちが理解したいと思うのは、啓蒙主義について私たちがこれまで教えられてきたことを大司教様が非難なさっている規模です。フランス革命の栄光と善、自由、平等、友愛について、学校や社会全体が教えてきたことと、どうしてそんなに違った見方ができるのでしょうか? このテーマを深く掘り下げて、大司教様の立場をよりよく理解できるような情報を提供していただけないでしょうか?

【ヴィガノ大司教回答】天主から来ていないあらゆるものと同じように、啓蒙主義思想もまた、ペルソナ的で超越的な天主という客観的現実と矛盾する内在論に基づいて、達成不可能な地上の楽園、人間のユートピアを約束しますから、嘘偽りです。啓蒙主義の原理はキメラ、すなわち、奇怪な偽物です。メーソンの自由とは、放埓(ほうらつ)のことであり、メーソンの友愛とは、天主に対する陰謀家間の協定であり、メーソンの平等とはみじめな平板化した個人であり、社会的・宗教的秩序の放棄です。また、平等を喧伝している人々がメーソンのロッジに所属することを、何も知らない大衆に対して道徳的に優位な立場に立つための特権の条件と考えていることも重要です。

「キリスト教を取り消そうとする地獄の計画」
【質問番号16】
フランスにおける革命、フランス革命は、ヨーロッパの社会的、政治的構造に非常に大きな変化をもたらしました。フランス革命は、君主制を終わらせ、民主主義国家をもたらしました。私たちは過去200年間、その革命を受け継いできました。今、私たちは、民主主義や個々の国家という考えから、単一の統一されたグローバルな国家という考えへと導く、最後の大革命という転換期にいるように見えます。この現在の見通しについてコメントしていただけますか?

【ヴィガノ大司教回答】近代国家は、主キリストの王権を取り消そうとするメーソン・セクトの政治的、社会的、宗教的な陰謀から生まれたもので、主キリストの主権が、最初はフランス革命によって世俗社会から取り消され、次に第二バチカン公会議によって教会から取り消されました。民主主義や人民主権という概念は、人々を欺くものであるだけでなく、反カトリック的、反キリスト的な文脈から生まれたものです。それは、公共的問題に対する天主の権力の代理者を表すものとしての"主権者たる王の権力"に対立する明らかな反テーゼから生まれたものです。

キリスト教の秩序においては、主権者【王】はこの世の問題でキリストの代わりに存在し、主権者の権威は、自然法、天主の法、主権者が規定しなければならない実定法の範囲内に限られています。「bonum commune」(共通善)の概念は、自然法と啓示された真理に不可分に結びついており、そのようなものとして、いつでもどこでも適用されます。

一方、近代国家では、何が善であるかを大衆が決定しますが、それは、少なくとも見かけ上の数的多数に基づいて行うか、あるいは、今日起こっているように、メディアと経済的支配者の共犯のおかげでイデオロギー的に自らの考えを押し付ける、より組織化された少数派というパラドックスの中で行うのです。

キリスト教を取り消す地獄の計画は、過去2世紀半の間に起こったように、カトリック君主制の破壊を行わないわけにはいきませんでした。カトリックの道徳に従って市民の生活を規制する不変の原則の不在の中で、フリーメーソンは全世代を堕落させ、自由に関する誤った概念を教え込み、その名の下に人間を天主のご意志による秩序(位階階級は神聖な秩序です)に反抗させ、主キリストが成し遂げられた贖罪に背を向けさせてきました。信教の自由は、悲惨なる報道の自由、意見の自由とともに、人間は自分が選んだどんな信条やイデオロギーを受け入れることも道徳的に自由であり、その選択は自分の不滅の霊魂の永遠の運命や社会全体の運命に何の影響も及ぼさない、という考えを植え付けるのに役立ったのです。

これらは、何世紀にもわたる洗脳の後では、現代人のメンタリティーにとっては理解しがたい概念であり、とりわけ第二バチカン公会議がこれらの概念を支持し、断罪すべきものを否定して、これらの考えが教会から価値あるものとされたのは明らかです。

この意味で、新世界秩序は、最初は小さなサークルに権力が委譲され、その後、反キリストをトップとする専制政治へと変化していく、シナルキー(数名の共同統治)、単一政府として組織化されると考えることができます。サタンは、君主制が統治にどれほど効果的であるかをよく知っていることを忘れてはなりません。彼が受け入れないのは、統治者がイエズス・キリストであり、その代理者によって統治されることです。なぜなら、ここにおいてもサタンが天主の御子の座を奪おうとしているからです。


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