「教皇のカナダ訪問について」(2022年8月1日)
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洗礼を受けて神秘体の生ける肢体となった者として、祈って、償いをしましょう。カナダの殉教者たちの取り次ぎを請い求めましょう。
2022年8月1日
ヴィガノ大司教「教皇のカナダ訪問について」
カルロ・マリア・ヴィガノ
REDDE RATIONEM VILLICATIONIS TUÆ,
JAM ENIM NON POTERIS VILLICARE
会計の報告を出せ、
もうおまえを支配人にしておくわけにはいかぬ
「私の妻は、誰が自分をカトリックに改宗させたのかと聞かれると、いつも『悪魔』と答える」――G・K・チェスタトン
サタンが、「嘘つき」と「告発する者」の二重の意味を持つ、「διάβολος」(ディアボロス)と呼ばれるのは、偶然ではありません。サタンが嘘をつく理由は、サタンが真理、すなわち天主の本質そのものを憎んでいるからです。サタンが嘘をつく理由は、もし真実を語れば、自分自身の欺瞞を明らかにしてしまうからです。サタンが嘘をつく理由は、嘘をつくことによってのみ、私たちの兄弟を告発する者、「昼も夜も天主の前に彼らを告発する者」(黙示録12章10節)になることもできるからです。そして、ご托身の御言葉のご聖櫃である至聖なる童貞が「われらの代願者」(Advocata nostra)であるように、サタンは私たちを告発する者であり、義人に対する偽りの証言をするよう【人を】突き動かす者なのです。
革命とは、地獄の混沌(chaos)を打ち立てるために天主の秩序(kosmos)を転覆させることですが、キリストの教会と、何世紀にもわたり教会によって霊感を与えられ導かれてきたキリスト教社会を貶める論拠を持っていないため、中傷および現実を操作することに頼っています。「キャンセル文化」とは、「天主の国」を裁判にかけようとする試み以外の何物でもありません。これは、証拠もなく「天主の国」(Civitas Dei)を非難して、いわゆる自由、平等、博愛を代わりのものとする「悪魔の国」(civitas diaboli)を押し付けるためになされるのです。これを行うために、誰にも明らかなことですが、大衆が真実についての知識を持つことを妨げるのです。それは、その欺瞞が無知と悪意に基づいているためです。
この前提は、教会の最高権威から由来する代理者としての権力を、世界の前で教会を中傷し告発する――最高法院(サンヘドリン)とピラトの前で行われたキリストの裁判のグロテスクなパロディのように――ために横取りした者【フランシスコ】の行動の重大さを理解するために必要なものです。このときも、世俗の権威【ピラト】は私たちの主に対する偽りの告発に耳を傾け、主の無実を認めながらも、大司祭と律法学士によって扇動された民衆を喜ばせるために、主を鞭打ちにし、茨の冠をおしかぶせ、その後、主を死に追いやり、最も屈辱的な拷問をもって主を十字架につけたのです。こうして、最高法院のメンバーは、ユダヤ総督がその世俗の権威を濫用したように、その霊的な権威を濫用したのです。
同じ茶番劇が歴史上、何千何万回と繰り返されてきました。なぜなら、キリストとその神秘体である教会に対するあらゆる嘘の背後には、あらゆる根拠のない告発の背後には、嘘つきであり、告発する者である悪魔が隠れているからです。そして、いかなる合理的な疑いをも超えて明らかなのは、この悪魔の行動が、カナダで先住民に対して犯したとされているカトリック教会の罪に対するベルゴリオの背信の「mea culpa」(わが過ち=謝罪)から、ベルゴリオが異教の典礼や死者を呼び出す地獄の儀式に参加することまで、ここ数日マスコミで報道された出来事が起こるよう突き動かしていることです。
イエズス会宣教師の「過ち」については、「コリスポンデンツァ・ロマーナ」(Corrispondenza Romana)(こちら)が、カナダの殉教者たちがイロコイ・インディアンの手によって受けた残虐行為を列挙し、徹底的に答えてくれていると私は思います。同じことが、先住民を文明化し、この国をキリスト教文化に同化させるのを促進するために、国がカトリック教会と英国国教会に委託した「インディアン居住区学校」に関する告発とされるものにも当てはまります。
このように、「聖母献身宣教会(オブレート会)は、先住民をその起源から引き離す統合を主張した政府や英国国教会とは異なり、カナダのインディアンの伝統的な言語や生活様式の唯一の擁護者だった」ことが分かります。また、2008年に「真実和解委員会」(Commission de vérité et réconciliation)が扱わなければならなかった先住民の「文化的大虐殺」とされるものが、クラウス・シュワブの弟子でグローバリズムとダボス・アジェンダの悪名高い推進者であるジャスティン・トルドー首相が支持した、完全に偽りのメディア・キャンペーンのせいで、真実あるいは可能性があるという根拠もなく、「肉体的大虐殺」に変容させられたことを私たちは知っています。
しかし、もし真実が専門家たちや党派性のない歴史家たちによって公式に認められたとしても、それにもかかわらず、嘘のカルトは止められないプロセスを続け、トルドーによって要求され、直ちにベルゴリオによって自分のものとされた教会トップの公式謝罪で最高潮に達したのです。ベルゴリオは、自分がそれに値しない代表を務める組織をもう一度辱めたくてたまらなかったのです。
トルドーとベルゴリオは、公式の物語(ナラティブ)に耽溺し、自分たちの主人らを喜ばせようとするあまり、何百人もの子どもが密かに埋葬されたとされる幻の集団墓地に関する証拠が全く存在しないことを、取るに足らないささいなことと考えているのです。このことは、以下のことを証明するのに十分です。つまり、彼らに悪意があること、そして告発と「mea culpa」が見栄であること、また、その理由は、マスコミが即決裁判で人民の敵の首を要求しているものの、冤罪で訴えられた無実の人々を復帰させないように注意しているからだということです。
この汚いメディア作戦の目的は、あまりにも明白です。つまり、国家と位階階級自身の両者による現在の迫害を正当化するために、カトリック教会の過去が最悪の残虐行為で有罪であったと貶めることなのです。なぜなら、「あの教会」、つまりすべての民族に福音を告げ知らせ、異教の野蛮に熱中していた部族によって宣教師が殉教するのを許した「不寛容で」「硬直した」カトリック教会は、もはや存在を許されず、「改宗させ」てはならず――改宗させることは、「荘厳なナンセンス」「エキュメニズムに対する非常に深刻な罪」【フランシスコによる表現】――、教会は霊魂の救いのために諸国民に教えるあらゆる真理を持っていると主張してはならない、とされているのです。また、ベルゴリオは、観念して彼の後を追って背教の深淵に行こうとはせず、使徒継承のミサで天主を讃美したいと思う多くの信者を容赦なく迫害するという段階に至るまで、「あの教会」の教理や道徳、典礼を嫌っているように、自分は「あの教会」とは何の関係もないことを、私たちに知ってほしいと思っているのです。
ホルヘ・マリオがカトリック的であるとは誰も思っていません。彼の表情、しぐさ、動作のすべてが、少しでも私たちの主を思い起こさせるものに対する苛立ちを示しており、今や彼の不信心および冒涜的な不敬という証明によって、その苛立ちは不要なものとなっています。シャーマン【霊媒師】が行う死者を呼び出す悪魔の儀式を、彼が平然と見ているのを見れば、バチカン大聖堂で地獄のパチャママを偶像崇拝し、それによって使徒のかしらの埋葬地の真上を冒涜したというスキャンダルを、さらに信じられないほど悪化させているのが分かります。
存在しない「宣教師の罪」の赦しを請うことは、新世界秩序(New World Order)に服従するという卑劣で冒涜的な行為であり、完全に同じことが、彼の寵臣による真の虐待被害者に対して、ベルゴリオが責任を負う共犯的沈黙とスキャンダラスな【寵臣の】保護にも見られます。中国やアフリカ、南極の氷山で彼が赦しを請うのを私たちが聞くことはあるかもしれませんが、アルゼンチンで行われた虐待や犯罪、マカリックとその共犯者によるラベンダー・マフィア、彼が協力者として昇進させた人々といった恐ろしいものに対して、彼が「mea culpa」を宣言するのを聞くことは決してないでしょう。
彼が有名人によるワクチン・キャンペーン支持者になったことについて、信頼できる謝罪の言葉を私たちが聞くことは決してないでしょう。このワクチンは、今日、恐ろしい数の突然死と副作用の原因であることが分かっているのですが。彼はこれらの罪について決して胸を打つ【悔い改める】ことはないでしょう。実際、彼はそれを誇りとしており、誠実に悔い改めるしぐさをしても、彼と同様に罪深い主要な支持者たちから評価されないであろうことを知っているのです。
ですから、私たちは今、嘘つき、告発する者の前に立っているのです。私たちは、昨日や今日の良き聖職者や信者に対する冷酷な迫害者、キリストと教会の敵の熱烈な味方の前にいるのです。カトリックのミサに対する激しい反対者にして、悪魔の典礼と異教の儀式へのエキュメニカルな参加者。バチカンを占拠するセクトの長として、またカトリック教会の異端審問官としての二重の役割によって、霊魂が分裂した男(A man divided【オラフ・ステープルドンの著書を思わせる】)。彼のそばには、侍者としてトルドーがいます。トルドーは、包括性と自由の名の下に、ジェンダー教理とLGBTQイデオロギーを広めていますが、パンデミックの緊急事態を口実に基本的権利を奪われたカナダ国民の正当かつ合法的な反乱を、一瞬のためらいもなく血をもって抑圧しました。
この二人は、間違いなくいいコンビです。二人とも、反キリスト教的なグローバリストのエリートによって、仕事上の支援を受けてきました。二人とも、ある組織を解体し、そのメンバーを散らすという任務を負って、その組織のトップに据えられています。二人とも、自らの役割や正義、真理を裏切る者なのです。
このような即決裁判は、おそらく現代の悪意ある者や無知な者には評価されるかもしれませんが、歴史の審判には堪えられませんし、ましてや上訴できない天主の審判に堪えられるものではありません。
彼が自分の運営管理について説明するよう呼ばれる日が来るでしょう。「Redde rationem villicationis tuæ: jam enim non poteris villicare――会計の報告を出せ、もうおまえを支配人にしておくわけにはいかぬ」(ルカ16章2節)と、昨日の福音のたとえ話に出てくる主人は言っています。そのときまで、洗礼を受けて神秘体の生ける肢体となった者として、これらのスキャンダルが教会と世界に呼び求める罰を私たちから取り除くために、祈って、償いをしましょう。ペトロの玉座に座す告発する者が憤らせてきた、カナダの殉教者たちの取り次ぎを請い求めましょう。カナダの殉教者たちが、現在の災難から教会が解放されるよう、天主の玉座から【恩寵を】取り成してくださいますように。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2022年8月1日
聖ペトロの鎖
殉教者聖マカベオ兄弟