[前編]ヴィガノ大司教、教皇フランシスコによる全時代のミサの盗みに応える(2021年7月31日)
「聖伝のミサは、霊魂の生命、霊的な成長の問題だ。私たちは第二バチカン公会議以前の拒否を特徴とする新しいミサ典書の道具的使用について語るべきではないか?」
ヴィガノ大司教、教皇フランシスコによる全時代のミサの盗みに応える
2021年7月31日
【編集者注】フランシスコが「全時代のミサ」を抑圧しようとしている自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)について、ヴィガノ大司教はそれを広範囲にわたって分析した結果を、掲載するようにと送ってくださいました。大司教は、この専制的な行為を鋭く分析した後、締めくくりに「私たちの構成した抗議行動を多くの人に見えるようにし、公的な行動へ向けての一種の共同作業を確保する必要性があること」を確認しておられます。そして、私たちが孤立したり、絶望したりしないようにと呼びかけておられます。大司教は、盗まれたものが完全に復興されることを期待しておられますが、そのためには私たちがその復興にふさわしい存在でなければならないことを念押しなさっています。大司教の文章は、以下の動画で読むことができますし、大司教が演説する様子もご覧いただけます。(ブライアン・マッコール)
LAPIDES CLAMABUNT
石が叫ぶだろう
Dico vobis quia si hii tacuerint, lapides clamabunt.
Lk 19:40
私は言う。彼らが黙ったとしても石が叫ぶだろう。
ルカ19章40節
「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)【聖伝の守護者】。これは、ベネディクト十六世の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)をフランシスコが強引に破棄した文書の「出だし」(incipit「冒頭の数語」)です。「教会憲章」(Lumen Gentium)からの大げさな引用は、ほとんど嘲笑的な調子であることに、気づかないわけにはいきません。
ベルゴリオが司教たちを聖伝の守護者と認めた矢先に、聖伝の最高にして最も神聖な表現である祈りを司教たちに妨害するように求めたのです。文書を和らげるための「エスカモータージュ」(「言葉の綾」または「策略」)をテキストの行間に見つけようとする人は、教理省に修正のために送られた草案が最終テキストよりも極めて過激だったことを知るべきです。草案の過激さを知ると、トリエント典礼反対者たちからの特別な圧力など必要なかったという確認ができます、もしもそのような確認が必要だったとしたのならば、ですが。つまり、聖アンセルムスに関する学者たちに始まるトリエント典礼の歴史的敵対者が、聖下が得意とする手、すなわち廃止、を試みるように説得する必要など全くなかったのです。Ubi solitudinem faciunt, pacem appellant.[彼ら廃墟を作り、それを平和と呼ぶ。―タキトゥス「アグリコラ」]
フランシスコの手口
フランシスコは、「継続性の解釈法」という敬虔な幻想を再び否定し、「ヴェトゥス・オルド」(古いミサ)と「ノブス・オルド」(新しいミサ)の共存は不可能であると述べています。それは、ヴェトゥス・オルドとノブス・オルドが、両立し得ない二つの教理的・教会的アプローチを表現したものであるからです。一方にはキリストの教会の声である使徒継承のミサがあり、他方には公会議の教会の声であるモンティーニの「聖体祭儀」があります。
これは、改革された儀式や第二バチカン公会議に不安を抱く人々がしている非難ではありません。もちろん非難するのは正当なことですが。そうではなく、むしろ、進歩主義の中でも最も過激な派閥のトップであるフランシスコ自身が、イデオロギーへの固執を認め、誇りを持って肯定していることなのです。ローマ教皇であると同時にカトリック教会の清算人でもある彼は、一方では教令や統治行為によってカトリック教会を破壊し、他方ではその職責に伴う威光を利用して、古い宗教の瓦礫の上に「新しい宗教」を確立し、広めることができるからです。彼が天主に対して、教会に対して、主の群れに対して行っている行為が、「パレーシア」(parrhesia)【包み隠さずすべてを話すこと】、対話、壁を作らずに橋を架けることを訴えることと全く相反するものであっても、ほとんど問題ではありません。「いつくしみの教会」や「野戦病院」とは、利益を受けるのが異端者や私通者ではなくカトリック信者であるべきですから、空虚な美辞麗句であることが分かります。
現実には、私たちの誰もがよく知っていることは、「アモーリス・レティチア」(Amoris Laetitia)が公の同棲者や姦通者に対して示す寛容さは、ベルゴリオが機会があればすぐに矢を放つ「硬直した」人々に対しては、【適用は】考えられません。【フランシスコ教皇は聖伝を支持する人々のことを「硬直している」rigid とよく非難している。】
ベルゴリオが高位聖職者や政治家、保守派の知識人との面会を断った理由が、痴漢をした枢機卿や異端の司教、妊娠中絶派の政治家、世界統一主義者(globalist)の知識人には当てはまらないことは、この教皇就任から何年もたった今、誰もが理解しています。つまり、行動に明らかな違いがあり、その違いからフランシスコがカトリックではないあらゆるイデオロギー、思想、プロジェクト、科学的、芸術的、文学的表現を好んでいるという、えこひいきや党派性を把握することができます。このサンタ・マルタ館の住人は、漠然とでもカトリックを連想させるだけのものにさえ嫌悪を抱いているように見え、違和感のあるほどですが、それは彼が座している玉座のおかげです。多くの人が、この乖離(かいり)、つまり、教皇らしくない行動や教皇らしくない発言をする教皇のこの一種の双極性に注目しています。
問題は、病気や高齢の教皇の場合のように教皇職が「不作為」なのではなく、教皇職の本質そのものとは正反対の意味で組織化され、計画された絶え間ない行動に私たちが直面していることです。ベルゴリオは、カトリックの信仰の真理を強く再確認することによって現代の誤謬を断罪するということがないだけでなく(彼はこれまで決してしてきませんでした)、それらの誤謬を積極的に広め、促進し、その支持者を励まし、可能な限り広め、バチカンでその促進イベントを開催しようとし、同時に、これらの同じ誤謬を非難する人々を沈黙させています。【フランシスコ教皇は】私通を犯した高位聖職者たちを罰しないばかりか、嘘をついてまで彼らを昇進させ擁護する一方で、保守的な司教たちを排除し、新路線に沿わない枢機卿たちの心からの訴えにも苛立ちを隠しません。自らをカトリック信者と主張する妊娠中絶派の政治家を断罪しないだけでなく、【フランシスコ教皇は】司教協議会がこの問題について発表するのを妨げるために介入し、「シノドスの道」に反して、逆に少数の超進歩的な人物を使って大多数のシノドスの教父たちに自分の意志を押し付けることを可能にしています。
「トラディティオーニス・クストーデス」において最も大胆かつ傲慢な形で現れているこの態度にある唯一の一貫性は、二枚舌と嘘です。二枚舌は、もちろん、見かけであり、特定のグループを支持するという慎重さだけにはに欠ける立場によって、日々否定されています。そのグループとは、簡潔に言えばイデオロギー的な左派であると特定することができますが、実際にはそのごく最近の進化形態として、世界統一主義者、環境保護主義者(ecologist)、トランスヒューマン(人間改造主義)、LGBTQの鍵です。教理上の問題についてあまり知識のない素朴な人々でも、少なくとも言葉の厳密な意味で非カトリックの教皇がいるということを理解できるようになってきました。このことは、重要でないとはいえない教会法上の問題をいくつか提起しており、それを解決するのは私たちではありませんが、遅かれ早かれ対処しなければならなくなるでしょう。
イデオロギー的な急進主義
「トラディティオーニス・クストーデス」によって極限まで高められた、この教皇職のもう一つの重要な要素は、ベルゴリオのイデオロギー的な過激さです。つまり、他の人に関わる場合は言葉で非難されますが、古代の儀式に関係したり聖伝に忠実だったりする聖職者や信徒対して行動に出るのがベルゴリオ自らである場合には、最も暴力的で冷酷な表現となって姿を見せる過激さです。聖ピオ十世会に対しては、進んで譲歩して「良き隣人」としての関係を築こうという姿勢を見せていますが、ラテン語のミサを懇願するために千回もの屈辱と恐喝に耐えなければならないあわれな司祭や信徒に対しては、理解も思いやりも示しません。この振る舞いは偶然ではありません。ルフェーブル大司教の運動は、独自の自治と経済的な独立性を享受しており、そのために聖座からの報復や検査官を恐れる理由はありません。しかし、教区や修道会に所属する司教たち、司祭たち、聖職者たちは、自分たちの上に、罷免、教会上の身分からの解雇、生活手段そのものの剥奪というダモクレスの剣がつるされていることを知っているのです。
司祭の生活におけるトリエント・ミサの経験
私の演説や宣言を見ておられる方は、公会議やノブス・オルドに対する私の立場をよくご存じだと思いますが、それだけでなく、私の背景、つまり聖座に奉仕してきた私の経歴、そして私たちが直面している背教と危機に対する比較的最近の認識についてもご存じだと思います。このような理由から、私は、まさにこのような状況のために、聖ピオ五世のミサだけを捧げる、あるいはそれだけにあずかるという思い切った選択をすることができない、あるいはまだできていない人々の霊的な道のりへの理解を改めて表明したいと思います。
多くの司祭は、由緒あるトリエント典礼を捧げ、その中に身を置くことによって初めて、その宝を発見します。そして、「特別な形式」に対する最初の好奇心が、儀式の荘厳さゆえに確かに魅力的ではありますが、言葉の深さ、教理の明快さ、そしてそれが私たちの霊魂を生み育ててくれる比類のない霊性への認識へとすぐに変わることも珍しくありません。そこには、言葉では表現できない完璧な調和があり、信者には部分的にしか理解できないものの、天主だけが可能な方法で司祭職の心に触れています。このことは、ノブス・オルドを何十年も従順に捧げてきた後、「古い使用法」(usus antiquior)に近づいた私の同僚たちによって裏付けられています。それは、朝課にある読書の部や教父の解説を含む聖務日課の祈り、ミサのテキストとの相互参照、一時課の殉教録などを含む秩序体系、世界が開かれることです。ドン・ゲランジェが賢明に観察したように、これらは神聖な言葉であり、それはラテン語で表現されているからではなく、むしろ、俗語がこれらの品位を落とし、冒涜するがゆえに、ラテン語で表現されているからです。これは、天主なる花婿に対する花嫁の言葉であり、天主との親密に一致して生きる霊魂の言葉であり、至聖なる三位一体に自らに住んでいただく霊魂の言葉です。本質的には、この言葉の最も深い意味での司祭の言葉であり、このことは、司祭職には、いけにえを捧げる権能だけでなく、自己奉献によって純粋にして聖なる汚れなきいけにえに一致する権能があることを暗示しています。
それは、世俗化されたメンタリティーを喜ばせることに熱心なあまり、天主の御稜威と天上の宮廷に目を向けようとしない「改革された典礼様式」という戯言とは関係ありません。つまり、自らを理解してもらうことにあまりにも夢中で、取るに足らない自明性以外を伝えることを諦めなければならなくなっている新しい典礼、異端者の感情を傷つけないように気を配るあまり、天主なる主が祭壇にご自身を現存させられる瞬間でさえも真理について沈黙することを許す新しいミサ、信者にわずかな真剣な態度を求めることさえ恐れて、聖歌や礼拝に結びついたあらゆる芸術表現を平凡化している典礼様式とは関係ないと言うことです。
ルター派の牧師、近代主義者、有名なフリーメーソン会員がこの儀式の草案づくりに協力したという単純な事実は、悪意や故意の違法行為とまではいかなくても、少なくとも、いわゆる「典礼改革」の作者たちを動かした、超自然的な推進力を欠いた水平的なメンタリティーを、よく理解させてくれるはずです。この作者たちが、私たちが知る限り、古代のローマ・ミサ典礼書(Missale Romanum)のテキストや典礼集全体のテキストを書いた聖なる作者たちが輝かせていたような聖性で輝いていなかったのは確かです。
司祭である皆さんのうちの何人が、そして間違いなく多くの信徒が、聖霊降臨の続誦の素晴らしい詩文を読誦する際に涙を流すほど感動し、聖伝の典礼に対して皆さんが最初に持っていた好みが、不毛な美的満足とは関係なく、呼吸するのと同じように不可欠な真の霊的必要性へと発展するのを理解したことでしょうか? 今日、皆さんからこの貴重な財産を奪おうとしている人々に、皆さんは、そして私たちは、あの祝福された儀式が皆さんに自分の司祭職の真の本質を発見させてくれたこと、そしてそこから、正にそこからのみ、自分の役務への関与に直面するための強さと栄養を得ることができることを、どのように説明することができるでしょうか? この世、肉、悪魔との日々の戦いの中で、自分が無防備になり、打ちひしがれ、強さを失ってしまうというのに、モンティーニの儀式に戻ることが義務付けられることは、皆さんにとって不可能な犠牲を意味していることを、どのようにして明確にすることができるでしょうか?
聖ピオ五世のミサを捧げたことのない人々だけが、それを過去の厄介な金ぴかの飾りとみなし、それをなくすことができるのは明らかです。思春期の頃からノブス・オルドに慣れ親しんできた多くの若い司祭たちでさえ、二つの形式の儀式には共通点がなく、一方が他方よりも優れているために、後者の限界や批判がすべて明らかになり、捧げることがほとんど苦痛になるという段階になるということを理解しています。懐古主義や過去への熱狂の問題ではありません。ここでは、霊魂の生命、その霊的な成長や禁欲・克己、神秘主義についての問題です。司祭職を職業とみなしている人々には理解することさえできない概念です。それはちょうど、パンデミックの茶番の時代の聖体拝領のグロテスクな儀式の際に、両形態のご聖体が冒涜されるのを見て、司祭の霊魂が感じる苦悩を彼らが理解できないのと同じです。
ミサの自由化についての矮小化した見方
だからこそ私は、「トラディティオーニス・クストーデス」の中で、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」が14年前に公布された理由 -- フランシスコが信じている理由 -- が、ルフェーブル大司教のいわゆる離教を癒やしたいという望みだけにある、と書かれているのを読まなければならないのは、非常に不愉快です。もちろん、「政治的」な計算は、特にヨハネ・パウロ二世の時代には、当時、聖ピオ十世会の信徒が少なかったとしても、その重みがあったかもしれません。しかし、二千年もの間、信徒の聖性を育み、キリスト教文明に命の糧を与えたミサに市民権を回復できるようにしてほしいという要請は、偶発的な事実に矮小化されるものではありません。
ベネディクト十六世は、この自発教令によって、ローマの使徒継承のミサを教会に復活させ、それが決して廃止されたものではないことを宣言しました。間接的には、パウロ六世が自分の儀式に権威を与えるために、聖伝の典礼の挙行を無慈悲に禁じたという濫用があったことを認めたのです。また、この文書には、二つの形式の同じ儀式を共存させるなどの不調和な要素があったとしても、それらは、通常の形式に影響を与えることなく、特別な形式の普及を可能にするために役立ったと考えることができます。教皇の権限で古代の儀式を復活させることができたのに、誤解や省略のあるミサをそのまま放置することは、かつての時代には理解できないことだったでしょう。しかし、第二バチカン公会議の重荷を負い、世俗化した精神が今や蔓延している今日では、許可なくトリエント・ミサを捧げるという単なる合法なことでさえ、否定できない善であり、それを捧げる共同体に豊かな実りをもたらすことで誰の目にも明らかな善であるとみなすことができます。そしてまた、もし「スンモールム・ポンティフィクム」が、そのすべての点において、真の教会的な交わりの精神をもって適用されていたならば【司教たちが聖伝のミサを望む司祭や信徒たちを邪魔せず、自発教令の通りに全くの自由を与えていたのならば】それだけで、さらに多くの実りをもたらしていたであろうことも信じることができます。
ローマ・ミサ典礼書のいわゆる「道具としての使用」
フランシスコは、世界中の司教の間で行われたアンケート調査が否定的な結果をもたらさなかったことをよく知っていますが、質問の構成から、彼がどのような回答を望んでいるかは明らかでした。この調査は、フランシスコが下した決定が必然であり、司教たちからの声をそろえた要請の成果であると人々に信じさせるための口実でした。私たちは、ベルゴリオが結果を得ようとすれば、力ずく、嘘、ごまかしに頼ることを躊躇しないことを知っています。過去のシノドスの出来事は、このことを合理的な疑いなく証明しています。何故なら、「討議要綱」(Instrumentum Laboris)【シノドスの議論の材料】が投票される前にすでに「シノドス後の使徒的勧告」が起草されたからです。ですから、この場合も、あらかじめ設定された目的はトリエント・ミサの廃止であり、「口実」(prophasis)、つまり明らかな言い訳は、「典礼改革の拒否だけでなく、第二バチカン公会議そのものを拒否することをしばしば特徴とする、1962年のローマ・ミサ典礼書の道具的使用」とされなければならなかったのです(「トラディチオニス・クストデス」に付けられた全世界の司教たちへの手紙)。
正直なところ、もしかしたら、この道具的使用について聖ピオ十世会を非難することが可能かもしれません。聖ピオ五世のミサが公会議後の教会論や教理と相容れないという、私たちの誰もがよく知っていることを、聖ピオ十世会が断言するのは当然のことですから。しかし、聖ピオ十世会は【最新の】自発教令の影響を受けませんし、また、まさにベネディクト十六世が認めた不可侵の権利 -- この権利は2007年に無から創造されたものではない -- によって、常に1962年のミサ典礼書を用いてミサを捧げてきたのです。
司教から指定された教会でミサを捧げる教区司祭は、信者にご聖体を授ける前にあえて「コンフィテオール」(confiteor、告白の祈り)を唱えたというだけで、熱心な進歩的カトリック教徒の非難を受けて毎週尋問を受けなければならず、ノブス・オルド(新しいミサ)や第二バチカン公会議の悪口を言ってはいけないことをよく知っています。なぜなら、この単語が出た時点で、彼はすでに教皇庁に呼び出され、山奥の小教区の教会に送られてしまうからです。この沈黙は、常に苦痛であり、ほとんどの場合、多くの言葉よりも雄弁であると誰もが認識していますが、全時代の聖なるミサを捧げる可能性を持ち続けるために、また、教会とこの世に降り注ぐ恩寵を信者から奪わないために、彼が支払わなければならない代償なのです。さらに不条理なのは、第二バチカン公会議の教会論と相容れないためにトリエント・ミサを廃止すべきだと平気で言われているのに、私たちが同じこと、つまりモンティーニのミサ(パウロ六世の新しいミサ)がカトリックの教会論と相容れないと言うや否や、直ちに断罪の対象となり、サンタ・マルタ館の革命法廷で私たちの断言したことが不利な証拠として使われることです。
司牧者たちが、愛情深い父親ではなく、司祭たちの冷酷な検閲官となり、常に監視し、隠そうともしない脅迫によってすべての権利を剥奪しようとする役人になってしまうには、この数十年の間に、どのような種類の霊的な病が司牧者たちを襲ったのでしょうか。このような疑惑の風潮は、多くの良き司祭の平穏には少しも貢献していません。彼らが行う善は、聖伝に結びついた信徒を危険視し、目立ちすぎない限り容認される厄介な存在と考える役人のレンズの下に常に置かれているからです。しかし、善が組織的に妨げられ、誰であれ善を行う者が疑惑の目で見られ、管理されているような教会をどのように考えたらよいのでしょうか? ですから、この「羊の匂いを嗅ぐ代わりに、怒って棒で叩く羊飼い」(こちら)に直面した多くのカトリックの人々、信徒そして少なからぬ司祭のつまずきを私は理解しています。
ある権利を享受できることが、あたかも恵み深い譲歩であるかのような誤解は、公的な問題も見られます。国家は、実験的な遺伝子血清の接種を受ける限り、旅行、学校の授業、活動開始、仕事の遂行を許可しています。このように、「特別な形式」が、公会議と改革されたミサを受け入れることを条件に認められているように、世俗の領域においても、パンデミックのナラティブ(物語)、ワクチン接種、追跡システムを受け入れることを条件に、市民の権利が認められているのです。多くの場合、人々に対して秘跡にあずかるためにワクチン接種を受けるように要求するのが、まさに司祭や司教、そしてベルゴリオ自身であることは驚くことではありません。両方の側の行動が完全に同時発生しているのは、控えめに言っても気になります。
しかし、それでは、このローマ・ミサ典礼書の道具的使用とは、いったいどこにあるのでしょうか? 私たちはむしろ、ベルゴリオの言葉を借りれば、第二バチカン公会議以前の典礼的な伝統だけでなく、第二バチカン公会議以前のすべての公会議をますます拒否することを特徴としている、パウロ六世のミサ典書の道具的使用について語るべきではないでしょうか? 他方で、第二バチカン公会議の教理上の逸脱をすべて否定し断罪する【聖伝の】ミサが捧げられうるという単純な事実を、第二バチカン公会議に対する脅威と考えているのは、まさにフランシスコではないでしょうか?
(続く)