ヴィガノ・テープ【質問13】【質問14】:「これは偶然の一致ではない」
啓蒙あるいは…暗黒化?
【質問番号13】大司教様、非常に多くの人々が、啓蒙主義(Enlightenment)が人間の心を大きく開いたと信じています。それは人類の歴史において素晴らしい進歩だったと彼らは感じています。その時代を批判する人はごく少数で、それは大司教様のように宗教的な根拠に基づいています。しかし、大司教様は、啓蒙主義の時代に何が起こったのか、それが実質的には「暗黒化・蒙昧主義」(Endarkenment)であると考えておられるのか、その理解を教えてください。どのような勢力が役割を果たしたのでしょうか? 大司教様は別の機会に、フリーメーソンと呼ばれるグループと、彼らがこのような変化をもたらすことに関心を持っていることを私に話してくださいました。これについてお話しいただけますか?
【ヴィガノ大司教回答】フリーメーソンはサタンの神秘体です。なぜなら、サタンはフリーメーソンがイニシエーション【入会儀式】の最高のレベルで崇拝する存在だからです。フリーメーソンが会員に勧める「イルミネーション」とは、大建築家(Great Architect)を崇拝することであり、その建築家は、人がもはや後戻りできなくなったときにのみ、その地獄のような姿を見せます。啓蒙主義は、他の哲学的運動と同様に、フリーメーソンが欧州のエリートを堕落させ、大衆を主権者やローマ教皇の権威への反抗に動員するための文化的・思想的な道具でした。この悪名高いカルトを断罪した数多くの回勅は、教会の知恵と教皇の判断の明晰さを示していますが、それと同時に、フリーメーソンが公会議の位階階級に浸透していたことや、位階階級と共犯関係にあったことも明らかにしています。
「これは偶然の一致ではない」
【質問番号14】しかし、啓蒙主義は、西洋に伝わり始めたある種の東洋の諸哲学からも影響を受けたと言う人もいます。これについてコメントしていただけますか?
【ヴィガノ大司教回答】復興異教主義(neo-pagan)の哲学や東洋の霊性の流れは、グノーシス的かつメーソン的な母体に由来する概念を肯定的に評価することで、私たちの社会に浸透してきています。これは偶然ではありません。これらの動きの多くは、啓蒙主義、相対主義、主観主義、自由主義など、現代のあらゆる誤謬の持つ哲学的原則が宗教的に堕落したものにほかなりません。このようにして、ブッダの悟りは、自分自身の神格化や、汎神論的な全体【ブラフマン】の中に入っていく自らの無【アートマン】について、一種の認識をすることで成り立ちますが、冒涜的な「普遍的世界人権宣言」の中に対応するものを見いだすことができ、この人権が、イエズス・キリストを追放した後に世界の中心となったのです。
真の宗教は、創造主、主、贖い主との親密な関係において、また同胞である人間との関係において、各人の個性を擁護するものです。対照的に、新しい人間中心的な概念では、個人は無とされて、国家が市民の主人にして支配者であるような、不明確な塊になります。これは、社会主義、共産主義、ナチズム、そして今日のトランスヒューマニズム的グローバリズムの土台となっています。このように、人間中心的で共同体主義的なアプローチは、聖伝のミサの天主中心的なビジョンとは全く対照的に、ノブス・オルドの特徴であることは見逃せません。
仏教、特に創価学会インターナショナルの仏教は、公会議のエキュメニカル思想の東洋版のようなものであり、その会長である池田大作がアウレリオ・ペッチェイやローマ・クラブと協力して、まさにこの運動に宗教的な刻印を与えたことは驚くべきことではありません。それによって信者は、生態学的汎神論や平和主義に彩られたメーソンやグローバリズムの原理に傾倒し、今日ではベルゴリオの教会がそれらを自らのものとして採用しています(こちら)。
創価学会が表明している原理は、すべてグローバリズムや新世界秩序の原理と一致しており、同じ辞書から多くを借用しています(こちら)。また、創価学会が伝統的仏教の「異端」であることに注目するのも興味深いものです。これは、公会議の宗教がローマ・カトリックにとって異端であり、シオニズムが正統派ユダヤ教にとって異端であるのと全く同じです。普遍的宗教のプロジェクトが現実のものとなるとき、メーソンやグローバリストのビジョンを受け入れない宗教の信者は排除されるでしょう。しかし、もうすでに私たちは、言ってみれば進歩主義者と原理主義者の間ですくい取った真の上澄みを見ているのです。