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多様性と枠組み

こんにちは。

2024年1月30日です。

もうまもなく今年も1ヶ月が経とうとしてます。

いやーめっちゃ早いですね。

今年は新年のタイミングを家族と過ごしました。

そしてそのタイミングはあまり体調が良くなかったので、せっかくの正月でしたがお酒などはほどほどにしか飲めなかった記憶があります。

でも、そんな楽しい時間からすでに1ヶ月も経とうとしてるんだと思うと今年もきっと早いんだろうなーって予感がします。

世の中にはいろんな人がいる

で、今日はどんなことを書こうかなって思ったんですけど、通勤時間にフッと頭の中に思ったことをここに残してみようかなって思います。

それは色々な人がいるんだなーってことです。笑

何を今更。

みたいなことを書いてますが、本当に色々な人がいて面白いし、それだからこそ競争するって意味がないなーってことも実感してます。

で、頭の中にどんなことを思い浮かべたのかってことですが、それは昔であった人たちの言動と今の状況を見て見てそう思ったんです。(自分も含め)

社会人生活をそれなりにやってくると個性と言いますか、その人の性格がライフスタイルに大きく反映されてまして。

具体的に言えば「絶対に〜じゃなきゃいや」みたいな特定の箇所に融通の効かない人はやはりその分野に突き進んでいるし、仕事が命です!みたいな人はやっぱり社長さんになってたりするわけで。

それも社長さんにっていうと肩書き的に偉そうとかじゃなくて、本当にそのまんま、そりゃ名前が売れてきてるので変化はありますが、行動は側から見るとそのまんま。笑

20代の時にやってたことがより高度に、かつ効率的に動いている印象です。

そして結婚しなくても楽しくやってるんだ!って人はやっぱり結婚してなかったり。笑

逆に恋愛大好きすぎてまぁまぁやんちゃだった子は今では何人かの母親で。

子供大好き、家族大好き、ってなってていい感じに家族持ってます。(離婚してる人もいるけども)

これらの例はほんの一部、かつまぁまぁ表現的にわかりやすいものを言っただけで、ちょっとづつ違う特徴も「あーそうなるよねー」的な動きをしてます。

これらって今の時代の価値観にとてもあった動きをしているなーって思いました。

そういう点でも人と競争すること自体が意味はない、むしろ自分を表現するために人生があるんじゃないかって思えますあ。

ま、資本主義社会では経済の競争ではありますが、そういう競争ではなく人生(生き方)について他人と比べる競争には意味がないということです。

教育現場に必要なのは総合力なのか専門力なのか

で、今日、こんな話をなんで頭の中で思ったのかってことを書いていきます。

それが今自分は教育、特に20歳前後の人たちの教育現場で仕事をしています。

具体的にはプログラミングを教えているのですが、今日はプログラミングの話は全く関係なく。

ってのも今彼ら彼女ら生徒さんたちにも個性があるなーってのは服装や仕草、会話内容ですぐにわかります。

でも、学校や研修という限られた空間ではその個性ってのは大きく外れることはないんですね。

なぜなら限られたリソース(時間、費用、内容)の中でしかこちらが評価できないからです。

個性を大事にってよく教育で言われるようになりましたね、これも時代だと思うんです。

で、教育現場からしたら個性を大切にする前提で接してはいますが、学校や研修という限られた空間でそれをどの程度許容するのかって結構大事で。

ってのも個性だから〜って全てOKにしていたらまぁまぁ悲惨なことになります。

人によってはこだわりが強いあまり他人を傷つけることがあるんです。

思考が違うって結構大きく影響がありまして、こちらからすると「同じことを伝えてるのになぁ〜」って思うことが多々あります。

また教育現場は最近、専門分野で教えるという形の方が総合的に教えるより人気があると認識してます。

それはなぜかというと結果が分かりやすいからです。

総合的にの方がきっと生きやすさで言えば有利だと思うんですが、そこにはスキル、コミュニケーション、一般教養、など複数の事柄がバランスよく必要になることです。

それは非常に優秀ではあるのですが、今は個人の時代と言われるように何かに秀でることが憧れであるという風潮もあります。

具体的に言えばインフルエンサーやYoutuberなどです。

これらって本当に偏っている人の方が強いからね。笑

って自分は彼ら彼女らと接ししてみて分かりました。

総合的な人は逆に不向きです。

バランスを取ろうとするから、コンテンツ的に面白くないんだよな。

なので人には適材適所なんですけども。

でもその判断って先生や講師ができないですよね、することではないと思ってますし、本人が決めることだと思ってます。


で、また現場からの意見ですが、本人が決めたことは推し進めてあげたいという気持ちがありますが、それがコンテンツ(講義内容や環境)と異なっていたらどうハンドリングするのか?

ってことも教育の難しさであり楽しさだと思ってまして。

例えばですが、学校の先には就職ってのが一般論だとは思いますが、個性を大事にファーストで行くと就職とはならない例があるんです。

なぜなら生徒さんは就職したくない、なぜなら自由に生きたいからだって言ってるんですね。

何を甘いことを〜

って思うのが社会人かもしれませんが、自分もまぁまぁ彼、彼女が望んでいることを20代の時は思ってました。苦笑

その辺の青いことを書いている記事ですー。

話を戻しますが、そういう自分がいたからこそ、目の前の彼らを突っぱねるのも違うなーって思ってて、むしろそれが本気でそう思うならそれに全振りしてほしいと思ってます。

でもね!でもですよ。

学校としては就職しないじゃ示しがつかないってのもまぁ納得ですよね。

だって親御さんからしたらお金払ってニートができましたー!じゃたまらんでしょ。笑

なので学校としては個性も大事にしますが、そこにはラインがあるんだと思いました。

で、自分も教育現場を仕事にしているので、ここにはラインがあることが正しいと思ってまして。

と言いますのは先ほども書いたように本人が本気ならそれは応援したい!

つまり本当に就職せずに自由に生きる選択をするのであれば、いますぐ学校なんてやめて自由にしたらいいと思ってます。

で、ここで本当に辞めるくらいの気持ちなら遅かれ早かれそうなるので自分はいいなって思いますし、止めません。

なぜなら本人が選んだからです。

逆にそれで行動しないのであればその気持ちはただのエゴでしかないのでスルーします。

このスタンスで今はやっていってます。

人の人生なので自分が指導するってのは烏滸がましいことですが、それでも尋ねてきた人はサポートしてあげたい。

でも本人の判断を第一優先にしてあげる指導を行なっていきたいなと思います。

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