【Fate/SR】サムライレムナント紀行〜第二章〜【吉原】
※この記事はゲーム『Fate/Samurai Remnant』のネタバレ(ED3種類のうち2種類含む)があります。
こんにちは、びゅーんです。
今回も書かせて頂きます。サムレム聖地巡礼の話!第二回目の内容は吉原です。尚、筆者びゅーんは江戸時代の歴史にかなり疎いので、下調べや知識が甘いまま現地に赴いてる場合があります。何卒ご了承の上、お楽しみくださると嬉しいです。
ほんのちょっと下調べしたところ…どうやら吉原遊郭があったとされる場所は2ヶ所存在するそうな。というのも、最初は日本橋寄りの地域に吉原が建てられていましたが「明暦の大火」という大火事により1度消失。その後、浅草寄りの地域に移設されたそうなのです。なので今回は吉原遊郭があったと思わしき地域、人形町と三ノ輪に行ってきました。
因みにサムレムに登場する吉原は、位置関係的に…火事が起こる前の元吉原っぽいですね。
・元吉原散策
元吉原遊郭があったであろう場所、それが人形町です。といっても、人形町のまち自体はそれほど吉原感は感じられません。どっちかというと大火事が起こった後の芝居が栄えた町としての印象が強いですね。ついでに近くに水天宮があります。
人形町の吉原っぽい部分が残されている場所、あるいは綴られている場所。意外なところで発見しました。隅田川沿いの遊歩道、隅田川テラスに設置されてる周辺案内図に…
案内図の隅に「人形町界隈の歴史」があり、吉原遊郭について書かれているではないですか!?
ほんの僅かですが、人形町にある吉原の名残のような場所に行ってみました。1つ目はここ、大門通り。
このように見るとなんてことない通りですが、かつて吉原遊郭の出入り口である大門がこの通りにあったのだそうな。
そうか〜。ここ人形町の大門通りだったのかー…なんて。
2つ目は末廣神社。吉原遊郭が出来る前から建てられていた神社で、当時から人々に地主神として信仰されていたそうです。
・新吉原散策
次は変わって三ノ輪周辺。バスに乗って「吉原大門」というバス停で下車します。ここでは吉原の単語が堂々と使われてる…!
遊客が後ろ髪を引かれる思いで振り返った場所…と言われる「見返り柳」の跡地を発見。
交差点の名前にも吉原の文字が…!
これが、新吉原の入口への道…!!下調べで拝見した写真と同じようにS字カーブになってますね。遊郭の入口が外から見えないようにこんなカーブになってるのだそうな。
このちょっと変わった段差。これは吉原遊郭の堀と土手の跡と言われてます。
サムレムの吉原も大門を出たすぐ先は橋になっていて、吉原遊廓がお堀に囲まれている様子がなんとな〜く分かります。
そんなお堀に囲まれた吉原遊郭の出入口は大門たった一つだけ。遊女や子供が脱走するのは相当無理な話と言われてます。
いよいよ大門をくぐり、仲之町通りへ。
通りの街頭には吉原にちなんだ川柳が幾つも書かれていました。これは1個1個読んでみたくなる…!
川柳に書かれてる「植しさくら」で思い出しました。サムレムの仲之町通りもこんな風に桜の木がびっしり植えられていましたね。。
他にも遊郭の守護神が祀られてる吉原神社や…
関東大震災で多くの遊女が亡くなった吉原弁財天など。
遊女が亡くなった話といえばもう1つ、三ノ輪周辺に遊女の投げ込み寺と呼ばれる浄閑寺があります。
主に祀られているのは幕末の頃に発生した大地震で亡くなってしまった遊女、またはその関係者たちと言われています。その影響か、明治以降になると「生れでは苦界 死しては浄閑寺」という川柳が有名になりました。
写真に映ってるのは亡くなった遊女たちを供養する為の「新吉原総霊塔」です。
サムレムに登場する吉原は大火事や大地震より前の時代と思われますが、それでも遊女にとって吉原は苦界と言われる様子が時折語られます。
災害とは関係なしに、若くして病に倒れる遊女も少なくなかったのです。
・大吉原展と高尾太夫
売春防止法が施行されて以来、遊郭は畳まれていきました。特に元吉原は影も形も残らないような状態に。
そこで筆者、上野で開かれていた「大吉原展」にも行ってみました。絵画や家具から、遊女たちの1日の様子や吉原の季節のイベント毎といった細かい話を知ることが出来たのですが、これが想像以上に濃い。勉強になりました。。
展示は既に終了してしまってますがどんな展示があったか、一部分だけHPで見ることが出来ます↓↓
1箇所だけ写真OKだったのが、遊女たちが働く妓楼を再現した立体模型と人形の展示でした。この妓楼、なんとサムレムで高尾太夫が拠点にしてた三浦屋なんだとか!?
人形もだけど部屋の間取りとか小道具とかついつい見ちゃいます。
そうえいばサムレムに登場する遊女達もこんな髪型と髪飾りしてましたね…!
因みにサムレムの三浦屋はこのようにゴージャスな感じ!
そして隅田川をくだって茅場町周辺まで来たところには…なんと高尾太夫を祀ってる高尾稲荷神社があります。
太夫含めた遊女達が自由の身になれる方法、それは一定の年齢…年季を超えるか、命を落とすか、そしてお金持ちの遊客に身請けされることでした。
高尾太夫の身請けに関して、こんなエピソードがあるのはご存知でしょうか。
元々高尾太夫には想い人がいて、将来その人と添い遂げる為にひたすら年季を待ち続けました。が、そこへ太夫に惚れた何処だかの殿様がやってきて、大金で身請けしようとしてきたのです。初めは拒否した高尾太夫ですが、殿様の押しに負けてしまい、とうとう身請けされることに。しかし想い人への想いを捨てきれず、高尾太夫は殿様の目の前で自殺未遂。この行動にブチ切れた殿様はなんと太夫を斬り殺します。斬られた高尾太夫の遺体は、隅田川に流されて行ってしまいました…と。
そんな高尾太夫の悲劇に心を痛めた人々が建てたのが高尾稲荷神社なのです。
サムレムでも高尾太夫は乱暴な武士に斬られそうになりました。でもそこに居合わせた武蔵ちゃんに助けられ、悲劇から一転!後にマスターとサーヴァントとして盈月の儀に立ち向かうわけです…!
現代ではあまり史跡が残されていない吉原、そして高尾太夫ゆかりの地を巡りました。そう…ハッキリした史跡が残されていないので「ここはきっとこんな感じだったんだろうなぁ」と想像するので精一杯です(苦笑)
因みに新吉原一帯は遊郭が消えたとはいえ、現在はソープランド地帯。特に夜は…なかなかの雰囲気なので出歩く際はご注意を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?