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私がベトナムを好きでい続ける理由

ベトナムに住んでいる人やベトナムに関わりを持つ人ならこれまでに「なんでベトナムを選んだの?」「なんでベトナムが好きなの?」「ベトナムの好きなところは?」のようにベトナム人から聞かれたことがあるかと思います。

その質問を受けたとき、私はいつも「ベトナムの人々が好きだから」と答えます。私は10年以上ベトナムと関わりを持つ中で、私にとってのベトナムの最大の魅力は「人々の温かさ」です。

今回はそのベトナム人の温かさを感じる一つのエピソードをお話しします。

差別の中の救い

2020年の8月、ベトナムでは国全体のコロナ封じ込め政策が比較的うまくいっていた一方で、ダナンの病院で市中感染が発覚し、クラスターが発生しました。この緊急事態に際し、ダナン市は市全体のロックダウンを計画していました。

当時ダナンにいた私は、外出禁止はまだ実施されていなかったものの、すでに多くの規制や検査が準備されており、非常に窮屈に感じました。また、外国人がウイルスを持ち込んでいるという偏見も目立ち始めたため、規制が強化される前にダナンを離れることにしました。

ダナン市を無事脱出した後、山側から北上してフエ省に入る際、非常に厳しい通過手続きが待っていました。当時はまだPCR検査が普及しておらず、省や郡の境界で何度も書類にバイクや個人情報を記入させられ、各自治体間の連携も取れておらず、同じようなチェックが何度も行われ、非常に面倒でした。

しかも地方ではコロナに関する偏見がより激しく、バイクで通過するだけで子どもたちが口をおさえたり、チェックポイントではバイクに消毒液を噴霧されたりするなど、外から来た人間は理不尽な扱いを受け、非常に差別された感覚を持ちました。何を言っても不安にかられた人たちからの扱いは厳しく、非常に悲しい思いをしました。

そんな中、フエの山側地域のA Lưới郡を通っている時に突然のスコールに見舞われました。仕方なく近くの家の屋根の下で雨宿りをしていると、びしょ濡れになっていた私を見かねてか、家の女性が飲み物を差し出し「家に上がってください。一緒にお昼ごはんを食べましょう」と家に招いてくれました。

当時、フエ省でも厳しいコロナ規制が敷かれていた中で、特に外部の人間、しかも外国人を家に招き入れて一緒に食事をすることは極めて異例でした。しかし、この家庭は私を差別することなく、暖かく迎え入れてくれました。

子どもたちも自然体で接してくれて、心温まる対応に私は深く感動しました。「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉がぴったりの時間でした。

お昼ごはんもいただき、せめてもの感謝の気持ちを表すために食事の代金を払おうとしましたが、「そんなのいらないよ」と彼らは優しく拒否しました。決して裕福ではありませんでしたが、彼らは助け合いと慈悲の精神にあふれていました。

4年ぶりの再会

その出来事から4年後、私は再びフエ省のA Lưới郡に行き、その家庭をサプライズで訪問してみました。

「Chị nhớ em không?(覚えていますか?)」と尋ねると、彼女は私を一目見てすぐに「Nhớ chứ(もちろん覚えているよ)」と答えてくれました。

そして再びあの時のように食卓を共に囲めたことが非常に嬉しかったです。子どもたちも随分と成長しており、彼らの成長を見るのはまるで自分の子どものような感慨深いものでした。

私は当時なぜ彼女がコロナ禍の厳しい規制の中、私を受け入れてくれたのか尋ねました。彼女は「私はパコ族出身で、見た目が普通のベトナム人と異なるから、フエ市での大学生活中にしばしば差別を受けてきました。差別される苦しみを知っているからこそ、あの時あなたを受け入れたのです」と静かに語りました。

この素晴らしいベトナム人家族の温かさと優しさに触れ、改めて深く感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ベトナムは食、歴史、多彩な文化、美しい自然など、多くの魅力がありますが、私が何よりも魅了されるのはやはりこのような「人々の温かさ」です。この国の「人々の温かさ」がベトナムを飽きさせず、好きでい続けられる理由かもしれません。

A Lưới郡は静かな田舎で、生活水準は決して豊かとは言えないかもしれませんが、この地には私の心を豊かにする貴重な思い出が詰まっています。この地とこの家族に再び会いにまた来ようと思います。

どこを旅していても、やはり人との繋がりがいかに大切かを感じます。異なる背景を持つ人々がお互いを理解し、支え合うことの素晴らしさも再認識することができました。ベトナムの土地と人々から学ぶことは多く、私の人生にとって非常に貴重な経験となりました。

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