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なぜベトナム語で南→北はra、北→南はvàoというのか? ~S字の国の歴史との関連~
前回の記事で述べたように、ベトナム語では、地理的に南から北への移動の時は「ra」を使い、北から南への移動の時は「vào」を使います。それぞれもともとの意味はra=出る、vào=入るです。
ではなぜ南北の地理的な移動でこのra-vàoを使うのでしょうか?これはベトナムが歴史的に「北属から南進へ」という政策をとってきたことが深く関わっていると考えられます。
北属から南進へ
かつてベトナムは中国の漢王朝の時代の紀元前2世紀から、独立を達成する10世紀まで1000年以上も中国の支配を受けていました。これを「北属期(bắc thuộc)」といいます。
一方で独立以降の11世紀頃から大越国(=中国独立以降のベトナムの国名)は南方への領土拡大を始めます。これを「南進(nam tiến)」といいます。
当時の大越国の支配地域は現在の北部紅河デルタ地域のみで、北は中国、西は険しい山脈、東は海という3方向の障害に阻まれたことで、勢力を拡大するには南に進むしかありませんでした。
当時のベトナム中南部には二世紀頃からチャンパ王国という別の独立した国家が存在していました。チャンパ王国が残した遺跡であるチャム塔(Tháp Chàm)は現在もベトナム沿海中南部の各地に残っており、ニャチャン、クイニョンなどでは観光スポットの一つとなっています。
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15世紀になると大越国の勢力が南下し、チャンパ王国の首都であるヴィジャヤ(現在のビンディン省あたり)を占領し、チャンパ王国を事実上滅亡させます。
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