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【ベトナム生活】初めてベトナムの地を踏んだ日のこと #2

さて、言葉の通じない白タクの運転手、そして助手席のアシスタント的少年と共にハイフォンを目指す私。空港を出る頃には夕暮れ時、家路をたどる水牛が歩いていましたが、すぐに辺りは闇に包まれました。

道路の両脇は真っ暗で、遠くにポツポツ人家の灯りが見えるところから、農村地帯を進んでいる様子。ヘッドライトの範囲外は、フロントガラスから見えるテールランプの列が道の存在を示す限りとなれば多少は心細くもなるもの。言葉が通じない以上は、黙っているしかない状況でしたが、場を和ませようと日本のお菓子を勧めてみたり。

そうこうしているうちに、急に明るくなったかと思うと車は町の中に入っている。ハイフォンか?と思うも、1時間程度で着くはずはなく、どこか途中の町と分かる。裸電球の灯りの下で営まれる、初めて垣間見るベトナムの日常生活。

暗闇から突然現れたその光景に、あぁ、自分は今、まさに異国に足を踏み入れたのだと感慨にふけっていると、車はその光景に似つかわしくない渋滞にはまっている。

前方を見ると、どうやら川を渡るのに鉄道橋が使われているのですが、単線で、両岸から交互に車両を渡しているよう。(後に、そこはハノイとハイフォンの中間にあるハイズン省で、当時、国道5号線の橋が未完成、鉄道橋が利用されていたと知ります)

結局 40分近く待たされ、なんとか川を渡る。これは先の車からだいぶ離されてしまっただろうなと思ったところ、ふと気がついた。"ハイフォンに着いたらどこに行けばいいのか?"ということを。

ハイフォンはベトナム第三の都市、当然、結構な大きさなはず。迎えの車の運転手がきっと白タクの運ちゃんに行き先を伝えていたと思うけど、果たして運ちゃんはハイフォンの道をどれだけ知っているのか?

まぁ、先に派遣されている先生達が"ベンビン"という名のホテルに部屋を借りているという事は聞いていたので、最悪そこに行けばなんとかなるだろうと。携帯電話もない時代、ジタバタしたところでどうしようもありません。

大きなプロパガンダ広告が見えたと思ったら、そこからがハイフォンの中心地へ向かう道でした。運ちゃんに"ベンビンホテル、ベンビンホテル"と連呼するも、発音も声調も合ってないし、通じていない様子。さて、どうなる?

結論から言うと、運ちゃんは行き先は"khách sạn Bến Bính(ベンビンホテル)"としっかり聞いていましたが場所までは分からない。そこで彼は、まずハイフォンで栄えているエリアに行き、そこで"khách sạn Bến Bính”がどこか聞こうとしたよう。賑やかな通りに建つ一軒のホテルに車を停めました。

自分は状況がよく分かってなく、不安と興奮入り混じる中、初めてのハイフォンの町の風景に魅了されていましたが、突然、誰かが窓を叩き、『〇〇さんですか!』と日本語で。

『はい、そうです』と答えると非常に安堵された様子。実は先の車が到着して、1時間近く自分が着かないので皆さん心配されて、主要なホテルを探し回ってくれていたとの事。(当時はまだ外国人が泊まるエリアは非常に限られていたのが幸いでした。)

そんなこんなで空港を出てから4時間近く、なんとかハイフォンに到着し、他の先生たち、先に来られている先生たちとレストランで合流、自分も大いに安堵し、ホテルの部屋に入ると、ついにベトナムに来たのだな、と感慨にふける暇もなく眠りに落ちた次第です。

初めてベトナムの地を踏んだ日は、なかなかに印象的で、今でも秋が近づくと懐かしく思い出します。

仏領時代は社交の場として賑わったという
ハイフォンのオペラハウス

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