「憎しみ」映画レビュー
制作年:1995年
監督:マチュー・カソヴィッツ
レビュアー:京都産業大学 現代社会学部3回 淡路大護
選定理由
私がこの映画を今回のレビュー作品に選んだ理由は、1995年というカラー映画が主流となりつつある時代に白黒映画として登場し、高い評価を受けていたことが1つの理由として挙げられる。また、これまではベトナム関係の映画を観てきてある程度ベトナム映画全体の雰囲気を知ることができたため他の洋画との差を可視化したいと思ったからである。
レビュー
今作「憎しみ」は上記でも述べたように全体を通して白黒映画となっている。また、物語の主題としてスラムの荒れた環境で生まれ育った3人の若者が環境に対する怒りや憎悪を銃という凶器を用いて描いたものであるように私は感じた。主要人物である3人の若者はそれぞれユダヤ系、黒人、アラブ系といった当時の社会で差別意識を持たれている(現代もないとは言えないが)種族であり、基本的にはあまり礼儀や作法がなっておらずギャングに近いように描かれていた。実際、映画内でもそのように読み取れる場面がいくつか見受けられた。例えば、若者たちが集団でたむろしている場面では、Hip Hopやレゲエ調の曲が起用されておりストリートギャングや黒人文化で自分たちの主張や存在をアピールしたいという思いがあるように感じられた。
それだけではなく、主人公たちのこれまでの教育過程から当時の貧富の差や教育格差といった社会問題も垣間見えた。学校には行けないため教科書をなんとか手に入れて自分で学ぶしかないことが当たり前のように語られていることは衝撃的であった。
ベトナム映画との比較としては、音楽の起用が圧倒的に今回のような欧米やヨーロッパが舞台の映画の方が多く感じた。今作では、オープニング曲やラップなどが流れている一方でベトナムの映画では、あまり歌は流れず、起用されていたとしてもBGMとなる楽器演奏のみのなどが多い気がした。