歪んだエリート。親に認められたい。
ヤバイ私を書き連ねるだけのnote
中学生の時、定期テストは大人に振り向いてもらう為の手段だった。
愛され(認められ)たいという欲求が定期テストという手段を使って教員に対して表現された。(もちろん、最も認めてもらいたいのは母親に対して...)
直接悪事を働いて注目を得ようとする素直な承認欲求とも違うルートで、
まどろっこしくて、気付かれにくい、見つかりにくい。。。
【以下わたしの過去実績】
中1社会の定期テスト100点。英語100点、理科100点、99点、98点、97点。。。国語96点。。。国語が93点しか採れないと、私って国語苦手༼ꉺ.̫ꉺ༽
昨日今日仕事で肩の力が入り過ぎていることに気付いた。前々からそうなのだが、少し期間が空くとより一層緊張して気張ってしまう。暑苦しいほど熱い返事。緊張により変になる語彙。自分でも見てられないほど苦しい。
気張って生きてきたのが、私のジェネラルモードなのであった。
肩の力を文字通り張って、はきはきとした返事。力のこもった返事をする。
大人に怠けているように見られたくない、自分は頑張っていると思われたい、しっかり仕事をしている、いる価値があると思われなければならない。
そうやってどこでも、いつでも、生きてきた。(※太字部分:認知の歪み)だから、そうじゃないモードになる方が、私にとってはイレギュラーで、難しい事に気づくと同時に、肩肘張るモードの方が楽(今まで身に付けていた自動思考の繰り返し)なのだと気付いた。。そうやってどこでも、いつでも、生きてきた。(※太字部分:認知の歪み)だから、そうじゃないモードになる方が、私にとってはイレギュラーで、難しい事に気づくと同時に、肩肘張るモードの方が楽(今まで身に付けていた自動思考の繰り返し)なのだと気付いた。
楽と言うと語弊がある。自分が楽でいられる努力を怠っている状態であり、改善の余地があるという解釈を添えたい。自動思考の再生産にストップを掛けて、新しい、"自分にとって楽なモード"を身に付けたい。
その為に思い付いた認知の修正は、
"できることやったらいい。"
"今の自分でじゅうぶん"
修正の言葉が見つかった今、高頻度で繰り返し唱えるのみ。