几帳面や完璧主義は疲れる?
「 几帳面 」という言葉が、私は好きではありません。なんか窮屈そうで。完璧主義もです。
でもこれね。自分がそうだったからなのかも。⇐過去形なの
「あなた、几帳面ね~」なんて言われると、心が引きつっていました。
顔面は、平静を装っていましたが。
私。几帳面すぎるほど几帳面でした。⇐ 過去形なの。
昔の話しですよ。
几帳面でもあるけれど、きれい好きでもありました。で、更に完璧主義…かな?
(うわっ、なんかトリプルで窮屈ね…)
そうなのです。たぶん人から見たら、相当な窮屈者だったのではないかしら。
掃除は毎日しないと気が済まない。
ホコリ?とんでもない。
片づけも。
床に本を縦に積んでいたことがありました。
その、縦に積んだ一冊が、はみ出していると落ち着かない。
即座に、ピタッと納め直す。
ならば、本棚を使った方が良いのでは?
そのご意見もわかります。
なんだったか、テレビか何かの影響だったのかな。
床に本を直接積み上げるのが、おしゃれの一種みたいな。
そんな私が少しだけ変わったのです。
その昔。
バイト先にいた、” おかあさん ” ぐらいの年齢の人が、私に言ったのです。
「人間ね、多少のホコリなんかで死なないから」と。
更に。
「掃除なんて毎日しなくても大丈夫よ。本や雑誌が、その辺に放ってあったって、なんてことないわよ」
私は家でのことや、自分のことなどを何か話したわけではなかったのです。
仕事での私を見ていて、感じたものがあったのでしょう。
その、” おかあさん ” からの言葉で、私の性質の皮が少しだけ剝がされました。
” そ~か、そ~か、散らかっていたっていいんだぁ。本が崩れていたっていいんだぁ ”(^.^)
” おかあさん ” の言葉は、今でも忘れません。
今でも、何かをキッチリやろうとする自分がいると、
” おかあさん ” の言葉を思い出します。
そんな几帳面・きれい好き・おまけに、完璧主義(?)が備わった人間が、
真逆とも言える、ずぼら人間と一緒になっちゃったのです。(°▽°)
/ 真逆だから、上手くいく⁉ \
「真逆だから、上手くいくんだよ~」とは、夫の言葉。
まぁ、たしかにね。
そんな言葉を発する夫と一緒になってからというもの。
私の性質の皮は、いちま~い、にま~い…と、段々と剝がされていきました。
それでも、几帳面・きれい好きは、まだまだ私の方が上回りますが。
目を吊り上げて、眉間にしわを寄せて、何でも几帳面にこなすより、
「まぁ、いっかぁ~」と、愛嬌を前面に振り撒いている方が、自分も周りも、楽になるんじゃないかなぁ。(^∇^)
笑って、笑って。
いつの時でも、
からだもこころも晴れのち晴れでありますように(^。^)