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実話 とんかつの母①
コロナ渦真っ只中に息子が生まれたりわたしが心臓の病気で倒れたりてんやわんやしているうちにもう4年実家に帰っていない。今年の盆も台風の影響で帰省を見送った。両親には逐一わたしの息子の画像や動画を送っているが、できればまだ小さいうちにもっと息子を抱かせてあげたい。
去年、1日だけ両親は孫の顔を見に上京した。たくさん抱っこして、散歩して、それでも名残惜しそうに帰っていった。
その時東京駅まで送って行ったのだが、高速バスの発車時間が近いのにいきなりわたしの父が
「みんなでソフトクリームでも食べっぺ。」
と言い出して、なぜか近くのシューマイ屋さんに入っていった。
しかし当然シューマイしかない。
「じゃあシューマイでいがっぺ。」
バスの時間が迫る。シューマイは注文してから蒸すので全然出てこない。発車まで残り5分を切る頃にシューマイ到着。「熱い!」当然アツアツだ。わたしと妻が息子(当時2歳)に食べさせるため切り分けてフーフーしたり悪戦苦闘している横で両親は時計をチラチラ見ながらものすごい勢いでえびシューマイを平らげ、顔を真っ赤にしながら風のように去って行った。「まだ(また)ね~。」
信じられないのは母のシューマイを食べるスピードだ。よく父に劣らずあつあつシューマイを食べられるものだ。わたしより早かった。
「こんなお父さんとやって行げんのはあだししかいねえ。」
幼い頃から母はよく言っていた。
父は男の王道を生きていると思う。長男として生まれラグビー部主将で国体に出場。会社では電機メーカーの部長でPTAでは長く会長を務め、定年後は博物館館長、郷土史の編纂、孫が生まれ、フジテレビ (「おはよう茨城」)にも出た。そんな父を母はよく支えた。
「おはよう茨城」のオープニング曲は超理不尽激ムズPCゲーム「ロマンシア」(1986年 日本ファルコム)の曲のパクりだった気がする。わたしはロマンシアをMSXでやったが序盤で断念した。
そして母は父の「王道から逸れた横道で起こる出来事」を一身に引き受けていたように思う。例えるなら山道に突然出現したデパートの屋上遊園地の墓場。切なくかわいくおかしく不気味な道も、いつか真理へと交わるのかもしれない。
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さてわたしが4歳くらいの夏。わたしは家の縁側に座っていた。
わたしの生家は当時人家もまばらな地域にあり、家の周りはまだ舗装道路もなく、雑木林の間を縫う砂利道がトラクターの轍により2色のストライプを形成していた。
わたしは何をするでもなく、ただ蝉の声と、家の前を流れる小川のせせらぎを聴いていた。
すると陽炎が揺れる道の奥から、小さな女の子が2人歩いてきた。ノースリーブの白いワンピースに麦わら帽子を被ったお揃いの服装。2人の身長に差があることから姉妹だったと思う。
そして2人の髪はキラキラと輝く金髪だった。
姉妹は庭の坂道を上ってわたしの目の前まで来て、ちょこんと頭を下げた。眼は碧く、肌は透き通るように白い。今まで見た誰とも違う容姿に、4歳のわたしの胸は早鐘を打った。
そこに農作業を終えた母がママチャリで帰ってきた。農協の帽子と首に手拭い、長靴は泥だらけの姿だ。
そして母は、姉妹に向かって
「家だっぺ。ハウス!」
と言った。今でも覚えている。
母は続けて我が家を指差しながら「ハウス!」「ハウス!」と連呼した。すると姉妹は無言で帰っていった。後ろ姿がどことなく淋しそうだった。
そして母はわたしに
「家は英語でハウス!」
と言った。
後にも先にもわたしの実家に海外からのお客様が来たのはその一度きりで、その姉妹がいったいどこから来たのか全く分からない。
この出来事の意味も分からない。そして母にはまだまだもっとよく分からない出来事が続く。果たして真理の道に交わるのか!?