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親父ごめんよ

いきなりだが、堺正章である。日本にいるときはあまり好きな芸能人ではなかった。なんだか、ザ芸能人という感じで、そうですか、という感想しかなく、といったところだが、渡英して全く変わった。マチャアキはすごいのである。イギリス人でマチャアキを尊敬している人いっぱいいるんだよ。これってすごいことなんだよ。

年配のイギリス人と話をしていて、時々「日本のドラマでモンキーってのが面白くてよく見てた。」と言われることがある。これは、BBCが日本テレビで放映されていた「西遊記」を買い取って吹き替え版「モンキー」を作り、1年(1980年くらいと言われた。)にわたって毎週末に放映していた。西遊記はあの、西遊記である。マチャアキ、西田敏行、そして岸部シローに夏目雅子のあの西遊記である。それを見て育っているイギリス人達は、未だに日本のドラマとなると「モンキー」を出してくる人達が一定いるのである。そして、必ず言うのが「モンキーは殺陣がうまかった。画面にちゃんとアクションが収まったけど、スケールが大きくてきれいなんだ。今の世の中だったら、モンキーはいいエージェントがくっついて、ハリウッドに行けたんだ」である。(そしてこれは間違っていない。)

そしてこのドラマ、オーストラリア、ニュージーランドでもかなり放送され反響があったらしく、カルト的人気を誇っているそうだ。

モンキーもピグシー(猪八戒)もサンディ(悟淨)もみんな鮮明に覚えていて、たけし映画が好きなイギリス人に「アウトレイジで出てくる関西のボスはピグシーだよ」とかいうと驚かれる。(西田敏行も芸達者だ。)

このように時々海外にいて、日本の芸能人の話になって名前を出されて「あんたよくそんな人知ってんね」みたいなことがある。他、ちょっとびっくりしたのが芸能人ではないが、「中島常幸はいいゴルファーだったね」などとイギリス人に言われたこともある。へええという感じで。あとロシア人と話していて出てきたのが八代亜紀。「ヤシロはアメリカの50年代のUSのジャズシンガーの匂いがしますね」だって。御名答。みんなわかってるじゃないか。あとインドネシア人から出た名前が、もんたよしのり。

そして、極めつけで外国人に「日本にいい歌手がいるじゃないか」と言われてびっくりしたのが黒沢年雄である。

バラエティによく出てた、おしゃべりな黒い毛糸の帽子をかぶったおじさま、ですよね。映画やドラマによく出てた俳優さんですよね。確かに弟はヒロシアンドキーボーで「三年目の浮気」とか歌っていたよね。年雄も「時には娼婦のように」とか歌っていたよね、確かに歌手だけどさ。

イギリスに来て、近所のパブでまさか黒沢年雄の話が出るとは思わなかった。名前を出したのはジョセップという名前でみんなが「ジョー」と呼んでいたクロアチアのおじいさんだった。

ジョーはクロアチアに民宿を2件、ロンドンに貸家を2件持っていて、パブの近くのバス通りの最寄りのバス停の前のマンションみたいなところに一軒自分用の家を持っていた。息子が二人いて、一人はロンドンに住んでいて、もう一人はクロアチアにいて、民宿の経営をやっていると言っていた。一重に言えば成功者であり、まあ、遊んで暮らしていける身、という感じで、時々クロアチアに帰ってのんびりして、またロンドン来て、という悠々自適の生活を送っていた。

多分、予想であるが、なんとなくではあるが、リバプールのゲームの時は必ずパブに来ていたし、プレミアが佳境に入ると必ずいたのでサッカーのスケジュールで動いていたのかな、とも思う。泥臭いリバプールのサッカーが好きみたいな印象があったが、そうやって聞くと「みんなどのチームも大好きだよ」という返答だった。

だけど、なぜか、クロアチアのサッカーは応援せず、ワールドカップなどでクロアチアが出てきてもイングランドを応援していた。

パブに来るといつも赤ワインを注文して、将軍様を探して一緒の席に座って話をしていた。

将軍様はパブにしょっちゅう来ているアーセナルファンのインド人とアフリカ系の混血で、第二次世界大戦後にアフリカからロンドンに移民してきた両親のもとに生まれた移民2世で、おふくろさんがアフリカ系でおやじがインド系という話だった。ただ、これも人によって話が違って「移民2世ではなくて、彼は親をアフリカに置いてきてロンドンに来た移民」とはっきり言う人もいたし、その辺よくわからない。その辺は人によって話が変わっていたし、はっきりしてなかった。自分ではっきりさせず、それをよしとしているところもある人である。北朝鮮のあの人の物まねがうまいので私は彼を将軍様と呼んでいた。

人種に偏見がなく、年齢もあまり気にするタイプでもないので、付き合い安く、話もしやすいので私もいれば声をかけて話する人である。ジョーが一緒に話をしたがるのはわかるような気がする。

将軍様は彼のことを「コミュニスト」と呼んでいた。もしくは「ノスタルジー」と呼んでいた。私たちにはジョーはあたりさわりのない話をしていたが、将軍様とは結構突っ込んだ話をしていたようだ。将軍様に言わせれば、ジョーは時代遅れの共産主義を懐かしみ、チトー元帥をあがめる頑迷なおじいさんということになった。まあ、将軍様はかなり辛口なので、そういう物言いになるが、ちょっと共産主義チックなところがある人だなというのは話していてなんとなくわかった。

ある時、パブでリバプールの試合を見て居た。隣にジョーが座っていた。ハーフタイムの時に、「そういえば、クロアチアで一人有名な日本の歌手がいるんだよ。黒沢っていってね、黒沢っていっても映画監督とは関係ない人らしいんだけどね、クロアチアで有名な歌手の「おやじ許してくれ」という歌をカバーしてるんだよ」と教えてくれた。

黒沢って歌手で映画監督とは血縁関係がない、と聞いて思い出したのが、「黒沢明とロスプリモス」であるが、どうも話を聞いていると「グループではなく、きりっとした顔の男」だという。なんだかよくわからないので、黒沢 とかクロアチアとか、その「おやじ許してくれ」を歌っているというクロアチアの歌手の名前を入れてみて、ようやくヒットした。黒沢明とロスプリモスではなく、黒沢年雄が歌っていて、日本題は「親父ごめんよ」だった。そして訳詞はなかにし礼だった。

それから私とジョーはサッカーそっちのけで、原曲のオリヴィル ドラゴェビッチの「oprosti me pape」を聴いた。黒沢バージョンはクロアチア語で何か説明のあるもので、歌は黒沢年雄だが、映像は全然違うのがあがっていた。(違法ぽいので貼りません。)

正直、黒沢バージョンはなんとなく、ちょっとやっぱり借りてきた言葉、借りてきた歌というのは否めない、というか、結構難しい曲のような気がした。オリヴィルさんは流れるように鼻歌でキレイに歌っているが、いや、これ、彼だから歌える歌であって、いくら歌詞をなかにし礼が訳してみても、なんというか、原曲のようにはなかなか歌えない歌のような気がする。ただ、黒沢年雄、やっぱり歌い手向けのいい声してますね。普通に聴いていても、ふわーっと持って行かれるというか、引き込む声してますね。

歌は非常にきれいで、なんか普通に聴いてられるが、歌詞はなかなかに深い。ジョーさんが説明をしてくれたので、訳詞サイトとかは見て居ない。
(ま、黒沢年雄の歌を聴けばわかるのですが。)

みんなはおやじのことを悪く言った、また酒を飲んでいるとか、ばくちをしているとか、家帰らないとか、だから子供の頃は俺はおやじが嫌いだった、でも年を取っておやじの立場になってみてわかったよ、おやじのこと。だから今はあなたにごめんねと言いたい、という内容の歌だそうだ。

それから、ジョーさんの話は黒沢年雄ではなく、原曲を歌っているオリヴエルの話になった。国民的歌手で亡くなった時はほぼ国葬状態だったとか、キャリアが長く音源がたくさんあるが、まあ、歌はあたりハズレがあまりないとかそういう話である。

何曲かその場でかけてもらったが、サッカー中継の間間に聴いているもんだから、何がなんだかよくわからなかった。

ただ、家に帰って、聞いてみて、そこまで灰汁が強くないので、普通に聴けそうな感じの曲である。たぶんこの人はベルギーで言えば、ジャックブレル、アイルランドで言えばたぶんだが、クリスティームーアあたりであろうか。そんなイメージである。ただ、この両名より音楽的には優れているというか、音程とか歌うたいとしての技量はしっかりあるのではないだろうか、と思ったりもする。

それからしばらく黒沢年雄とこの歌は忘れていた。

先週だったと思う。パブへチャンピオンズリーグを見に行った。試合を見て居たら、パットがそばにやってきて、ジョーが昨晩亡くなったと教えてくれた。

亡くなる前の晩、遅くまでジョーはパブにいてワインを飲んでいたという。帰る時になって、足元がちょっとおぼつかなかったという。そんなジョーを見るのはパットは初めてで、どうしようと周りを見渡したら、キティーさんがいて、手でパットを制し、「私が送っていくわ」と言ってジョーと一緒いパブからいなくなったという。

キティーさんはパブの真裏の家作に住んでいる。この人のご主人がオーストラリアの人で、仕事でオーストラリアとイギリスを行ったり来たりしていて、裏の家作にいたりいなかったりである。キティーさんはパブの従業員口から入ってきて、夜中にナイトキャップ替わりにブランデーを飲んでまた従業員口から消えていく。庭つたいに来るからまあ、夜中でも危なくない。一人でふらっと来て、飲んでいなくなるという。たまたまキティーさんがいて、キティーさんはジョーがどこに住んでいるか知っているから、キティーさんが送って、ジョーは家へ帰って行った。

ジョーはベッドに入って、それから眠ったまま亡くなったらしい。たまたま、息子がジョーの枕元に置いてある家族写真の新しいプリントを作ったとか何かで「いつ持って行ったらいい?」と電話をしても、テキストをしても応答も何も全くなく、おかしいと思って、仕事の行きがけに家に立ち寄ったら、亡くなっていたという。

家のドアにつけていた防犯カメラにキティーさんが映っていて、それが息子は誰だかわからず、パブに立ち寄り、パットに聞いたらしい。そしてキティーさんが家作から出てきて、結局パットとキティーさんは警察から事情聴取を取られたらしい。

お葬式とかこれからのことは息子さんたちが決めるようだから、とパットは言っていた。

みんなはっきり言わなかったけど、あとからぽろっと何名かが「いい死に方だ」と言った。そんなこと他人にはわからないんだけど、正直、あっさりと誰にも迷惑かけず、さっさと天国に行ったんだからよかったんだよ、とそんなことを言っていた。

そのあと、私は将軍様に会った。「ジョーが亡くなったね」と言ったら「共産主義者がくたばった。あの世でチトーと乾杯してるべ」と言っていなくなった。将軍様はいつも、パブの誰かがなくなるとこんな感じだった。「ああくたばったねえ」って感じで、そのあとすぐ食い入るようにサッカーを見て居た。たぶんだが、あまり感傷的になりたくないから、そんなことを言って話を変えたのだろうと思う。パブでよくある光景である。何名かなくなってその人の話になるとだいたい「あの人は毎年年末にものすごいおならをしてそれが臭かった」(イギリスではブリュッセルスプラウトという野菜をクリスマスターキーと一緒に食べる習わしがあり、この野菜はガスが出やすく、腸を刺激するため、この野菜を食べたあとのおならは臭いという話がある。)とか、「あの人は見てくれがよかったので妙に女にもてたがあの人のことをいいといった女はなぜかみんな南アメリカの女だった」とかわけのわからない話をして、すぐに話題を変えるのである。

だからもう、誰もジョーの話なんかしてなかった。

どんな人生を送ってきて、あのパブに流れ着いたのか、誰もわからなかったし、本当に共産主義者かどうかもわからなかったけど、ユーゴスラビアからクロアチアになったという歴史的な背景とか、その辺はよくわからなかったけど、人にも言えないくらいの、人にも言いたくないくらいの苦労をしてそれをくぐってきた人生だった、というのはわかる。もっといろいろ話を聞いてみたかった気もするが、周りが大変だったろう、と思うのも余計なお世話なのかもしれない。

ジョーさん、オリヴェルと黒沢年雄の素敵な歌を教えてくれてありがとう。天国でゆっくり休んでくださいね。








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