第一章 本間雅晴
「姫」がテロに失敗し、韓国当局に身柄を拘束された。「姫」の逮捕劇により、「北」によって拉致された人々の生存が確認された。
福井県警外事課の本間雅晴は、取調室ではない一室で、取り調べを行っていた。警部補の彼は警察庁から福井県警に出向している。もっとも、県警本部長を頂点とする自治体警察の刑事部と違い、外事・公安・警備を包括する警備部は事実上、警察庁警備局長を頂点とする。「情報のシャワー」を浴びられるのは一部の幹部だけで、捜査に靴底をすり減らす末端は、目的させ知らされていない。
本間は福井県警の地下六階の一室にて、日本国内で北へ協力する「土台人」の一人であるパクと〝話し“ていた。
「お前は日本の警察官だろう? 俺を逮捕しないのか?」
そう言うパクは小太りで、気持ち悪い坊ちゃん刈り、死んだ魚のような目をしている。
「逮捕? それはジブ(刑事部)の無能どもに任せておけばいい」
答える本間は洋風な顔立ちながら、凛としている。防刃チョッキの上に防弾チョッキを着用した筋肉質な体つきを、ワイシャツと上着で上手く隠せている。無論、ネクタイなどしていない。
「なあ、パク。お前は工作員の浸透を手伝ったんだろう?」
長い脚を組んだ本間が、マルボロの煙を吐き出す。何をやっても、絵になる男だ。本間とパクが座る椅子、それを隔てる簡素な机以外、何も無い無機質な一室。だが、本間が座って煙草を座っているだけで、水墨画のような美しさと荒々しさ、儚さと和が空間に満ちる。
「工作員連中は、皆こう言っている。日本に浸透するのは『タバコを買いにいくようなものだ』と」
「だとしたら、随分とタバコ代は高くついたな」
日本の諜報部員は、スパイ防止法の無い世界で戦いを強いられる。強姦罪無き世界で、レイプ犯に立ち向かうようなものだ。だから当事者は叫ぶ「暗殺せよ!」と。公安の精鋭部隊「ZERO」の一員である本間の手は、血で朱に染まっている。無論、悔いなどない。誇りでさえ、ある。
韓国における「姫」の供述以来、自衛隊の諜報機関である「別班」とZEROは、動き出した。パクの拘束もその一貫で、本間は“転び公安”で彼の身柄を拘束した。
「返せ!」
パクが叫んだときにはもう遅く、本間の手には彼のガラケーが。
「見られてマズイ記録でもあるのか?」
本間は片手でマルボロを吸いながら、もう一方の手でガラケーのログを探っていた。軽やかに動く本間の指、それは一つの乱数表に辿り着いた。その中の一文に、本間の目が吸い込まれる。
「『作戦名・アンナ』?」
本間が呟いた途端、パクは奥歯を噛み締め、仕込んだ毒を飲み込んだ。
「本筋か」
痙攣して死に逝くパクには一瞥もくれず、本間は部屋を出た。
ドアが閉まる音。「作戦名・アンナ」を巡る本間とフミの死闘、その号砲だった。