漫画「路傍のフジイ」における小さな物語

 私たちは日頃から人間関係に悩み、仕事で悩み、このままの自分でいいのかと、変わらない自分に対して悩む。自分を受け入れるのに時間がかかる。それまでに他者によって傷つけられ、己が不甲斐なさにのたうちまわり、やっとこさの思いで自分を受け入れる。しかし、その姿たるや昔自分が思い描いていた姿だろうか。そのような生きた現実を手に入れるのは少数派で、たいてい青年は裏切られ、オトナになる。オトナは消極的なオトナであり、能動的な大人ではない。大人は成熟した大人の姿だ。誰がみても彼は大人として見られ、その振る舞いは大人だ。
 「大人とは裏切られた青年の姿だ」かつて太宰治はこういった。そのような姿になっても私たちは生きなければならず、明日の階梯を登りはじめる。
 
 漫画『路傍のフジイ』におけるフジイはどこにでもいそうでどこにもいないキャラだ。いや作者はこのフジイというキャラを作ることによって現代社会に「裂け目」を企てる。やれ承認欲求だ、マウントだの、そんな人間関係とはフジイは無関係である。フジイはマイペースである。

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