デビッド・ボウイと生成変化
20世紀後半を代表する音楽アーティスト、デビッド・ボウイ。彼の軌跡を追えば、ジル・ドゥルーズが説いた「生成変化」の思想を体現する好例を見出すことができるだろう。
ボウイは常にスタイルを変え、ジャンルの垣根を越境し続けた。グラム・ロックの頃のアンドロギナスな姿、ブルーアイズでソウル・ミュージックに挑んだ時期、電子音楽と前衛芸術に傾倒した時など、彼のパフォーマンスは立ち止まることを知らなかった。ファッションやメイク、ステージングにいたるまで、あらゆる側面で変容を繰り返していった。
このたゆまぬ変貌とスタイル転換は、単なるマーケティングの戦術ではなかった。根本にあるのは「自己同一性の拒否」という強いコミットメントであり、ドゥルーズ的発想との親和性がうかがえる。ボウイは固定された存在としての「自己」を認めず、常に新たな相を生み出そうと試みていたのだ。
特に70年代後半の「ベルリン・トリロジー」では、ボウイにドゥルーズ的な生成変化の思想が現れている。この3作品では、ボウイのアイデンティティはすでに一つの完結した姿を持たない。ただ生成と運動のプロセスそのものが音楽となって現れているだけなのである。
そこにあるのは、個人的主体というよりも、はるかに大きな力の有りかであった。ひょっとするとボウイ自身が、非人間的な機械的リズムや合成された声、サイケデリックな演奏に飲み込まれていったのかもしれない。つまり主体そのものが解体され、生成の渦に身を任せていく様が音楽となって立ち現れていたと言えよう。
さらにボウイの実践は、あくまで常に現在に即して居続けようとしたことにも注目できる。過去の自身を否定し、これからを約束することさえ拒否した。こうした「それでもなく、これでもなく」とでもいうような生き方は、まさに出来事や強度に開かれた生成変化の実践そのものだったと言えないだろうか。
このようにみてくると、デビッド・ボウイはドゥルーズが生成変化の思想を体現した稀有な実例であったと評せよう。主体の解体、新たな存在様態の生成、そして出来事への開かれという側面で、ボウイはドゥルーズ哲学の軌跡を濃縮していたと言えるのである。