ドーモ3 カタジケナイ V.9.1.8 (2017/8/30投稿)
オジャマイタシマス(ヘンタイ)、テキサスオオノデス(ヘンタイ)。
クワシイジジョウハハブキマスガ(ヘンタイ)、ワタシハマチガイナクヘンタイデス(イエス!ヘンタイ)。
失礼いたしました。どうやら通信に障害があり混線しているようですね。
改めまして、お邪魔致します。シカゴ大学太田です。
先週の出来事ですが、テキサス大野先生がいらっしゃるテキサスヒューストンを中心に豪雨があり未曾有の洪水被害が起こっているようです。通信網にも弊害があるようでなかなか連絡がとりにくいのですが、どうやらテキサス大野先生をはじめ私の知人の皆さんはご家族を含め御無事なようで一安心しているところです。そんな折、北原編集長から「テキサス大野どうも3」の投稿が締め切りを過ぎても原稿が上がって来ないし、連絡もつかないとの報告がありました。阪神淡路大震災を震源地にて経験している私としましては、災害時の喧騒の中でのサバイバルの過酷さは承知しているつもりです。ゆえにテキサス大野先生との通信が正常に戻りブログを再開できるまでのつなぎとして、とりあえず私が「どうも3」を投稿させていただきます。(モシモシ・・・キコエ・・カ。)
今回はNの話です。心臓外科医にとって「症例数」というのはトレーニング中および独立後も常につきまとう事象だと思います。自身の評価および実力の構築において重要なことですよね。様々な要因により日本では心臓外科医一人当たりの症例数が少ないことが問題として取り沙汰されることがあります。また、文化の問題でもあると思いますが、症例数を語ることや比べることをタブーとしたり、「経験症例が多いと言ってもそれだけが重要なわけではなく・・・」「症例が少なくてもしっかりと学ぶことができ・・・・」など、誰に対してだかわからない気遣いの前置きをおくのが慣例化しているように思います。しかし、考えてみれば答えは簡単だと思います。研修医から大御所外科医までほぼ全ての心臓外科医が常に「たくさん手術をしたい」と思っており、それを原動力に日々精進しているという事実です。できるだけ手術はしたくない、でも心臓外科医を続けたい。こんな人はいないと思います。つまり症例数をたくさん経験するのが、良いことなのか、重要なことなのか、それほど必要なことでもないのか、などの難しい議論以前の段階として、純粋にたくさんの手術がしたいと心が欲している、だからたくさん手術できる環境を追い求める。非常に単純で理にかなっていると思います。臨床留学に関しては様々な難しい議論が存在します。しかし、もっと簡単に自身の心の叫びに従い実直に行動するのもいいのではないでしょうか。単純に症例数が多くたくさん手術経験ができる場所へ行く。アメリカなんでしょうか?ドイツなんでしょうか?タイなんでしょうか?アフリカ?日本?どこだっていいですよ。ただそれが私が思う外科医の原点である目の前の患者さんを自分の腕1本で救うことに繋がっていれば後の付属品は何だっていい。
(ホシイ、ホシイ、・・ボクモ・・シイ)
写真:今回はNの話です。私は革靴を一つしか持っていませんでした。かつ、日頃あまりスーツを着ないで手術着でウロウロしてるので革靴を履く機会が非常に少なく、よって靴を磨く機会も必然的に少なくなります。基本N=1でした。北原先生が来てからは北原先生の1足を合わせてN=2です。今まで約10ヶ月の間に北原先生の革靴を磨いたの3回です。各症例の間が長いのでその間にいろいろ机上での勉強研究を重ね、また自分の靴で実験および経験を積み、何か新しい機知を得た時にまた北原先生の靴を磨くというスタイルでした。3回目に磨いて北原先生に手渡した時、靴を見て「先生、靴磨きの腕が上がりましたね。」とお褒めの言葉をいただきました。自分でも実感がありましたが、いざ褒められると嬉しいものです。ふと思うと、もし三日連続で誰かの靴を磨いて3例を経験した場合と、上記のように試行錯誤の10ヶ月で3例経験した場合とでは3例経験後の私の靴磨きレベルは両者で違いがあったでしょうか?もちろん後者の方が実力が上だと思います。やはり症例が少なくても1例1例を大切にすることで十分実力を伸ばすことは可能なのでしょう。(マテマテ、チョットマテ、チョットチガウカモ・・・)
ん?混線の人がなんか言ってますね。。。。そうですね。この場合やはり単位時間あたりの症例数で換算すべきでしょうか。つまり前者は毎日1例x10ヶ月=約300例、後者は3例/10ヶ月。こうなると前者の方がいいような。。。3症例のトレーニングの結果で論ずるのか、10ヶ月のトレーニングの結果で論ずるのか、どちらが良いのか、正しいのか。何だか哲学すぎてわかりませんね。
で、本題の写真の説明ですけど、靴磨きのNを増やす目的で今まで持ってなかった黒の革靴買っちゃいました。動機はいつも不純です。
(オッパイハ?オシリハ?ネエネエ、オッパイハ?オシリハ?)
混線の人の執念のようなものを感じますね。この話題は「どうも2」で盛んに議論されていましたね。どっちも派?いいえ違います。確かにどちらも捨てがたい。しかしおっぱいとおしり、この2点を繋ぐウエストこそ至高です。つまりクビレ派です。前者2点の魅力はクビレがあればこそです!!
失礼しました。混線の主のヘンタイが伝染したようです。ではまた。
(クビレ・・・・・・)
*この記事は米国テキサスで心臓外科医をしている大野先生の特別寄稿です。全14回の構成ですが、投稿締め切りを全然守らない大野先生をサポートしてチームWADA副代表やメンバーも投稿しています。
大野先生のブログ:Cowboyかぶれのおっさん侍
テキサス大野先生とチームWADA副代表のおっさんずラジオ