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マハホリッチブログ V3.3.3.3.4(2017/6/14投稿)

お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

人間のそれを超える人工知能(AI)を開発した場合、その後人間は考える必要があるのかどうか?なかなか難しい問いだと思います。自分が下手に考えるより、自分より優れたAIに考えてもらった方がいいような気がします。野球の名監督が必ずしも野球選手として優秀でない(なかった)ように自分の実力を超えた人物をさらに成長させるのは可能なのでしょう。しかし、心臓外科における手術とその教育についてはどうでしょうか?これはやはり自分の実力を超えて直接指導するのは無理なのではないかと思います。私は術者としてまだまだ成長過程であり、加えて教育者としても全く未熟の域を出ていないと自己分析しています。そんな私の元で修行中の北原先生をいかに効率よく術者として仕上げるか日々研究しています。単純にはいち早く自分と同等の実力に引き上げ、独立した外科医として野に放ち、あとは自身で学び成長するのを期待するといった感じでしょうか。中でも「自身で成長する能力」というのは非常に体得が難しく、外科医として最も重要な要素だと認識しています。体得するものですらなく、生まれ持ったものを呼び起こすような感覚に近いかもしれません。アメリカでは教育過程の様々な局面で外科医としての才能がないことを理由にクビにしたり、他の道へと導くことが多々あります。温室栽培の日本での医師の教育や処遇を経験している私からすると、少々厳しすぎると思うこともありますが、私的にはこの「自身で成長する能力」のない人材は切ってもいいのではないか思います。アメリカの少々過保護すぎるトレーニングシステムは学問や手技の教育としては非常に優れていますが、この自己成長能力を軽視する傾向が見られるような気がします。故に、アメリカには優秀な教育システムを卒業後、ある程度の実力を持って独立してもその後全く伸びていないどうしようもない医師というものが多数存在しています。さまざまなことを任せることでフェローの実力が伸びるというのは事実ですね。自分で考えて苦労する時間が成長を促すということです。しかしその教育方法が通用するのはある程度の技術を習得している、かつ「自身で学び成長できる」能力を有するものだけです。私なりに観察、分析しますと、北原先生は、、、、。

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写真:先日の北原先生が「イタリア学会かこつけイタリア飯堪能イタリア娘研究」期間に投稿した、「怒涛の緊急地獄」のブログがありましたね。その内、真ん中の2症例は私の症例だったのですが、どちらもまあ結構大変でしたが、どちらも北原先生がほぼ全て執刀し、止血もおまかせコースでした。止血困難度からいえば中の上か、上の下といった感じでしたが、どちらも完遂してくれました。なぜ止血困難に陥ったのか研究し向学してくれていると思います。4例目の肺移植は3例目の解離の手術中に報告がきたのですが、私は「北原先生、好っきゃねー」といって笑っていたのですが、後に私もドナーの肺を取りに行かないといけないと判明し閉口しました。早くプロキュアメント専用AIロボットを誰か開発してください。

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