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ハチロー(さん) V.7.7.2.7.2.7.7. (2019/4/18投稿)

お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

先日、所用で日本に一時帰国する機会がありました。毎回帰国するたびに再認識するのは日本の「痒いところに手が届く」気の利いたサービスが素晴らしいということです。少々値が張っても日本の航空会社を利用して帰国するのもそれが主な理由です。帰国時、時間が許せばまず喫茶店に入ります。日本のコーヒーは美味しい。そして当たり前のように提供される”当たり前”のサービスが素晴らしい。極楽です。アメリカのそれが嫌いというわけではなく、それはそれで好きなのですが、「サービス」の根本的概念が違うので比べてどちらが好きでどちらが嫌いというものでもないのだと思います。ただ単に私は日本人特有のきめ細かい安心できるサービスが好きなのです。しかしながら、最近ちょっとした違和感を感じることがあります。例えばコンビニで、丁寧でマニュアル通りプラスアルファの感じの良い店員さん、そして物分かりの良い寛容なお客さんがいて、お会計などが滞りなく行われ一見何の不備もない完璧なコンビニでの一幕があるのですが、それを第3者的によく観察すると、そこにはお互い店員として客としてミスの許されない緊張感が見え隠れするのです。携帯やSNSなどのツールが身近なものとなり世界中へのBroadcastingが誰でも容易なものになり、昔でいう特ダネを狙う記者がそこら中にいる状態となり、一瞬のミスや小さな気の迷いが人生を左右するくらいの重大な「炎上」へと繋がる危険性をはらんでいるのです。その「炎上恐怖症」なるものがサービスにぎりぎりの攻めぎあいを生み出し、私の大好きな日本のサービスに影を落とし始めているのではないかと感じることがあるのです。気のせいでしょうか。

イチロー選手が引退しましたね。会ったことも話したこともないけれど、イチロー選手は明石家さんまさんと並んで私の心の師匠です。同年代であり、神戸にゆかりが深いことも関係しているのかもしれません。私は野球のことは全くわかりませんが、イチロー選手の一つのことを追求し極めようとするプロフェッショナルな姿勢に感化され、最初はファンとして、後にはフリークとして、最近は研究家としてイチロー選手が出演しているメディアを見まくって、できるだけ情報を集め、彼のプロフェッショナリズムを何とか学ぼうとしてきました。かれこれ20年近くそんなことをやっています。もはや画面に出たことのあるイチロー選手の言動に関してはご本人以上に私のほうが詳しいと思います。昨日の自分に打ち勝つべく何かを変化させ進化・向上させるために同じことを繰り返したり、何かの変化を嫌いいつもの安心を得るためにもしくは無駄を省くために同じことを繰り返す、さまざまな「繰り返し」をルーティンとし苦もなくこなしむしろ得意とする。会ったことも話したこともないけれど長年の研究をもとに、イチロー選手をそのようにプロファイリングしています。何か私と共通する性分を有している(ような気がする)。尊敬するイチロー選手と共通の何かを持っていたいと思う私の心がそのように解釈させるのか、もしくは画面を通した彼の背中を追いかけるあまり自然と自分自身が私の思う彼の性分に似てきてしまっているのか。そんなこんなで一方的に心の師匠と認定させていただいています。心臓外科医を志した時からその道の追求を続ける現在に至るまで、何か困難にぶつかったときは「心の師匠イチロー選手・さんまさんならどうするか?」そして実際の心臓外科師匠である「大北先生ならどうするか?」そんな風に自問自答し何とか答えをだして乗り切ることで今に至っています。そんなイチロー選手がバットを置き引退する、つまり私でいうところのメスを置いて手術をやめる、ってなもんだからこれは私にとっては上へ下への大騒ぎです。外科医同様ほぼ数字や結果のみで評価されるメジャーリーグの世界で数字うんぬんではなく引退を決意する思考過程や背景、今後の展望などいろんなことを是非ご本人から聞いてみたい!そう強く思いました。すぐさま研究開始です。今日のネット社会に感謝です。真夜中に行われたイチロー選手の引退会見がフルでネットにアップされていました。夜中に解離の手術が一段落して手を下ろし、西田先生が出血と格闘してくれている間に、とりあえず3回ほど観てみました。言葉ひとつひとつが非常に重く説得力がある。皆さんもぜひ観てみてください。一字一句そして彼の表情とその行間を読むように食い入るように観ていました。なんなら解離の手術以上に集中していたと思います。残念なのは1時間20分ほどの会見の間、その約半分くらいの時間は記者の人たちがどうでもいいくだらない質問をしており、視聴者の知りたいこと、というか私の知りたいことからかけ離れていたということです。一体どうやったら「イチロー選手引退会見」という歴史に残る場面、かつ一社一質問に限られた一世一代の大舞台で、あんな「つまらない飲み会で話すことがなくってなんとか話題を搾り出そうとがんばって、ちょっとした質問を思いついたけど、やはりしょうもなすぎるので言わないでこのまま沈黙の場を続けようと思う程度の質問」以下のレベルの質問をあの場でできるのか本当に疑問でした。記者のプロフェッショナリズムとはなんぞや?と思ったりもしました。私がもし質問することを許可された記者ならば、まず考えるのは事の核心をつきたいときに一問一答で本当の答えに行き着くはずがない、では一質問に限られた現場でどのように2問目の質問にこぎつけるか、まず思いつくのは法廷テクニックの一つである、、、話が逸れすぎですかね。というか私が何を言いたいのか本筋が全くわからん、とりあえず気持ち悪いイチロー愛のようなものはよくわかった、ってな感じですかね。まあ本筋というか会見を観ていてちょっと思ったのは、イチロー選手のインタビューはいつもそうですが、質問をよく噛み砕きよく考えて、言葉を一つ一つ選んで慎重にかつ端的に、そして割と理詰めで回答を行う。引退会見ではこの傾向がより顕著にでていたと思います。彼ほどのスーパースターだと不用意な発言は言葉じりを切り取られて真意とは違うように解釈され批判を生む。それを嫌というほど体験し、まして野球・ベースボールという自分がこよなく愛する事柄に関して誤解を生むのを嫌悪するため、穏やかに見える会見でも常にぎりぎりの攻めぎあいが見て取れたように思います。公の会見なので何でもざっくばらんに話せないのは当たり前なのですが、心の師匠(一方通行)イチロー選手の真意を画面を通した言葉でしか知りえない弟子の私としては、長年の間にマスコミがイチロー選手に落とした影を疎ましく思った会見でもありました。もっともっと聞きたいことが多すぎる。

そういう人は割りと多いかもと思いますが、イチロー選手の引退会見を観た流れで、他のイチロー選手関係の動画を観ていました。ほとんどが何度も観たことのあるものでしたが、もう一度総復習してました。ゆえに引退会見からこのブログを書き出すまでに1ヶ月くらいかかってしまいました。ドキュメンタリーからみのもんたナレーションの珍プレー好プレーそして古畑任三郎まで大体網羅したと思います。古畑さんが今泉さんに「イチローなんて呼び捨てにすんじゃないよ、イチローさんって呼びなさい!」と言っているのをみて、そうだな選手を引退したらイチロー選手ではなくイチローさんだな、なんて感慨深く思っていました。とにかく、この1ヶ月はイチローさん一色でした。。。。いや実を言うと確かに西村京太郎トラベルミステリーや十津川警部シリーズに寄り道はしてました。同じシリーズを違うテレビ局が違う俳優陣で同時に放映するという一体裏にどのような事情があるのかなと思いました。ぎりぎりの攻めぎあいですかね。ま、余談でしたね。

最近、ルービックキューブを手にする機会がありました。小学生の時以来です。小学生のときはそれにハマッていたといいつつも何とか自力で1面合わせて、たまにまぐれで2面合わせられる程度でした。私のいとこが自力で6面すべてを合わせることができた時も、私はそれは自分には無理だと、なんら対抗心を燃やすこともなくそのままブームは過ぎていきました。当時はネットも何もない時代ですから、6面そろえるには自分で考えるか、本屋さんで解説書を探すかぐらいしかオプションがなかったと思います。しかし、確かに当時の自分にはハードルが高かったとは思うものの、そのどれもやらなかった。今の自分は小学生の時にくらべ問題解決能力が上がっている、もしくは平たく言うと身近にインターネットがあるので現在の私は一味違います。ものの3分ほどで6面そろえちゃいました。本当にネットの力は偉大だ。そしてネットの世界でも日本人の至れり尽くせり具合はすばらしい。英語のサイトに比べて日本語のサイトは本当に親切で分かりやすく図解に沿って進めるとすぐに6面そろう。結果的には5-6パターンのまわし方を覚えることで、6面そろえることができるという最終的な回答を得ました。今では何も見ずに3-5分もあれば6面揃えることができるようになりました。すごい達成感!と思いきや、そうでもない。むしろ何も基礎や理論・過程を理解しないまま正解回答だけを覚えてしまい何か大事なものを体得していないような気がする。今の自分は確かに6面を簡単に揃えることができる。しかし、小学生のとき2面を揃えていたときはもっといろいろ考えていたと思います。なんだかちょっとしたパラドックスです。

さて、本題に入っていいですか?今日のネット環境は確かにすばらしい。もはやどんなに「新しい」ことを自分が始めるとしても、ネットをみればもうそこには懇切丁寧に解説・正解回答がすでにあるのが普通です。情報があふれるがゆえに、何かを学ぶときにはすぐに回答まで行き着き、たとえば従来なら何年もかかる下積みにより得るものの存在すら知らずにできた気になってしまう。物事を本当に極めたいときにこれは危険なのではないでしょうか。おそらく幼少のころより野球というルービックキューブに向き合い一つ一つ自身でいくつもの難関を乗り越え積み上げることにより、とっくの昔に3x3のルービックキューブの枠を乗り越え、進化しつづけ今では12面体ルービックキューブあたりを極めようかと邁進していたイチロー選手にとって、積み上げているものを理解できない、そして3x3が野球の頂点だと思い込みその「結論的な正解回答のみ」を期待して質問をぶつけてくる記者や世間に対して、理解することが不可能な人に対し説明不能な事柄をどのように伝えるべきか、ぎりぎりの攻めぎあいに見えたあの引退会見ではそんなことを考えていたのではないか。3回目観たあたりでそう感じました。心臓外科を学んでいる私は自分がどのような道を経て来たのか、また今どのような道を通っているのか非常に気になります。心臓外科を手っ取り早く学ぶにはどうすべきか、米国でフェローしたらいいのか、まずは目の前にいる患者さんをしっかりと診るのが先決だ、でも手術も学びたい、流れに揉まれながらもいろいろ考えて積み上げてきたつもりではいます。しかし、「手っ取り早く」なんて言って学ぶことに効率を求める私は何かを見逃しているのではないか。最近、常にそのことを考えています。個人的にはルービックキューブなら別に正解回答までショートカットしてもいいし、基礎ができてなくても何とも思いません。パソコンを使うのに MSdos言語を理解していなくてもなんとも思いません。しかし心臓外科の領域においてはすべてを積み上げた上で手術に臨みたい。そういう風に思っています。そうでなければ3x3ルービックキューブが4x4になっただけで全く対応できない。昨今の心臓外科領域でも教育・留学情報があふれ、今話題の働き方改革の波にも乗り、以前より「正解回答」だけをさっさと習得しやすい環境にあるのは間違いないと思います。かく言う私自身もその恩恵に受けている一人だと思います。それが悪いとは決して言わない。むしろ最大限に利用すべきだと思います。イチローさんが今まで積み上げてきたことをそっくりそのまま新しい誰かが今から真似して繰り返すのは決して正解ではないような気がします。ただ最先端のテクノロジーを含め利用できるものを最大限に利用し効率的に能力を伸ばす一方で、地に足をつけて泥臭く何かを積み上げる作業はいつの時代でも必要不可欠ではないかと思うのです。

普通のことを言ってると思うのですが、どうですかね?

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P.S. イチローさん、本当にお疲れまさでした。もしよければシカゴにお立ち寄りの際は飯でも一緒にいかがですか?美味しいレストランを予約しておきます。ご連絡お待ちしております。よろしくお願いいたします。

太田。

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