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ノラガミ設定考察 終レポート 完全版④

⭐︎考察⭐︎
夜トがそもそも害虫の蛾の性質を持つところに、春の木の椿がやってきて、普通は毒蛾のチャドクガになってしまいそうである。しかし、夜トが雪と名付けたために、雪/シルクの蛾で蚕の性質を得て、さらに生前の境遇とも合致した。ついで、雪椿とも繋がり、花言葉「変わらない愛、わたしの運命はあなたの手に」となって、夜トの唯一無二の祝になったのである。蚕はコメであり、米から作られる酒、つまり香り椿の「祝の盃」にも通じる。
 夜トと雪音はともに、害虫の蛾が美しい蚕へと進化する過程を表していると考えられる。雪音が父親に殺され、あるいは夜トが父様に殺されそうになったことも、殺され糸となる蚕と符合する。何より、お互いが存在しなければ、雪の蛾、蚕にはなれなかった。2人でひとつの蚕神(蚕の神)であり、2頭でひとつの玉繭なのである。そして、蛾が蚕に進化する過程には人の手で家畜化された背景があり、よって人間のひより/紙縒/縁結びの水引が2人の間を取り持つのである。また、ひよりがくれたお社には、夜トと雪音が前後に描かれており、2人で一つの小さな社に住む様は、蚕が2頭で一つの蔟に入る様である。蝅、䗞、蠺は蚕の異体字である。
 もうひとつ、人間の手が加わるべきなのは、繭は早く茹でるか冷凍して中の蚕を死なせないと、繭が汚れて使えなくなることがあるのである。それは、蚕が生まれてすぐに蛾尿をするからであるが、もうひとつ理由がある。玉繭の中身がオスとメスであった場合、玉繭の中で羽化した二匹は繭から出ることなく、繭の中で交尾して、繭の内側に卵を産みつけてしまうのである。こうなると繭/シルクの活用は絶望的である。もし雪音が、姉に会いたい一心で飛んでいった時、そこにひよりがいなければ、魔と化した雪音が姉と一緒にいたいがためにとり殺していたかもしれない。蚕はオスが小さく、メスが大きい。ゆえに雪音は弟だったのだ。しかし、人間のひよりの存在で、雪音は姉とひよりの遭遇が嬉しくなって魔を忘れたので、雌雄玉繭の悲劇は防がれた。そして、夜トのお守りである雪/シルクの印を握りしめて、雪音は夜トを選んだ。姉も父様も雪音を呼んだが、雪音は夜トの呼び声に応えた。即ち、雪音は夜トの深い憐憫(手厚い埋葬)を知り、死を受け入れて、夜トともに彼岸にある道を選んだ。雪音は夜トと共に死を受け入れ、冷凍された玉繭のように、2人の玉繭はシルクになった、蚕神になったのである。
 だが同時に、雪音と夜トがあまりに相性がよく成長すると、玉繭の2人は蚕が羽化して繭を内から引き裂くように、天の象徴でもある絹織物/機織り神/天照を引き裂くように、天を引き裂く運命を持つ者になってしまったのかもしれない。蚕の口は物を食べることはできないが、繭を溶かす物質を出して穴を開けて出てくる。天が2人を引き離し、雪音は石棺に入れられたが、これが雌雄を引き離す割愛であるなら、箱に入れられた雪音は産室に入れられたメスである。オスは引き離されると、メスのフェロモンを探して激しく羽ばたき、追い縋ろうとする。夜トの本性が出そうになったのはこのせいかもしれない。とはいえ、成虫がちゃんと繭から出てきさえすれば、繭は引き伸ばして真綿にし、紬糸として引き出すことができる。
 夜トと雪音は玉繭、双子。ということは、雪音の心が苦しみと憤りに支配されて、莠/チャドクガのように糸と網を生み出すようになったのなら、それはもしや、ヨトウムシである夜トの本来の姿と限りなく近いのではないだろうか。雪音が天に石棺/蔟に入れられたとき、夜トが表しそうになった本性、本来の姿である。タケミカヅチと黄云がそっくりな姿と能力を持つように。天に対なす網、とは実はヨトウムシの夜トであると考えられる。父様が求める天を討つ神の姿とは、作物と養蚕の神に相対する、全ての作物と人を食い荒らす絶対の病害虫、チャドクガやヨトウムシだったのである。しかし夜トが反抗したため、雪音/蚕/コメを貶めて莠/アワの原種のエノコログサに貶めて、同じ効果を得ようとした。父様は雪音に莠と名付けたとき、より夜トに相応しい姿と力の神器にしてやろうくらいの気持ちだった可能性がある。エノコログサは「遊び心」の花言葉通り、ディスタフの形状どおり人の善意/繊維を絡め取って弄び、毒の糸を紡ぎ、捻れた正義は暴力となって人の心を蝕んだ。その後、雪音をも父様に逆らったため、父様は自ら鼠の力で世界を穴だらけにし、ペストのようなヤスミを生きた人にばら撒いたのである。
 モノクロだったので夜トの瞳の色がわからないが、本性を表しそうになった夜トの目の色が変化した様子があったので、赤くなっていたのでは?と思う。ならば父様サイドな莠の目が赤く描かれていたので、夜トと雪音/莠はますますそっくりになっていた可能性がある。父様に夜トや人間を害するように怒鳴られて苦しむ姿は、盗みを命じられて苦しむ生前の雪音だけでなく、人狩りを命じられて苦しむ夜トの姿と重なるものがある。
 父様の相応しい姿に変える力によって、夜トが幼くなったことも害虫ヨトウムシの幼虫の姿と通じる。しかし、雪音は莠/イヌコログサの性質を逆手にとって、狼/大神となって夜トを守ろうとした。雪音は夜トに懺悔し、受け入れた夜ト/ヤボクは狼を飼い慣らして犬とし、太古に放牧を行ったもの、羊飼いのヤコブとなったのである。ヤコブは次々と叔父の羊を自分のものとした。雪音も野良も結局夜トに味方した。誰もついてこなかったダメンズの夜トが、雪音を想う心を得て変わり、まるで狼を味方につけて犬にした羊飼いのように、誰もが彼の群れの羊となって味方する存在に変わって行ったのである。
 かつて、キレたナイフのような狼少年(嘘つき)だった雪音を飼い慣らして心を通わせ牧羊犬とした夜トは、荒野を彷徨って拾い食いする人間から、豊かな羊飼いへと変わって行ったのである。ヤコブこそはイスラエルの名の始まりであり、聖書の原点である。
 夜トは羊飼いヤコブであり、その名を冠したジャコブ羊である。雪音は夜トの牧羊犬であり、ジャコブ羊の食べ物である栄養価の高い牧草のエノコログサである。そしてひよりは、ジャコブ羊の牧草を害するネズミな父様を退治する、鋭い爪をもつもの、猫なのである。

 蛇足だが、雪音が夜トを守るため、勢い余って毘沙門天を切りすぎてしまったとき、後悔して泣く姿は、間違って人間を噛んでしまって凹んでいるワンコそっくりである。兆麻にあのワンコ雪音に死ねと言えるか訊いてみたい。死ねばいいと言った後に目があって後悔するのだろう。

 とはいえ玉繭には常に問題がつきものである。結局、雪音は小さく、夜トは大きいのである。最初はオスがメスに惹かれるように、雪音の方が見捨てずに救ってくれた夜トに執着し、いっぽう黄泉に行った夜トはどことなく雪音の気持ちを信じきれないでいた。その後、夜トは雪音に自分の祝でいてくれるかと問い、雪音はその想いに応えて夜トに人を殺させないと誓った。夜トは人に仇なす害虫ではなくなるはずだった。しかし今度は、雪音を守るため、夜トの方が代替わりして小さくなり、雪音に育てて欲しいと思ってしまうのである。果たして雌雄の決着はどうなるかと思っていたら、巨大な狼の雪音に小さな夜ト、これが2人の心の本来の姿だというのである。
 結局、夜トが神、雪音が娶られるエルサレム。雪音はディスタフでもあり、夜トを尻に敷いて、真面目に働けと、スリッパで殴るのである。ちなみに、女性の仕事初めのディスタフデイが1月7日なら、男性の仕事初めの日は、女性より数日遅い。早く真面目に働けと主人を叱咤する為の道具、それが雪音の一番の性質かもしれない。
 ちなみに、1月7日のディスタフデイは、男女がイタズラし合う風習もある。最終回1月6日の翌日、雪音とひよりが再会したことを後悔するくらい、夜トが何か盛大なイタズラをしそうな気がするばかりである。
 


・蚕蛆/カイコノウジムシ 蚕が桑の葉を齧ると、ヘキセナールという青臭い香り成分が出る。この香りに惹かれて蚕蛆というハエ(一応書くが蛆はハエの幼虫)や、寄生蜂がやってきて、桑の天敵である蚕に卵を産みつける。または葉に卵を産みつけて毛虫に食べさせる。桑の防衛法であり、他の毛虫に食べられる植物も同様の戦術を取る。稲作などの農業において、毛虫に卵を産みつけて殺す寄生蜂や寄生蠅は益虫である。一方養蚕においては天敵であり、寄生した蚕蛆は蚕の体を食い破って出てくる。蛹が死ぬのはもちろん、繭も穴が開けられてしまい絹糸は取れなくなるため、真綿とする。蚕は対策として、葉を齧ると同時に口の絹糸腺から出した粘液を断面に塗り付け、香り成分が出ない様にする。
 妖がイイニオイ、と言っていたのは妖が蚕蛆や糸片虫、寄生蜂の要素を持っているからという可能性がある。
 また父様はしきりに妖を人に取り憑かせ、事故に遭わせて殺したり、犯罪へ誘っていた。これも寄生的な要素である。
・イザナミ 神々の中でこれほど蛆と縁が深い存在は無い。イザナミが作った筆を用いて父様は妖、すなわち蛆を生み出して人々に害をなしていた。イザナミが筆を作り、その姿がひより/紙縒であったのは、筆と紙の関係を思わせる。
 寄生蜂や寄生蠅は非常に種類が多く、ほぼ全ての昆虫が何らかの寄生昆虫の標的になっている。また寄生蜂や寄生蠅自体が、他の種類の寄生蜂や寄生蠅の宿主にされることも多い。
・刺す 神器が後ろめたい思いを抱えると主人を「刺して」しまうというのは、寄生蜂が宿主に産卵管を突き刺して卵を産みつける様子に由来する可能性がある。後ろめたい罪悪それそのものが、蚕や益虫たちに潜む蚕蛆であるのかもしれない。

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