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六甲全山縦走をした話

さて、いきなり二つ目の投稿ですが、私の過去の話を、、

六甲全山縦走をご存じですか??
港町、神戸の北側にそびえる六甲山は最高峰として931mですが、山としては西神戸から宝塚まで連なっています。この山々を端から端まで縦走するのが、六甲全山縦走です。
距離にして約47km、累積標高3000mという都市ハイキングの領域を超える山歩きです。
私がこれを実行したのは今から5年前の2019年でした。当時高校1年生の私が全山縦走した様子をまとめてみます。画像に関しては、当時のものが少ないのでその後に訪れたときのものも含みます。


当時の経路とコースタイム

ヤマレコ記録

須磨浦公園駅(0m) 6時03分
鉢伏山(246m) 6時17分
旗振山(252m) 6時22分
鉄拐山(234m) 6時30分
おらが山・高倉山(212m) 6時37分
栂尾山(274m) 6時56分
横尾山(312m) 7時04分
東山(253m) 7時22分
高取山(328m) 8時17分
菊水山(459m) 10時07分(8分休憩)
鍋蓋山(486m) 11時01分
市ケ原(240m) 11時36分
摩耶山(702m) 12時40分
六甲ガーデンテラス(876m) 14時19分着 (24分お昼休憩) 
六甲最高峰(931m) 15時19分
水無山(804m) 15時42分
大平山(681m) 16時14分
譲葉山(514m) 16時52分
岩倉山(488m) 16時58分
塩平寺(352m) 17時11分
宝塚駅 17時49分

【ヤマレコによる記録】
コースタイム:11時間47分(休憩32分)
距離:47.6km
登り:2992m
下り:2946m
山行記録:https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2522136.html

須磨浦のハイキング

過酷登山の始まりである、須磨浦公園へ

須磨浦公園へは山陽電車で行く(画像は昨年初日の出を見たときの銀脱)

 山陽電車(始発の直特は阪神車が充当されます)に乗り、海が見え始めたころスタートである須磨浦公園駅にたどり着きます。

須磨浦の石階段(初日の出時)

 ここから縦走路に入り、海抜0mから標高246mの鉢伏山まで整備された石階段を登っていきます!!
この階段、とても整備されていて歩きやすいのですが、足にきます…
この写真は初日の出を見たときのものですが、全山縦走時は3月の朝6時だったので、薄明時間で空は明るくなり始めていました。須磨浦は、一ノ谷として有名な場所ですが、1957年には須磨浦山上遊園地が作られ、登山道のそばにはロープウェイとカーレーターが通っています。ここのレトロさ好きなんですよね!

日の出(全山縦走当日の鉢伏山より)

この石階段を登ると、朝の日の出が\(^O^)/
この写真は全山縦走当日のものです。元旦の初日の出に負けない美しさでこれから行く修行道のお出迎えをしてくれたことは今でも忘れません。
一つ目の山、鉢伏山(246m)に到着!

須磨の稜線

この先は、歩きやすいハイキング道が続きます。
二つ目の山である旗振山(252m)を通過して、鉄拐山(234m)に寄り道します。このあたりは、地域住民と思われる方によく遭遇します。山が近い神戸ならではの光景です。


おらが茶屋と高倉山

さらに通過していくと高倉山(212m)に到着します。この山は公園のように整備されており、ラジオ体操をされる方も見られます。今は経営者が変わりましたが、おらが茶屋の特徴的なカレーは名物でした。ここで経営されるようになったのは震災と関連があったりします…今は新しい方が励んでおられます。この茶屋を超えると、階段が現れ住宅街まで激下りします。

高倉山の歴史を伝える石碑、後ろにはニュータウンが見える

なぜそれほど激下りの階段が現れるのか??
 
それは、この山が宅地造成のために開拓されたからです。神戸市はニュータウン開発として1964年よりベルトコンベヤで土を運び、名谷、西神といった大規模開発を進めてきました。その一つがここ高倉台だったのです。ここは1973年に街びらきが行われ、その土はポートアイランドの埋め立てに使われました。いやぁ山から見るとほんとすごい規模だと実感します。さすが、株式会社神戸市、「山、海へ行く」という言葉からもその規模をうかがえます。

須磨アルプスと高取

400段以上の階段がそびえたつ

 さて、一度住宅街に降りるわけですが、今回の目的は六甲全山縦走です。すなわち、また山を登る必要があります。西六甲は、住宅街も多く、登ってはおりてを繰り返していくことになります。高倉台からの登りも同様で、400段以上の階段を急登します。一応、これを回避するルートとして登山家加藤文太郎からとった文太郎道がありますが、こちらも急登であることには変わりありません(階段じゃなく、土と岩になるだけ)
登りきると、栂尾山(274m)に着きます。ここは展望台が設けられており、大阪湾を一望できるのが良いですが、この場所なぜか蜂が多いんですよね.…

横尾の岩場

少し歩き、横尾山(312m)を通過したあたりから岩場が増えてきます。ここから先の場所は須磨アルプスという名で有名で、都市の近くにある岩場としてはかなりの迫力があると思います。その分、滑落してる人や道迷いなどで救助ヘリをよく見かけます。ここに限らず六甲はなめてはいけないと痛感します。

須磨アルプス
馬の背

 何度きても、この場所は美しくかつ怖さもあります。子供たちが訪れることもある初心者向けコースらしいですが、正直怖いです。なにより、馬の背と呼ばれる両端が切り立った崖の稜線を歩くときのドキドキは止まりません: (´・ω・`):コ、コワイ
神戸ってすごいですよね、これが住宅街から30分弱で行けるんです。
そこを超えれば、東山(253m)に到達、ここからは横尾団地へ向けて整備されたハイキング道を下ります。このあたりでの調子はまだまだ元気というか、岩場を通過したことで交感神経が活発になっていました笑

下ったあとはしばらく住宅街を歩きながら高取山の登山口を目指します。
高取山への登りは他と比べると楽でした。

高取山

4つ目の山、高取山(328m)は山頂に高取神社があり、参拝客もチラホラ
この山を下ると鵯越に向かって丸山の住宅地を踏破します。ここの街並みが芸術的で、神鉄から見ると見とれてしまいます。バラックリンというバラックを改修した施設もあり、興味深い地区です。もともと、神戸電鉄の線路を敷設するために働いていた朝鮮人労働者がこのあたりに住んでいたからだとか。神鉄に乗るたびに頭が下がります。

菊水・鍋蓋 急登地獄

菊水山への急登を振り返って

 鵯越駅を横目に登山道へ入ると、整備された道が続いており、アスファルトの舗装がなされた場所では大きな施設が山の中に現れます。そこは、鈴蘭台下水処理場と呼ばれる施設で北区の北鈴蘭台以南の下水を処理しています。この北区は、神戸市でありながら地形上複雑な下水処理で、北鈴蘭台以北、大池以南では加古川上流の下水処理場まで、それ以北は武庫川上流下水処理場まで運んでいます。
少し歩いたところには、神鉄の菊水山駅があり、もともと下水処理場の職員が利用していました。2005年に休止、2018年には廃止となりましたが、今も登山道に駅への入口があります。

それはさておき、これらを超えると菊水山への急登が始まります。ここは全山縦走の中でもキツイ場所の一つで、この時もかなり息が上がりました。

菊水山山頂(別日撮影)

 急登の先にあるのが菊水山(459m)です。この山、山頂にはNTTの電波塔があり、これと石碑がシンボルとなり迎えてくれます。当時の自分はここまで休憩なしで4時間歩いており、急登がトドメとなって8分間休憩していました。いやぁ菊水の登りは単体でもしんどいんですよ!
この山は、北区側から上がると楽だったり、上級者向けの菊水ルンゼがあったりと、多彩な顔を持つ山です。ちなみに、私は六甲山系で一番好きな山です笑

鍋蓋の急登を振り返って(別日撮影)土砂崩れの後も

菊水山からは隣の鍋蓋山へといくわけですが、一度数百メートル下って有馬街道を吊り橋でわたり、もう一度同じ高さまで登らなくてはいけないのです。
あーキツイ、そう思っていると、菊水山の斜面が数百メートル以上崩落していました。ここは、2018年7月、中四国地域に甚大な被害をもたらした西日本豪雨の被害箇所なのです。登山道のすぐ脇から斜面が崩れ、有馬街道の直前まで到達しました。2019年に六甲を歩いていると至る所で土砂災害のあとが見受けられました。しかしながら、過去のように都市部で甚大な被害が起きませんでした。阪神大水害、S36,42の水害を経験し650基以上もの砂防堰堤をつくり、防災に尽力してきた神戸市の努力が垣間見える登山でした。

鍋蓋山(別日撮影)

さてそんな急登も落ち着いて、10分ほど歩くと鍋蓋山(なべぶたやま)の山頂が見えてきます。鍋蓋山(486m)は稜線がなだらかで、確かに鍋の蓋のようでした。このルートでは通りませんが、付近には修法が原と呼ばれる池や外国人墓地があり、近代の神戸を作った外国人の方々の墓があります。外国人という話でいくと、六甲登山を始めたのももともとは外国人でした。今から100年前に鍋蓋の隣、再度山にサインブックを置き毎日ハイキングをしたことから市民へも六甲登山の文化が広まったんです。今でも毎日登山発祥の地として、茶屋跡に石碑があります。

 そして、全山縦走が行われるようになったきっかけは、須磨アルプスの際にもご紹介した加藤文太郎という人物からです。彼は、小説「孤高の人」の主人公で、単独登山家としてパーティーを組んでも難しい山々に挑んでいきました。全山縦走は、彼が須磨から宝塚までをわずか1日で往復したというエピソードにちなんでなんです
片道でも疲弊するのに往復とはほんと化け物や!

六甲の水害を伝える看板(別日撮影)

鍋蓋山から下り、再度山を通過すると、市ケ原と呼ばれる場所に着きます。ここには茶屋があるほか、堰堤で庭でせき止められた川があり、多くのレジャー客で賑わいます。
このときも焚火をしていたグループがいました!
新神戸から1時間で来れる場所なので訪れやすいのでしょう。

摩耶・六甲最高峰へ

 さて、市ケ原を超えると稲妻坂とかいういかつい道が現れます。その名前の通り、ジグザグに登り続ける道です。その次は、天狗道、ゴロゴロ坂と面白い名称が続きます。ただ実際には500m程度登っているのでかなりしんどいです。さらには、正午をまわったあたりから日の入のことを気にし始めました。14時半までにガーデンテラスに着いていなければ下山することを決めていました。加藤文太郎のように単独登山でしたので、ナイトハイクはリスクがあると判断していました。まぁ当時高校生なんで…
平坦な場所では、少し小走りをしながら進み702mの摩耶山掬星台へ着きました。

摩耶山掬星台から神戸の街(別日撮影)

ここからの景色はとてもきれいで、1000万ドルの夜景とも称されています。(それだけ電気代使ってんだよなぁと夢のないことを考えたり…)
本当は休憩を取りたかったですが、自販機で水分だけ補給して、ガーデンテラスへ急ぎます。
見えてくるのはアゴニー坂という下り、苦しいという意味のagonyに由来しており、距離は短いのですが膝にくる下り坂でしたね。
六甲の山々では、このほかにもカスケードバレーやトゥエンティクロス、アイスロードなど外国人が命名した道が散見されます。

石階段が続く

 一度、舗装された道へ出たのち標高を稼ぐため、石階段の道が現れます。この階段が何気にしんどくて、体力というよりは精神的に疲れてきます。
長い階段とハイキング道を抜ければ、また舗装された道に合流し、六甲山町の街並みとゴルフ場など、六甲山が開拓された山であることをうかがえる場所が現れ始めます。これらすべてが、グルームという一人の外国人によって始まり、影響された人々がやってくるというなかなかカオスな場所です。

六甲ガーデンテラス(別日撮影)

 登った先には、なにやら西洋風の建造物が見えてきました。ここは、もともとホテルでしたが、2003年に六甲ガーデンテラスとしてオープンしました。六甲枝垂れやジンギスカンなど多くの観光客が訪れる場所で、経営は阪神電気鉄道が行っています。最近では、近くにあったアスレチックがフィッシャーズとコラボして一大観光地になりましたね。
さて、当時の自分はここまで10分だけの休憩で、8時間近く歩き続けていました。さすがに疲れたのと、目標であった14時30分までにつけたので、昼食をここでいただくことにしました。過酷登山をしていますが、お昼は観光地でうどんを食べるという謎めいた時間でした。うどんは提供速度も(自分の食べる速度も)早く、30分弱程休憩して歩き始めました。
目指すは六甲最高峰931m(クサイ)へ!

六甲最高峰931m

 歩き続けること30分強、六甲最高峰(931m)にたどり着きました。
須磨を出て約9時間、普通の登山であればここで達成感に満たされるのですが、六甲全山縦走は違います。ここから東六甲を下って宝塚まで行くことが目的なのです。正直、私は焦っていました。なぜなら、ここから宝塚までは普通に歩けば3時間半程度はかかる、しかし、日の入り時刻は18時、現在が15時20分と日の入りまで2時間半程度しかなかったのです。ライトは持っていましたが、さすがにナイトハイクは避けたい、その一心で舗装路と平たんな道は走りました。

日の入り迫る東六甲

 ここまでの西六甲と違い東六甲は不安になる要素が散在しています。まず、私自身が東六甲は2度目で歩きなれていないこと。もう一つは東六甲自体、登山者が少ないことでした。
最高峰から基本的には下り続ける一方ですが、時折登りも現れます。
なにより、
この東六甲は全体的に西六甲に比べて深い山になるので鬱蒼としており暗い!
特に大谷乗越という場所の近辺では植林により木々が生い茂っており、日没後のような暗さでちょっと怖かったです。下の町が見えた時にまだまだ小さくて、絶望したことは今でも忘れません。
岩倉山(488m)まで下ったころ、やっと宝塚が射程圏内に入ったことを実感しました。ここから10分下れば、お寺に出る、あとはコンクリートの舗装路だと安堵しておりました!!(このときは)

正直、ここまでかなり飛ばしてきたので、足への疲労はかなりたまっていました。夕方17時11分、歩き始めて11時間が経過したとき、塩平寺に到着しました。2時間ぶりのアスファルト、人間、それに感動して日の入までに下れたことで高揚感に満ちていました。

出会いとゴール

すると後ろから赤い服を着たおじさんが走ってきました!!
ん…どこかで見たことあるぞ、と思ったら、朝、須磨浦公園で同じ電車を降りて、途中まで追い越しては追い越されを繰り返していた方だったんです!
彼も日の入を気にしていたのでしょうか、、走って私を追い越していきました。
なんともこの11時間の軌跡を振り返るようで少し感動したものです。

さて、ここから舗装路とはいえ350mくだって宝塚駅を目指します。
この道ナメてました!めっちゃ膝に来ます。昼のアゴニー坂とは比べ物にならないレベルでした。

宝塚駅

そんな坂道を下り続けると、温泉街になり武庫川が見えてきました。そしてついに、宝塚の街並みが私の眼前に広がりました。
あのときの感動は当時高校生だった私にとって忘れられない1シーンとなりました。ほんと、これをもう一回往復しようなんて考えた加藤文太郎はぶっ飛んでるわ!

結果的には舗装路になる塩平寺まで2時間弱、宝塚まで2時間半という理想的なタイムで乗り切りましたが結構ギリギリでした。このあとは宝塚から少し離れたところにある「宝の湯」さんへ訪れて、足の疲れを癒してきました(結果的に翌日は足が使い物になりませんでしたけどね)

私がなぜ六甲全山縦走をしたのか

 では、当時高校1年生だった自分がなぜ単独で六甲全山縦走をしたのか!
きっかけは、ひよこ登山会のサイトから六甲全山縦走なるものがあると知ったことから始まります。もともと、山歩きが好きで六甲山には入り浸っていました。近くの山に入っては、魚を捕獲していたわけですが、このサイトを見るなり挑戦してみたいと思ったのです。公式大会での最年少は12歳らしく、自分もやったろと奮起したわけですが、お金がかかるので大会に出場することは考えませんでした。そこで、個人でやれば良いじゃんと思っていた時孤独登山をしてきた加藤文太郎の存在を知ります。

 彼のようにやってみようと週末になったら山へ行き、歩きなれるため登り続けていました。10kmほどの山道から、次第に25km超えの半山縦走となり、高校生活の1年かけて全山縦走を成し遂げました。
 私は、中学時代不登校でしたので、人と関わることに苦手意識を覚え、部活動にも入っていませんでした。しかしながら、アドレナリンを分泌したかったのか登山にハマったというわけです。
実は、中学卒業時には65kgとわりと太っていたのですが、いつしか50kg台となり、21となった今でも中学生時代より軽いという状態です笑

全山縦走は私にとって、生きる意味を見つける最初の一歩だったのかもしれないと感じる今日この頃です。なんか、だらだらと書いていたら7000文字近くになってしまいましたが、ありがとうございました。

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