幹部自衛官から起業し、パラレルキャリアを歩むキャリアの作り方
プロフィール
秋田泰志さん
現職:株式会社株式会社SAKE-IRODORI 代表取締役、株式会社Beyond 新規事業開発チーム
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊3等陸佐
経歴
ーー本日はお忙しい中、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、秋田さんの経歴を教えていただけますか。
秋田さん:自衛隊の経歴でも、私の場合は結構特殊です。2003年に防衛大学校を卒業し、幹部候補生学校入校後に武器科職種の幹部として大分県玖珠の戦車整備部隊に配属されました。幹部初級課程(BOC)入校中に部外の大学院の入校を打診されました。
BOC卒業後に東京工業大学大学院で無機材料を専攻し、博士の学位を取得。そのため、結果として部隊経験は5ヶ月しかなかったのですが、大学院卒業時には1等陸尉に昇格していました。
大学院卒業後は相模原にある陸上装備研究所で技術試験などを担当。2014年に技術高級課程(TAC)を卒業し、開発実験団本部の計画幹部、陸上幕僚監部人事部の補充係、幹部学校の教官などを経て、防衛装備庁技術戦略部の企画調整専門官として勤務しました。
20年後を見据えて必要な防衛装備の検討や企業との連携などやりがいもあったのですが、今後の自分のキャリアを考えた結果、2022年に自衛隊を退職。株式会社SAKE-IRODORIを設立しました。
日本酒学講師、国際利酒師、焼酎利酒師の資格も取得し、日本の酒文化を国内外に広める活動を行いつつ、2024年からは株式会社Beyondに参加し、地方創生やインバウンドマーケティングに従事しています。現在は、組織の仕組み作りや新規事業の立ち上げに携わっています。
技術系幹部自衛官として実績を着実に積み上げた
ーー初級幹部時代は、ほぼ教育期間だったんですね。そうした自衛隊勤務時代で印象に残っているエピソードがあれば、教えていただけますか?
秋田さん:TACへ行くコースはそうしたキャリアを歩む幹部が多数ですね。
自衛隊には20年ほどいたので、多くの思い出がありますが、とくに陸上装備研究所での技術開発の現場での経験が特に心に残っています。
我々自衛官と民間企業のメンバーがひとつの目標に向けて一致団結して取り組んだことです。
走行試験場で車体の装備品の技術試験をしていたのですが、ある時車体の後部から冷却液が噴出し、試験が中断されました。
検査等のスケジュールが厳格に決められており、試験日程の延長が出来ずかつ通常の修理では間に合うことが到底難しいことが分かりました。
このまま対応ができないと、装備品導入や戦力にも影響が出てしまいます。修理や開発自体は民間企業が対応せざるを得ないため、我々ができることは、関係各所との調整でした。
このプロジェクトは、防衛装備庁の技官、民間企業、自衛隊の3者が関わるプロジェクトだったため、その調整をし、最終的には民間企業の協力や可能な限り対応時間を増やしてもらい、何とか乗り切ることができました。そうした官民が協力して問題を解決したその時の連携は、今でも強く記憶に残っています。
3者が同じ方向を向き、プロジェクトを完遂するために全員が一丸となって取り組んだことは、チームワークの大切さを教えてくれました。とくに民間企業の皆さんは、組織として会社の文化やプロジェクトをやり切る意志が社員一人ひとりにまで浸透していたのが、非常に印象的でした。
ーー民間企業社員のプロジェクトへのコミットメントに感心されたということですね。そうした経緯も転職を考えられた背景にあるのでしょうか?
秋田さん:もともと防大を目指したのは、ゆくゆく自衛官になるにあたり、「国民の安全と安心への貢献」に強い関心があったことです。自衛隊は災害派遣や有事の際に国民を直接守ることが使命ですので、そうした国を守るという使命感で自衛官人生を全うしていました。
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