自衛隊の教育・研究畑で得た知見・経験を活用したキャリア形成(no.28)
プロフィール
平山 実さん
現職:日本ウェルネススポーツ大学 スポーツプロモーション学部 准教授 兼 日本ウェルネス保育専門学校 講師
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊2等陸佐
経歴
ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、平山さんの経歴を教えていただけますか。
平山さん:防衛大学校から陸上自衛隊へ入隊し、施設科へ配属されました。施設科の部隊で9年間勤務した後に、陸上自衛隊施設学校研究部を経て、防衛庁長官官房(当時)へ異動し、その際に研究の道にキャリアチェンジしたい気持ちから、自費で青山学院大学国際政治経済学研究科修士課程を修了しました。
その後、防衛大学校総合安全保障研究科修士課程(国際安全保障コース)を修了。防衛研究所研究部、陸上自衛隊研究本部総合研究部、防衛研究所戦史部を経て、防衛大学校で教鞭を取り、防衛大学校防衛学教育学群准教授にて2014年9月に定年退官し、企業へ再就職しました。
現在は、日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部准教授及び、日本ウェルネス保育専門学校講師をしています。
ーー自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。
平山さん:自衛隊は防衛大学校から、入隊しています。もともと理系で、大阪の薬学系大学も受かっていたんですね。ただ、ちょっと変わったところに行きたいと思っていました。
そうしたところ、当時の自衛隊の地方連絡部から紹介を受け、受験した防衛大学校に受かったため、入学しました。専攻は、応用化学科に進学しました。
ーー入学前とのギャップはありましたか?
平山さん:それはもう沢山ありました。入学前は、防衛に特化しているといえども、大学に準ずるためもっとアカデミックだろうと思っていました。
ただ、僕がいた当時は、思った以上にビシバシと新隊員教育隊のような肉体的、精神的な鍛錬があり、厳格な学生生活でしたね。
辞めたいと思ったこともありましたが、入学を決意した以上、卒業までやり切る気概で何とか乗り切りました。
僕は27期生ですが、約530人の入学者がいて、約140人が途中で退学しました。個人の向き不向きか、忍耐力の差なのか、はたまた教育の厳しさなのかは、分かりませんが、他の期の中でも退学が多い期だったようです。
ヒトの運用に関心があり、陸上自衛隊へ入隊
ーーハードですね、昔はとくにキツかったのかもしれませんね。また、陸上自衛隊に進んだ理由はなんでしょうか。
平山さん:海上自衛隊は、機械(艦艇)運用が主になり、航空自衛隊はパイロットを中心としたシステム運用になりますよね。
陸上自衛隊は、人が中心で、人の運用により任務を遂行します。人の運用に興味があったため陸上自衛隊を選びました。また、部隊が比較的都会にあったこともありますね。
ーーなるほど、施設科は希望通りの配属だったんですか?
第一志望は、高射特科を希望していました。当時、海外志向が強く、高射特科は、実射訓練にアメリカへ行くことが多いので、現地へ行く機会が多いことに魅力を感じていました。
施設科配属にはなりましたが、米軍との交流プログラムも職種を超えてありました。僕の場合は、米国海兵隊隊付訓練(カリフォルニア州キャンプペンデルトン)及び日米幹部交換プログラムで3ヶ月間キャンプ座間の司令部勤務したり、よい経験になりました。
部隊勤務の中、研究畑に行きたいと途中から考えるようになりました。そのため、キャリアチェンジを目指して、防衛庁長官官房(六本木)勤務の際に、青山学院大学で国際政治経済学研究科修士課程を修了し、アカデミア方面へ行くことにしました。
当時、勤務しながらの勉強でしたので大変でした。特に防衛庁での私の役割が、防衛庁のIT化推進がミッションでした。当時、霞が関の中央官庁がインターネット導入や1人1台体制を整備し始めた時期でもあり、防衛庁もその施策に参加することになりました。
「防衛庁中央OAネットワークシステム構想」という中央施策があり、その陸自代表メンバーで参画し、その予算要求、執行及びインフラ整備を行ないました。
そして防衛庁が六本木から市ヶ谷へ移転後、この構想が完成し、市ヶ谷地区のネットワークが繋がり、1人1台体制が実現したのでした。大事業でしたが、やり切った感がありました。
このような外部との調整等非常に忙しい業務の中で、平日夜間、土曜日に大学院へ行くことは大変でしたが、何とか修了しました。
その後は、より安全保障の専門性を高めようと、フルタイムの防衛大学校総合安全保障研究科修士課程(国際安全保障コース)を修了しました。
安全保障の専門性を活かして、防衛研究所研究部・戦史部所員、陸上自衛隊研究本部総合研究部研究員を経て、防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室准教授として、教鞭を取っています。
時代の変化を感じた防衛省勤務時代
ーー希望通りのキャリアチェンジができたわけですね。自衛隊でキャリアを考える人たちの参考にもなりそうです。自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。
平山さん:防衛庁(現防衛省)勤務ですね。当時、陸上自衛隊施設学校研究部から長官官房総務課へ異動しました。当時は、いわゆる防衛庁の中でも、制服組(自衛隊)と背広組(防衛庁キャリア組)が明確に分かれていた時期でした。
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