それが全て
「あのときこういうことがあったから、今の自分がある」という感じの言い回しは、けっこう耳にする頻度の高いフレーズである。誰かしらがうまいこといって、その背景について掘り下げたり、あるいは単に持ち上げたりしたいタイミングで使うと効果てきめんな表現だからだ。
しかし、個人的にはこのフレーズが腑にスッと落ちないことが、実はしばしばある。
というのは、このフレーズが用いられるタイミングは割と限定されている。たいていMCが成功者の過去についてインタビューして、なんか格好付くことを成功者が言わなければおさまりが悪いときに出てきがちなのだ。
「昔のある時点での契機になりそうなイベントを持ち出してきて、それを尤もらしく語ってるんやん」とそう少なくない人が気づいているけれど、そんなことを口に出すのは野暮なので言わないがちなだけなのだ。
そうなってくると、果たして人生の現状を説明できるほど意義深い過去の出来事など本当にあるのだろうか?というクエスチョンが湧いてくる。自分でうすうす勘づいておきなが書いているが、そんなものはない。
さわおさんはCome on, booty ツアー最終日MCで「俺たちは出会うべくして出会ったんだろう、それならそれ以上のことなんてねーよ!!」と言ってくれたが、残念ながら僕がいろんなバスターズの方と友達になれて、まるで魔法がかかったように美しい時間を一緒に過ごせたことには、そこにはさしたる運命のようなものはないのだろう。
しかし、本当に意義があるのは、「自分が今どうあるのか」と「どうなろうとしているか」ではないだろうか。
今、まさにこの瞬間にもピロウズのライブのチケットを取っている人もいるだろう。僕らがそうやって、バスターズであることを選んでいる営みこそ、本当は大切なことだと思う。
それぞれの一回きりの人生のいろんな人の選択が折り合わさって、こんな不思議な現在ができあがった。
現在を説明できてしまうような過去の出来事がなく、格好がつかなくて嘆きながらそんなものを血眼で探すよりも、選択の極致にある局地としての今を祝福していたい。
僕らは出会い、まだ幸運なことに終わっていない日々をイマも過ごしている。
少なくとも昔がどうこうではなくて、僕にとってはそれが全てだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?