運針(うんしん)
「あのね、運針って知ってる?」
「ええと、祖母が縫っているのを見たことはあります。こんな感じ…?」
佐古先生は、着物は兎に角まっすぐに縫うのだという。ミシンは使うのかと尋ねると、先生が仕立てる場合、絹の反物はほぼ100%手縫い、着物コート等はミシン縫いだと言われた。
その手縫いの一番の基本が「波縫い」と呼ばれる縫い方で、それを成し遂げるのが「運針」という技術になる。この運針をカナダ育ちの友人に見せた時、「西洋の縫い方だと、針を動かすのだけれど、『運針』って生地の方を動かしながら縫っていくのね。興味深いわ」と言っていた。確かにそうかもしれない。
この運針、全く想像が出来ない場合は、YouTube で運針を説明している動画があるので検索してみては如何だろうか。こちらの動画などイメージが掴みやすいかなと。
2024年(令和6年)の時点で40代以上、そして幼い頃に祖母と同居していた人は、もしかしたら家で普通にこの運針を見る機会があったかもしれない。私のように。70代以上の日本人(主に女性)は一応の基礎は知っているのでは無いだろうか。母曰く「学校で浴衣を縫うのが必須課題だった」そうなので。100歳以上の日本人(女性!)は「着物のひとつも縫えなければ嫁に行けない」という世代で、一応誰もが縫い方は知っていたそうだ。腕の良し悪しは別問題として。
男性が和裁を習得するに至った場合は、それを職業にした場合に限られるように思う。この辺に日本社会の闇を感じる。
さて話を戻すと、私が最終的に自分で縫いたいと申し出たのは絹の「紬(つむぎ)」と呼ばれる反物だった。なので運針を習得することが必須だそう。佐古先生は運針の説明を一通りしてくれた後に、私に針と糸、指貫と白い布を渡して家で練習してきてねと仰った。
私が佐古先生を最初に尋ねたのが11月末か12月上旬。先生はこれから振袖の仕立てで忙しい。そして私は年明けに西アフリカを訪ねることが決まっていたので、本格的なお稽古は、私がアフリカから帰国してからになった。
アフリカに行ったのは 2006年1月、実は飛行機内にこの運針セットを持ち込んで旅の途中に練習していた。空港とか、飛行中とか、待ち時間が長いではないですか!今みたいにスマホが普及していた時代でもないし、911テロの前で、保安検査もそこまで殺気立ってなかったんですよ。そうして生まれて初めてのアフリカ旅行から帰った私は、いそいそと先生の所に通い始めました。