大駱駝艦北米カナダツアーに同行した話②おんぶ紐で働いてたら。
1987年の春。舞踏カンパニーのお手伝いで、約ひと月ほどをアメリカ、カナダで過ごした。
ツアー名が『北米・カナダツアー』となってるが、スタートは、なぜかロサンゼルスだ。
仕事はダンサーの子供たちのシッターと、ほか裏方、制作のお手伝い、そして炊事もあった。
ダンサーや裏方さんたちのチカラの源は、やっぱり白米。大量に消費するから、現地調達などしてられないってことで、事前に炊飯器から白米、味噌、醤油など主な日本食材を現地へ送っている。
炊事関連は、女性ダンサーたちが中心となり、テキパキこなしていた。男性ダンサーは、舞台スタッフらとともに、裏方関連のチカラ仕事。
とにかくだ。
全員がほんとに、よく動く。
前回、ダンサーたちが聡明でもの静かなことに驚いたと書いたが、その次に驚いたことが、この、通常モードでの立ち働き姿だった。
女性ダンサーたちは、リハーサルに出掛ける前、米を洗い、数台の炊飯器のスイッチを入れておいてくれる。
私ともうひとりのバイトUちゃん、そして、カンパニーカメラマン兼、制作チーフMさんと、滞在先のコンドミニアムで、特大おむすびをせっせと作っては、劇場へ届けた。
本番前になると、今度は受付や物販仕事だ。
そのときは両手が忙しいので、赤ん坊は【おんぶ紐】で背負う。
これが↓昔ながらのおんぶ紐。
胸で紐がバッテンなんすよ、これ。ほんでもって、ユルユルだと、背中の赤ん坊が落ちるからね。
キツめに縛るんです。
豊満なバストじゃないから偉そうには言えないけど。
今は婆でも、そやけんども。
当時は、まだうら若き女性やのよ。笑。
「パンフレット、プリーズ!」
で、この衝撃的おんぶ紐✖️バッテン姿で、物販していたら通りかかったUCLAの先生?らしき人が、目を丸くして質問してきた。
「オー!? あなたがたはジプシーか?」
なんでやねんっ。ジャパンから来とんねんっ。
だが、子供みたい痩せた女(自分)が赤ちゃん背負て……働いている。日銭を稼ぎながら、アメリカを放浪するアジアの大家族。
そう解釈されたのかも知れない。
「ジプシーではないです。日本から来た、舞踏ダンスの公演なんです」
その頃は、まともな英語でひとこも返せず。コミュニケーションが取れないってことを悔しく思った。
アメリカやエゲレスっちゅう国は、英語ば話せんと、なーもならんきっ。
ジョン万次郎と同じ気持ちになった。(一緒にするなて? はい、すいません)
UCLA。名門州立大学でマンモス校だ。その広い敷地内にある劇場で公演は行われた。
ハリウッドに近いウエストウッドという地区にある。この辺りは、どこを切り取っても「わあアメリカ映画で観た〜」となる景色だ。
キャンパスは緑たっぷり。陽射しも西海岸らしくバカ明るく(失礼)街全体が可愛いらしかった。
こんな場所なら、きっとマンモスハッピーな大学生活が待ってそうだと夢想。毎日キャンパスを歩くうち、勘違いがとうとうマックスに。
私とUちゃんは
「私たちはUCLAの学生よ、皆さん、ハロー、よろしくね」
ごっこ遊びを始めた。
片手に特大おむすびが詰まったカゴを持ち
もう片方の手で、幼児の手をひく、おんぶ紐バッテン女がふたり。
4月の柔らかあったかい空気を胸いっぱいに吸い込んで、本日も満足げに劇場へと向かうのであった。
次の地はニューヨーク。いよいよ人生初くらいの、大、大感動をする。
つづく。
⚫︎キャプションの劇場は、ダーハムのデューク大学シアターだったと思います。おんぶ紐から赤ん坊の足がピコンと見えてます。笑。