2003年ソウル*SARS混乱跳ねるマスク
2003年5月。韓国にも忍び寄ってくるSARS。
とうとう学校からプリントが配られた。
⚫︎今学期と6月の休みに韓国から出国しないように。出国した場合は再入国後、2週間クラスに参加出来ない。
⚫︎次の開講日にはパスポート持参(出入国チェック)感染国や地域へ行った人は、今学期と次学期登録禁止。納付済み授業料は返金する。
⚫︎流行地域の出身者は新規登録をしない。
韓国政府からの要請云々ともあり強め内容だ。
だが、ジミョンちゃん(女子大生)は
「管理は無理だと思います。中国へ留学してた韓国の子がどんどん帰ってきてます。それと空港で取り調べしても、いろんな港から、みちゅにゅうこく(密入国)来ますからー」
あちゃあ〜。そう考えると日本は位置的に助かってるのかもね、なんて話をした。
翌日クラスメートが辞めた。感染した祖母と二度と会えなくなるのは嫌だと、中国へ帰ったらしい。流行してる地域だから、彼女はもうこの学校へは戻れない。やるせない話だ。
マダムが現地情報として、重病者の症状を聞いてないのにペラペラ話すからクラスもドヨーンとしてきた。【マダムのキャラはこちら↓に】
漠然とした不安に襲われるが、当面は、メロン父が送ってくれたマスクで様子見することに。
だけど、だ。
ソウルでマスク私ら親子だけかよってくらい、見かけない。反対にジロジロ見られる。
どうやら花粉症がないのもあり、マスク習慣がほとんど無いらしい。そういえば毎年酷かった症状が出てない。これは嬉しい。
そんな頃、トルコのハウちゃんと出入国管理事務所へ行った。お互いに急ぎビザの関係で。
滞在外国人が集中する場所だ。空港や港と同じ。いいえ考えたらもっと危険。狭い事務所で常に混雑しているのだから。
私はハウちゃんの分も持参して学校で渡した。マスク経験がほぼ無かったようで、少し困惑気味だったが
「そうだねオンニ(お姉さん)、イミグレーションでは用心した方が良いね」
「そうよ、でもバスではジロジロ見られるから、事務所着いたら付けようね」
そして
事務所へ到着
マスクを装着
したら
国際指名手配犯が
確保されました!
ひとりは20代、ヒジャブ🧕(肌もダメなので)長袖、ロングスカートにマスクです。
ひとりは年齢不詳😎サングラス(状態となってる調光眼鏡)おばちゃんサンバイザーにマスクです。
ドアガラスに映った自分たちに仰天した。
「ハウちゃんっ爆弾持ってないでしょうねー!!」
「オンニ〜私、逮捕されますか〜〜!?」
お腹がよじれるが、いけない。ここで、こんな格好で騒いでたらほんまに逮捕される。
気を取り直して入室。やはり誰1人マスクしてない。や、ものすごい視線だ。あきらかに皆を震駭させている。
でも予防のためよ、さ、ハウちゃん行きましょう。
立ったまま書く申請台も混んでるが、隙間を見つけて割り込む。ハウちゃんは私の斜め前、向き合う形で書類を書き始めた。
と、なんか白いモノが誰かの書類上に落ちた。見るとハウちゃんのマスクだ。
「すみませーん」
ハウちゃんが手を伸ばす。
数秒後、また白いのが横切る。
「すみません」
ハウちゃんが慌てて拾い上げたのに
また、スポンと誰かの手の上に落ちる。
ハウちゃん謝る。
スポン。謝る。
スポン。謝る。
5回続いたときだ。
「オンニ〜! タソッケ〜〜(5回)!!」
台から笑い崩れ(落ち)た。
私も限界だ。ハウちゃん! マスクは飛ばすもんじゃないのよ!(爆笑)
大笑いと暑さで窒息寸前。私たちは早々とマスクを外した。
マスクがなぜ5回も飛んだのか
ハウちゃんは、マスクゴムを🧕ヒジャブの上から耳に無理矢理、引っ掛けていたのだ。
だから、少しズレると外れる。
しかもヒジャブの生地で嵩張るからゴム紐はパンパンに伸ばされてる。元気よく飛ぶわけだ。
無意味なSARS対策だった。
反対に笑いすぎて普通の3倍ぐらい多く空気を吸い込んだではないか。ハウちゃんっ
(可愛いかったからええけどね、笑)
終わり
ソウル生活日記は続く