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真っ暗な将来に一筋の光を照らしたい

はじめましての方ははじめまして、前記事をお読みになった方はお久しぶり。私はカシロキという者である。とある北国でとある国立大学に通い、何を血迷ったか自然科学を専攻してしまっている、というのは前記事には書いたとおりである。(国立大学というのは書いていなかったかもしれない。)

今回は、順番が前後したようだが自己紹介をしようと思う。と言っても誇らしげに掲揚できるような輝かしい経歴の持ち主というわけではないし、どちらかと言えばその逆であるのだが……。

履歴

生れは東海地方で、隣県ととある山の領有権を巡って日々争いをしているような戦国の県であった。齢二つにして拠点を移し、それから大学進学までの16年をそこで過ごした。どうやら親に聞く話では一升瓶を倒して日本酒の海で泳いだことがあるらしいが、記録不足のため伝承の域を出ない。
小学校は地元の公立小学校に通ったが、気が狂った私は中学受験を経て県内の中高一貫の私立校に進学。そこで濃い6年を経て今の大学を受験・合格して今に至る、というのが簡単な履歴である。

今までの人生で一貫しているのが、「とにかく先のことを考えない」というところであった。中学受験が選択肢に入ったのは、小学校で同じ登校班であった3歳上の友人がその中学に進学したことがきっかけである――というと何の問題もないのだが、実際のところはその中学(高校)の文化祭のポスターに惹かれたからである。そしてテレビCMで某予備校を知り、「ここ行きたい」と親に言って入れてもらった。これも特に中学受験を考えてのことではなかった。

中学受験のモチベーションは例の友人が行っているからということ以外に何もなかった。なのでいざ入学してみてその友人が家庭の事情で転校を余儀なくされており、同じ中高にはいないと知った時にはそこそこショックを受けた。それよりも大きな問題は、もちろん小学校時代の友人の大半は地元の公立中学に進学しているので、彼らと疎遠になってしまうことだった。少し考えれば小学生の坊主たる私にもわかるはずなのだが(周囲には小学校時代の同級生から距離を取りたくて受験したという人も多かった)、どうやらそんなことは露知らずだったらしい。一時期は公立中学に戻ろうかとか、公立高校に編入しようかとかも考えたが、特殊な環境の中にいて友人関係が構築され、また外部高校を受験するとなると手続きが面倒であったのもあり、結局行動には移さずに内部進学(こう書くと大層高貴に聞こえるが、儀式があるわけではない)した。

高校に入ってからは進学先の大学を決めるフェーズに入る。高校1年生の頃の志望は工学系であったが、理由は車が好きだからだった。今思えばこれが人生の中の動機として一番まともだったかもしれない。高校2年生には芸術系が視野に入り始めたが、これは私が絵を描くのが好きだったからだった。映像作成にも手を出し始めたので、その分野に進むことも考えた。そして受験生本番である高校3年生になり、結局何がしたいのかわからなくなった。だがとりあえず力はつけねばならぬので適当な大学を志望校に据えて進み、最終的に志望先を決める出願のタイミングになって、「今ここで専攻学部を決めるのは難しい」と判断し、専攻決定まで1年の猶予がある某国立大学(今の在学大学である)に出願した。この時にも、「万が一に合格してしまったら故郷を遠く離れた北国に住まねばならず、帰省のためには飛行機を使わねばならない」などとは思いもよらなかった。合格して、引っ越しの準備をしながら徐々に実感を帯びてくる「私は何てことをしてしてしまったんだろう」感はどうにも拭えないものがあった。

さて、1年の専攻選択猶予期間を経て、いざ専攻学部学科を決めようとなった時、何を血迷ったか自然科学を選んでしまった。自然科学を専攻するにしても、自然科学が好きで研究したいとか未知の現象を解明したいとかいう意欲があるなら結構だと思うし、そういう人のことを血迷った人と形容するつもりは毛頭ないのだが、私の場合はその専攻を志望した理由が

他にやりたいことないし、この科目嫌いじゃないし、友人もいるからここにしようかな

であるからよくない。理系で自然科学を専攻した場合には院進がデフォルトオプションになりがちであるし、就職にしても即戦力となるスキルが身につくわけでもないことくらい、流石に大学1年生の私でもわかるはずなのだが、どうやらやはり考えていなかったらしい。特にやりたいこともないのなら工学部のような即戦力たるスキルを育むことのできるところに進むのも一つの手であったはずで、もちろん選択肢の一つとして挙げられていたのだが、棄却されていた。そして今、院進するモチベーションはないし、しかし就活にも踏み切れておらず、どっちつかずのお先真っ暗状態に陥っているわけだ。

受け身で消極的な進路選択が祟った

どうしてこうなっているか、と思えば、間違いなく先のことを考えずに行き当たりばったりで選択しているからだ。だがそれにしても、今まで積極的で能動的な進路選択をしたのが中学受験を最後にないように思える。「こっちの選択肢はめんどくさそうだな」「この選択は危険だな、怖いな」というのが主な理由づけになっているので、「結局お前は何がやりたいんだ?」と言われるとだんまり口を噤むしかない。しかしその消極的な進路選択が許されるのもせいぜい大学までで、そこから先は能動的な理由がないと恐らくやって行けないだろう。

手始めに研究室配属の問題がある。何がやりたいとかそういうトピックがないので、研究室を選べと言われても当然選ぶことなんてできない。だが、それでも自分に向いているかどうかというのはなんとなくわかるので、まずは消極的に絞っていくしかない。その結果1つに絞られればそれでもいいのだが、やはり何か能動的な理由づけが欲しい。

言語学という興味

ところで私は言語の発生に興味がある。興味の発端は創作活動で、架空の世界で架空の神話をテーマとした物語を考えていた時、その神話・その世界観を強く表現するためには、それ用の言語を1から構築するのが一番有効だという結論に至った。しかし新しい言語を1から作るのは難しい。その難しさには、もちろん現在使われている単語の種類が膨大であるとかそういうのも当然含まれるのだが、「ヒトは概念を表現するときに、どのように発音してどのように表記するのか」という問題が大きかった。適当に好きなように対応させていくこともできたが、それではリアリティに欠ける――もっともらしい根拠ともっともらしい経緯があって、やっと言語には深みが出るのではないか。そう思った時には、言語や単語の発生というところへの興味が踏み潰せないほど肥大化していた。

メインの専攻内容の課題などにも追われていたほか、言語の発生というのがあまりにも漠然としており何から手をつけたらいいのかわからず、今の今まで全く手を付けていなかった。そして先日、こう思うに至った:

文化や環境が違うところで過ごしているとはいえ、人間は皆同じ種に分類されるのだから、同じ思考基盤を保有するはずである。ではその基盤をモデル化できないだろうか。
そのモデルが実現できたなら、物理学的視点で言語の発生を時間発展として記述し、それをコンピューターに放り込んで適当な初期値を設定するだけで新たな言語が無限に作り出せたりはしないか。

これが可能か不可能かはわからないが、私が調べた限りではこういうことをやっている人は日本にはいなさそうであった。だが数多くの概念や環境、人間の思考回路が絡んだうえである1つの結論が採択される、というモデルを考えるなら、これは統計物理学という分野によく似ていると思った。幸い統計物理学を扱える研究室が存在するので、これで取り敢えず方向性が定まりつつある。

更に、言語をいうものを一切理解しないままモデル化の話をしても進まないので、言語学についてかじることにした。物理学では時間発展や状態間遷移を考えることが多い。その切り口から攻められるのは言語のどの側面か、ということを探していこうと思う。手始めに明日、大学の図書館で本を借りようと思う。

これが私の未来を照らす光となるか否かは、続報を待っていただきたい。

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