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整理されていないのが好き

私が人生で、かろうじて幾度か経験できたことの中の一つに、男女関わらず告白をされた経験が多いというものがあります。


嬉しいと思えることとして、モテたこと自体もそうですが、なにより、相手がどういう気持ちでその言葉を発しているのか、というのを冷静にみられるようになったというのが大きな収穫です。


特に、相手が焦っていればいるほど、自分が冷静になり、研ぎ澄まされて言葉を聞けるような感覚があります。


告白というのは大きく分けて2種類あります。される側からの観点で話します。


ひとつは、理路整然としているものです。おそらく、前の晩に、何を言うのかきちんと考えてきた人、それをその通り実行できる人の告白です。

最初は友達と思っていたけど、いつから好きになった。
それは、あれがきっかけだった。
それを言うべきかどうか迷って今まで来てしまった。

といったように時系列で話すことが多いです。また、さらに具体的に話せる人は

付き合ってどういう状態になりたいか。
どのようなことがしたいか。
私をどういう状態にしたいか。どうなりたいのか。

まで話してくれる人がいます。もう就活みたいな話になってきますが、ここまで話してくれると、愛を感じます。本当に自分と向き合ってからここまで来てくれたんだな、と思います。


ただ、私はもう一つのパターンの方が好きなんですね。それは、見るからに


本当は言いたくないけど、なにも変えたくないけど、もうどうしようもないところまで来てしまったから突発的な感情に任せて口走る


タイプの告白です。もう何を言っているのか全く分からないのだけれど「好き」「自分のものになってほしい」のまわりをぐるぐるぐるぐるずっと回りながら話しているようなものです。
結局いきつくところは、好き、というところだけれど、海底に行きつく時までしっかり溺れているのが見ていて爽快です。


別に自慢をしているわけではなくて、ただ、そういう告白の方がいいということです。私は、好きでもない人なのに告白の熱によって付き合ったこともあるし、逆に好きだったのに、メールで告白されたりして興ざめしてしまったことなどもあります。


どんな告白であれ、する側はもう大変な感情の海に飲まれていることは間違いないですが、やっぱり相手、される側がどういうものを好むかということをぎりぎりまで考えないといけない。


絵も同じです。私の気持ちだけをぶつけているだけではいけない。そこには絵の反応、そして、見ている人たちの反応があります。


私は一発勝負でぐちゃぐちゃの自分を見せながら、涙とよだれを垂れ流して乞うような、自分のとても好みの告白のされ方を、鑑賞者の人にも味わってほしいと思います。



いま描いている果実の盛り合わせの絵です。極力エロく、シンプルに雑多に描くのを目標としてます。

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