やさしさのリレー
コロッケは、3個くらいなきゃ足りない。ひじきの煮物も山盛りに。鯖のホイル煮も美味しそう。ポテトサラダと味噌汁もきちんと食べなきゃ。
中学1年生のスキー合宿で、私はすっかり参っていた。何せ、1日中雪山で滑らされた挙句、部屋で1時間も待機させられ、ようやく夕食なのだった。とてつもなく空腹だった。当時私は、170センチの長身で食べ盛りだった。早く胃に何か入れたい、とうずうずしていた。
だから、数々のおかずを目の前にし、しかも食べ放題だと聞いた時、私の目は爛々としていた。片っ端から食べてやる。お腹いっぱいにならないとちゃんと寝られないんだから。部活の強化合宿のときと同じく、山のように皿に盛りつけた。
名簿順で集められた10人が一つのグループになって、生活をともにする。みんなで席に着き、いただきます。
さっそく、おしゃべりが始まる。
今日のスキーの先生、かっこいい人いた?
こっちは全然!
ちょっとそれ失礼だよー
楽しい話に頷きながら、私は黙々と食べていた。どれも美味しい。コロッケは衣がサクサクだし、豚肉がたくさん入ってる。ひじきやポテサラは、いつものお母さんの味と違うけれど、そういうのは気にならない方だ。他の人の味つけはそれはそれで美味しいし、色々な味を体験したい。あとでご飯をおかわりに行くかもしれないな、そんなこと楽しみに考えながら、食べ進めた。
するとおかしなことが起きた。
始めは楽しくおしゃべりに花を咲かせていたはずの女子たちが、だんだん会話をしなくなったのだ。変だな、と気付いたのが遅すぎたかもしれない。そういうところが私らしいな、と思う。
女子たちは会話に飽きていたのだ。みんな、とっくに食べ終わっていた。他のテーブルのグループは、もう立ち上がって食器を片付け、部屋に戻ろうとしている。UNOしよー、えー、先にお風呂がいい、なんていう会話が耳元を通り抜けていく。私たちのテーブルだけが空の皿たちと、私のまだコロッケを乗せた皿で埋まっている。
しまった。私はようやく気がついた。
調子に乗ってコロッケを3個も盛るんじゃなかった。みんなが待っている。先ほどまでするすると入ったご飯が、なかなか喉を通らなくなってきた。急いで口の中に詰め込み、うっとつかえる。それを見てだれかが苦笑いした。私は、耳から頭まで、カーッと熱が上がっていくのを感じた。
すると、隣に座っていた子が、私に耳打ちした。
急がなくていいよ。食べ終わるまで、待っているから
その子は、兵藤さんといった。兵藤さんは、他のみんなに先に部屋へ戻るよう伝えた。「私、もうちょっとお代わりしたいから」と、コロッケをもう一つ皿に乗せて。
みんなは立ち上がり、皿を片付け始める。私の胸には安堵の波が広がった。同時に鼻の奥がツンとして、視界が滲んで行くので慌ててコロッケと一緒に飲み込んだ。
私は、兵藤さんがどうしてそんなに優しくしてくれるのかわからなかった。普段は話したこともない。部活も違う。どちらかといえば大人しく、自分から意見を言うタイプの子ではなかったはずだ。でもそんなことはどうでもいい。兵藤さんの言葉にすごく救われた気分だった。私は安心して、残りのコロッケとご飯を平らげ、お腹いっぱいになって部屋に戻っていった。
私はそのことを、中学の卒業式の日まで覚えていた。式が終わり、校庭で写真の撮り合いっこが始まった時、私は、兵藤さんを探した。
兵藤さんは着物を着たお母さんと一緒にいた。たくさんの女の子たちとカメラを交換して楽しそうに写真を撮っていた。兵藤さん、と声をかけると、兵藤さんは嬉しそうに振り向いた。
微熱ちゃん久しぶり。うちらもいよいよ、卒業だね。
私は急に恥ずかしくなった。今になってあんなこと、兵藤さんにとっては些細なことかもしれない。もう、忘れているかも。それでも、どうしても言わなければならないような気がした。今言わなければ、きっと、ずっと言うチャンスは訪れないだろう。
覚えてないかもしれないけど、と前置きしていった。
あの時はありがとう。なんていうか、すごく・・・
ほっとするよね!!
私より大きな声で、兵藤さんは言った。私は驚いた。兵藤さんが大きな声を出すところを私は初めて見た。
それね、パパに言ってもらった言葉なの。私、反抗期だから、パパのこと嫌いで、一緒にご飯食べたくなかったんだけど。ある時、ああやって言われて、すごく嬉しくて泣きそうになったんだ。だから、もし次に誰かが急いで食べてる時は、必ず言ってあげようと思ったの。
そうか、そういうことだったんだ。私は、兵藤さんに言った。
次、私がそういう人を見つけたら、必ずそのように声をかけるね。兵藤さんと、一生の約束をする。
兵藤さんは誇らしそうにしていた。桜の花びらが、急に吹いた春一番にのって私たちの頭上を舞っていったのを、今でもよく覚えている。
◇
その10年後、私は学寮の食堂で、どこの席に座ろうか考えていた。手には大盛りの唐揚げカレー。この歳になっても、まだよく食べていた。
その日は大学の入学式だった。この夕食は、私たち新入生がここで初めて口にする食事だ。食堂では、もう早くも友達ができた人たちと、まだ慣れず一人で席に着く人に分かれていた。私は後者だった。誰かといっしょに食べたいな、と思ったが、大人数のグループはもうすでに盛り上がっていて、その中に入っていく勇気はない。一人で食べている人は、そうしたくているのかもしれないし。迷っていた。
ふと見ると、食堂の隅に座り、ひとり静かに食べている女の子がいた。確か、同じ階の子だったと思う。皿に目を落として、周りを見ないように食べている。その子のところへ行き、言った。一緒に食べてもいいかな。
その子は、M子ちゃんといった。いろいろなことが新しくて戸惑っている様子だった。東京も初めて、女子校も、もちろん大学も、学寮も初めて。緊張してしまって、思うように食べられない、と苦笑いしていた。私だって、いろいろ初めてだったが、そのときは唐揚げカレーを食べられる喜びの方が優っていた。私は大盛りの、唐揚げが5個も乗っている自分のカレーをみせた。M子ちゃんは目を丸くしていた。
いろいろ質問したが、彼女からあまり話を引き出せなかったと思う。M子ちゃんが居心地悪そうにしていたので、私もあまりいろいろ聞かないようにし、黙って食べた。
黙ると鬼のようなスピードで食べてしまう私である。小盛りのM子ちゃんをぶち抜いて、そろそろ最後の一口かな、と言う時、私は気づいた。彼女は明らかに私にペースを合わせようとしている。でも、緊張でカレーが喉を通らない、といった様子だった。
私は、瞬時に兵藤さんのことを思い出した。どうして10年も前のことが突然、蘇ったのだろう。私はおぼろげな記憶を頼りに、言った。
急がなくていいよ。私、あなたが食べ終わるまで待っているから。
そして、兵藤さんがしたように、唐揚げをお代わりしに行った。
私が追加の唐揚げ5個を食べ終わる頃、彼女は付け合わせの福神漬けまできちんと平らげていた。最後にM子ちゃんは小さな声で、ありがとう、美味しかったね、と言った。
その4年後、大学の卒業式が近づくある日。就職活動も終わって、自由気ままな毎日を送っていた私は、大学内のコンビニで用もなくうろうろしていた。すると、
「微熱ちゃん」
と後ろから声をかけられた。一瞬誰だかわからなかった。M子ちゃんは、あの頃とは違う、もうすっかり大人びた様子になっていた。
コンビニを出て立ち話をする。東京の春一番はまだ冷たく、M子ちゃんの長い髪をなびかせる。そろそろ卒業だね、就職どうなった?なんて他愛のない話をした。じゃあね、と別れようとすると、M子ちゃんは恥ずかしそうに言った。
覚えてないかもしれないけれど、入学式の日、学寮で・・・
私は、笑って言った。
わかってる、あれ、とても嬉しいよね!!
M子ちゃんは心底驚いた顔をした。私はそれまでの話をすっかりM子ちゃんにした。M子ちゃんは言った。
すごい、これって、やさしさのリレーだよね。そうだよね、微熱ちゃん。
やさしさのリレー。
そうだね。兵藤さんのパパが始めた、優しい言葉の連鎖。
タスキは託しましたよ。と言うと、M子ちゃんは
お任せください。と言って私に敬礼する真似をした。
あれからまた10年が経った。ちょうどまた、終わりと始まりの季節だ。今もあのリレーはどこかで、誰かから誰かに伝わっているのかな。
自分の言葉がきっかけでこんなことが起こっているなんて、兵藤さんのパパは思いもしないだろうなあ
と何だかおかしくなって笑った。ちょうど外では、春一番がまだ咲きかけの桜を撫でるように通り過ぎていく。
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