写真やさんで写ルンですを現像してもらう、そんな時代を生きていた
夏休みのはじまり
夏休みはおとなになってもなんとなくある、と感じます。それは自由時間というわけではないけど、私たちの身体に幼少期からすこし刻まれた慣習体験なんだと思う。
夏休みが始まったばかりのあの高揚感。公園に行くとよくわかります。夏休みの初日、あるいはもっとすごいのはその前日の夕方。公園の盛り上がり方が違う。
いつも仲間はずれにしている友達も入れてみんなでサッカー。お菓子を持ってきた子は知らない子にまで大盤振る舞いしていたり。だから忘れ物が多いんです。次の日の朝に散歩するといたるところにボールやら脱ぎ捨てたパーカーやらタオルや水筒、スマホ、キックボード。まじでなんでもあり。みんな、もう我忘れてしまう感じで遊んで帰る。
ふと見ると忘れ物の中に使い捨てカメラがありました。
ほう、懐かしい。まだ使っている人がいるんだな。きっと子供だから、と思って持たせた人がいるんだろうと思う。
夏の写真のふしぎ
私は、夏のあいだ、特に学生が夏休みの期間を見計らって、写真をよく撮ります。それを夏休みの思い出として並べて見るのが好きです。だからカメラを見ると嬉しくなる。
小さいころ、写真は好きなようには撮れませんでした。スマホがなかったのです。うちの場合は、富士フィルムの「写ルンです」という使い捨てカメラを父に買ってもらって、兄弟でひとりひとつずつ使っていた。当時で千円ちょっとしましたから、なかなかいい価格のおもちゃ。いつもは買ってくれなくて、夏休みの間に1個だけ、自由に写真を撮っていました。
私と姉はそれこそ1日でぱしゃぱしゃ消費してしまうタイプ。弟はそのへんに放っておいて、夏休みの終わりに慌てて4枚ほど撮って現像に出すタイプでした(もったいない!)
まだ90年代とかです。写ルンですは派手にコマーシャルをしていました。滝沢くん、稲垣吾郎くん、樹木希林さん、そして私が大好きだった長瀬智也くんが夏も正月も出てきました。だから、使い捨てカメラといえば!という感じで、みんな写ルンですを使っていました。他にもあったのかな。コンビニには写ルンですしかなかった記憶です。
あのころ、町にはたくさんの写真屋さんがあって、現像のために人が並んでいるほどでした。ランニングシャツを着て、頭にタオルを巻いたおやっさんが(映画みたいだね)めんどくさそうに現像したものをお客さんに渡していたり、カメラを預かったりしていました。
今でも思い出す、不思議なことがありました。
そのおやっさんは預かった使い捨てカメラを段ボールの中にポイポイ入れていくのです。私は「誰がだれの写真だかわからなくならないのか?」と首をかしげていました。見ると、とくにメモもしている様子がないし、私たちは常連というほどその店には通っていなかったから間違えられると嫌だ、と思っていました。
父に言うと「大丈夫だよ、プロなんだから」と言って取り合ってくれません。
そして取りに行くと本当に間違いはなく、いつも私たちの撮った写真が渡されるのです。それも、私、姉、弟とそれぞれ袋に入って「はい、はい、はい」と手渡しでくれるのです。
預けた時は父が3つまとめて預けているのに、どうしてそれぞれが撮ったものが分かるのか、本当に不思議でなりませんでした。みなさんは、このトリックが分かりますか。
◇
今年の夏も、写真を撮りました。とはいえ、スマホでです。いつもはめんどくさいから、とスルーしてしまうこともせっかくだから記念に撮ろうと思う。夏は不思議です。