なまえのない仕事
例えば今日、あさから、夫と公園を散歩し、そのあとラジオ配信をした。ラジオは生放送で、noteからたくさんの人が集まってきてくれ、楽しくおしゃべりした。
そして特別な場所に行った。それは、地元の人限定で販売しているおはぎのお店だ。
このお店は、電話予約しか承らない。地元の人でなければ、すいませんがお断り、ということなのだ。理由は、地元で取れたお米で、地元のおばちゃんが一つ一つ手作りしてるおはぎを、ちゃんと地元の人に届けたい、地元の良さをわかってほしい、ということなのだ。
とても特別なおはぎだと思う。それを夫と、市内が見渡せる神社の境内にある日陰でゆっくり食べた。小川の音がするベンチで、持ってきたお茶を飲みながら食べたのだ。
昼になって、急に、餃子の王将の「スゴ辛チキン」が無性に食べたくなり夫にそれを話すと、行こうよ、ということで歩いて行ってきた。家から徒歩1時間のところ。でも、餃子、チャーハン、スゴ辛チキン、そしてエビチリに酢豚を食べることからしたら、それくらいは歩かないと、と思う。暑い中、歩いてきた。
帰ってきて冷たい水を一気飲みしてシャワーを浴びる。犬を撫でて、少し眠る。起きて、ゲオ宅配レンタルで借りる映画をいくつか決める。そして、いまこの文章を書いているところだ。
これが、今日、私がした仕事だ。
私の仕事は毎日変わる。時間も違う。
これを友達に言ったらきっと理解してくれないだろう。この人は何を言っているんだろう、という目で私をみるだろう。こんなのは仕事ではない、と口を揃えていうんだろうな。でも、noteの人はそうじゃないと思うから、ここに書いているのだ。
私は、この仕事を随分長い間、嫌い、ないがしろにしてきた。自分を楽しませるなんておぞましいとすら思っていた。そんなことはする必要はない、考えることもしてはいけない。
そしたら、自分が一つずつ順番に壊れた。
6年ほど前、この仕事をしろ、と医者に言われた。あなた、とんでもないことになりますよ。せめて、自分が何をしている時が楽しいのかくらい把握しといてくれないと。
はっきり言って、私たちにだってどうにもできません。若い医者がいった。すごく偉い医者みたいで、30代なのにたくさんの医者を率いていた。その全員の前で私と面談をした。
私には、そんなことはできません。
といい続けた。本当にそう思っていたからだ。
医者は怒っていた。あんたは、自分の仕事をないがしろにしたせいでこんな風になっちゃったんだろうが。その仕事をしないと治りませんよ、というのだ。
私はぽかんとした。楽しいこと?それで体の調子が良くなるって?楽なんてしちゃいけないんじゃないの。楽しいことをしていたらとんでもないことになるんじゃないの。しっぺ返しがくるんじゃないの。
しかし、その時から私は今の仕事を意識し続けた。そして6年目にしてようやく、なんとなくだけれど自分の仕事がぽつりぽつりと見つかるようになり、実践できるようになった。新人だった頃から、仕事を覚えた中堅社員くらいまできたのかもしれない。
私は、noteをやっている。日々のことを書いている。インスタをやっている。たまに書いたイラストを見せている。ラジオをやっている。ただ雑談を楽しんでいる。どれもフォロワーが特別多いでもなく、何か物質的なものが得られるわけでもない。でも、これが結構楽しい毎日なんです。わたしは、ずっと長い間、自分に楽しいことをしてあげるという仕事を忘れていた気がします。名前はついてないけど、それがものすごく大切な仕事なんだって、ずっと気づかなかった。
私はそして、長い間、9時から17時の仕事をしていないことをものすごく後ろめたく思ってきた。自分が働き盛りという世代であるにもかかわらず、家にいることが、家事もろくにしていないことが、書類を書くときに「無職」に丸を打つことが恥ずかしかった。自分の仕事に名前がついていないことが、社会の輪っかの中にすら入れていないような気がして、長い間、ジタバタとした。
でも、今noteを通じて、その生き方ばかりが人生ではないということを教えてもらっている。私が正規の仕事をしたい、せめてアルバイトでも、と書いた時に、数人の方がコメントを下さった。それだけが生き方じゃないよ、それだけが仕事じゃないよ。
最初は慰めだと思ってた。私ができないからしょうがなくそう言ってくれてるんだと。でもそうじゃなかったと今になって思う。
もし、このnoteを読んでいて、将来、自分がどんな仕事をしようか、と考えている方は、覚えておいてほしい。名前が付いている仕事ばかりが仕事じゃないということ。なまえのない仕事にもとても大切な役割があるということ。
生きるという仕事もある。自分を楽しませるという仕事もあったりする。それは、しなければならないことで、義務だ。それをしなかったら人は生きられなくなってしまう。路頭に迷ってしまう。私がそうだったからよくわかる。これは、しなくてはならないことなんだ。
なんだ、楽しいことをするのが義務なのか、楽な仕事だな、と思った君はすごくラッキーだ。自分が楽しめるのがなんなのか、きちんとわかっているからだ。
世の中には、楽しいことをしなさい、と精神科医に言われてもそれが一体なんなのかわからなくて、わからないんです、と泣きじゃくる人だっている。この私みたいに。もし、楽しいことと言われてピンとくるものがあるなら、それをどんどんしたらいいと思う。もし、そうしていて、心の中に「こんな楽しいことばかりしていていいのか?みんなは苦しんでいるのに、自分だけ楽しくていいのか」という声が聞こえたら、それは仕事だ、怠ってはいけないことなんだ、と言い聞かせてみるといいかもしれない。私も今、そうしながら生きているところだ。
こちらの企画に参加しました。
子供に伝える内容ではなかったかもな。どうだろう。
皆さんもよろしければ、ご自身がしている仕事について、語ってみてください。