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やっぱり、あの家に帰る

旅の帰りに思うこと。今から帰る家のこと。


あの家に帰った時、白いラブラドールが玄関で寝ていて、私を見るなり飛び上がった。8年経っても私を覚えていたということが、なんとも心救われる瞬間だった。


あの家には幅2メートルほどの石段があって、ばあちゃんはそれに文句を言い続けてきた。じいさんが見栄張ってあんなもの頼むから。娘の家族がくるからもっと広い駐車場を作りたかったのに、どかすにどかせない。もう耳タコである。


そこを登りきると、ガラガラと横に開くタイプの玄関がある。鍵が壊れているからいつ泥棒が来るかもしれない、そろそろ鍵屋を呼ばないと、というのはうちでは合言葉のようになっている。


向かって左に二階に上がる階段があって、向かって右にトイレがあり、その横に洗面台がある。その洗面台に貼られた水色のきれいなタイルは、ばあちゃんが若い頃に選んだ。家族はそこで、昭和レトロにもほどがあるような化粧鏡を覗き込んで、歯を磨いたり髭を剃ったりしている。


靴は下駄箱が小さいから一人2足しか持ってはいけなくて、洗顔はちふれで、テレビは誰も見ないのになぜか大きいのが置かれている。あの家である。



私はいま、旅に出ていて、あの家にはいない。思えば、よく旅に出ていた人生だった。家を出て上京し、そのまま帰らず、オーストラリア、シンガポール、ノルウェー、ドイツに住んだ。その間、インドやらマレーシアやらスウェーデンやら思いつくままにたびに出て、金と体力を使い果たし、死に物狂いで帰ってきた。しかしまたしばらくすると、狭いアパートが嫌になって、どこかへ旅をしたくなったものだ。


最後にいたドイツで「もういい」と思った。母さんに帰ると伝えてフライトを買い、今から5年ほど前にあの家に帰ったのである。


帰ったあの日、確か玄関に陽だまりができていたから朝に到着したはずだ。台所からボコンボコン、ボコンボコン、と音がしていてにんまりしたのを覚えている。餅つき機だ。ばあちゃんと正月に餅を炊くのに付き合ったことがあるが、あんな面倒なことは二度としたくないと思っていたので、しばらく玄関で身を潜めていた。そろそろ餅が出来てあんころをうまく包み終わったかな、というくらいに「ただいま」なんて入って行ったのである。


今回、旅に出たのはどうしてだろう。自分でもよくわからない。家族にもきちんと説明をしなかった。けれどだれも私を責めずに送り出してくれた。


動物園や植物園を巡り、手持ちの画材で絵を描いて回った。四国から関西、そして中部エリア、少しだけ関東にも足を伸ばした。アパートメントホテルで一人考えていたこと。一人分のご飯を作るのは楽だということ。その上、掃除もしなくていい。近くに大きなスーパーがあるしコンビニもある。回覧板も回ってこないし、ゴミ出しもない。近所の美化活動もない。


じゃあ、私は家に帰らなくていいのではないか。このまま、夫の脛をかじって好きなところを安く旅していればいい。それが一番いいのではないか。


そんなことを考えながら、知らない商店街を歩いていると、一軒の家があった。おばあさんがベランダから、大きなお風呂マットを取り入れていた。夕暮れ。ピンク色の、おばあさんには大きすぎるそれは、風に翻ってなんとも持ちにくそうである。


うちのばあちゃんは、お風呂マットを玄関先に干す。宅配の人が来るから、最初はなんだか恥ずかしい気持ちでいたけれど、いまはなんとも思わない。むしろ、うちの10年目にしてカビひとつないお風呂マットを拝んで行ってくれ、と言う気持ちにすらなる。


商店街には、古くからの鰻屋さんがあって、とても良い匂いを町に放っていた。三河産の鰻が蒲焼きで頂けるそうである。お腹がすいてきた。そういえば、去年の丑の日、家で中国産の鰻でう巻きを作った。ちょうど、鰻が卵焼きの真ん中に来た時には、家族も、おお、と声を上げた。美味しかった。


その隣には、おにぎり屋がある。おにぎり屋というのは、日本で最も難しい商売屋ではないかと思う。みんなそれぞれに、おにぎりの記憶があるからだ。家で母さんが握ってくれたおにぎり。うちのはいつも必ず詰まっている。母さんは腕の力を使って、ぎゅうぎゅうと押すので、一つがなかなか食べきれない。中に何かを入れても、わきからムニュリと出てきてしまうのだ。そのせいで、よそのおにぎりはなんだか物足りなさを覚える。


どこかの学生さんが買っていた。きっとこの辺りに住んでいるのだろう。


向かいには、餅屋と書かれた店がある。小さな曇りがかったディスプレイには、懐かしの味を求めてくる人が多いのだろう、もう何も残っていなかった。奥でおばあさんとその息子らしき人が二人で後片付けをしていた。ちょうど、ばあちゃんのあんころ餅を思い出していた頃だったから、なにかそれらしいものを食べたいと思っていたが。


駅の方から人が来る。家々から人が来る。惣菜を買い、ドラッグストアに自転車を止め、果物を買い、ケーキを買った。この人たちもまた、近くにある自分たちの家に帰っていくんだろう。


仕方がないので、商店街を出たところにあるコンビニで大福餅を買った。嫌に柔らかいそれは、リュックサックの中で簡単に形を変えた。


コンビニから駅に向かって歩いていると、先ほどの商店街からドヴォルザークの『遠き山に日は落ちて』が聴こえてくる。いかにも閉店前の古い商店街から流れる曲、といった感じなのに、この旋律の生まれはクラシックである。


不思議なもんだなあ


バスに乗り、これを書いている。隣の席には、この旅で描いた絵がどさりと入れられたキャンバスバッグが置かれている。それにもたれかかるようにして少し寝た。


ふと目覚めて窓の外を見ると、都会の喧騒はなく、ひたすら山の方へ、山の方へと背景が飛ばされていく。だいたい、いま何県にいるのかということが、緑のいろをみるとわかるようになったのは、長野に住んで4年目くらいからだろうか。濃さが違う、輝きが違う。長野の人はみんな言う。いま、家からどれほど離れているか、あとどれだけで家に着くのか。


緑が教えてくれる。


この冬、うちから山の方に向かって歩いていると、雪の中に狸がいた。はじめは猫かと思ったが、猫が雪に埋もれて喜んでいることも珍しいと思い、目を凝らしたらもうそこにはいなかった。餌のない厳しい長野の冬を乗り切るために、何かやることがあるんだろう。家に持ち帰る何かがあるんだろう。


どこでも住めるとしたら。きっと色々な選択肢がある。いまが大満足、と言うわけではない。それでもやっぱりすぐに帰りたくなるのは、あの家である。じいちゃんが作った大げさな石段には美しい苔が生えていて、そこを登れば曇りガラスの向こうに白い尾を振る犬の影がみえる。あの家なんだろうと思う。


こんなの、買うんじゃなかった。甘すぎるコンビニの大福をかじりながら、ただひたすら、ばあちゃんの手で握られた熱々のそれが食べたくなるのである。

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