なんだかうまくいく気がするよ
先日、北海道に移住を試みて、家を買ったけど、結局帰ってきてしまった。俗に、これを「失敗」というのかどうかわからないけど(noteの方々はそういう考え方はしないんだろうな)失敗だとしたらそこから学ぶことはたくさんあった。
それでも、やはりうまくいったのか、いかなかったのかというゼロか10かみたいな考えかたをする私からしたら、これはやっぱり「うまくいかなかった」という分類がふさわしいと思う。
そう考えてしまう自分がいやだけど、グレーゾーンがなかなか設けられない。このせいで苦しむことになるというのはいろいろな人からアドバイスされたし、自分でもそう思う。
北海道に着いたばかりのとき、いろいろと荷物を片付けて、掃除し、あいさつ回り、ニトリから無印から、ダイソーからの配送を受け取ったり業者と話しまくったりしててんてこまいだったとき。
ある方からメールが来た。私がとっても好きな方なので嬉しかった。その方はnoteで出会った人で、ずっと前に、いつでもnoteを去ることはできる、その覚悟はあるというようなことを言っていたので私はそわそわしているのだけど。
その方がこんな風にメールをくれた。
私はこのメールに、どれだけ励まされただろう。うん、私もそう思う。夫もきっとそうなると思う、とこのときは確信していた。だから、このメールでさらにそれが肯定されたと安心した。
このメールを受けてからたった5日後、私たちは新幹線を予約し、家を売りに出してすべてまとめて帰ってきてしまった。そして今、次の住処を見つけながら日々を送っている。
私は、それでもこの方の言葉や気持ちを裏切ったとか無下にしたという風には思わない。そういう風に思いたくないし、この方だって思ってほしくないと思う。この方は、そういうことを私が感じることをいつも気遣ってくれるし、そうでないことを願っているはずだ。
私は、この方の直感がとてもうれしかった。そして、その愛は場所が変わったからってなんら変わることはないと思う。
引っ越しの場所を変えたって、そんなことは関係ない。きっとうまくいくような気がしてきた。
この方が言う通り、新しい土地に馴染んで、夫も元気になるだろう。2人で暮らす時間を楽しむようになるだろう。何とか、今を持ちこたえて先に進めるように、という踏ん張りも大事だけど、慌てずに、空白のような時間を楽しむのも悪くない。そう思う。
そう思えるようになった。歳を重ねたんだし、noteで教えてもらったなって思う。
想像してもらえたことがとにかくうれしかった。
この方の家から、次の家はなかなかアクセスは悪くない。もちろんすぐそばじゃないけど、ぴゅーっと行ってしまうような電車があるのだ。私はこの方にぴゅーっと会いに行きたいし、または家に招いて、可愛い色のコーヒー缶から淹れたての微熱ブラックをふるまいたいのだ。
なにか甘いものもあるといいね。
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