出来ないことができるようになることが全てではないけれど
今日、旦那さんがプレゼントをくれました。
化粧品なんだけど、これはなんだろう・・?フェイスカラーというもので、ハイライトにもなり、まぶたや目頭につけたり、コンシーラー代わりにもなるといったもの。
顔のくすみや影をとばして、うるおいと光を集める、みたいな謳い文句だ。なるほど、こういうものがあるのだ!
夫はもちろん、化粧品に全く詳しくない。あのきらきらした化粧品売り場に入ることすら嫌がるんだけど、今日は突然、私の好きな色味なんじゃないかと言って買ってきてくれた。
見ると、なかなかいい化粧品。私が普段買わないような、いわゆるカウンセリング化粧品だ。
うちの夫はサプライズをするのもされるのもとても苦手。とにかく予想外のことに必要以上に驚いてしまい、それが例えいいことだとしてもかき乱されてしまう。うれしいけどぐったり、という感じ。冷や汗をかくらしい。
だから、私もサプライズはしないようにしていた。
出会ったばかりのころ、それを知らなくてちょっと高級な財布をプレゼントしたことがある。すごく驚かれ、ん、どうやら喜んでいないぞ、むしろ落ち込んでいるぞ、と気づいてから。あわてて返品の手続きを取って、もうやらないぞ、と決めた。
でも、今日になって突然買ってきてくれた。実際、私のとても好きな色味だった。私が身に着けるというよりは、私がよく絵を描くときに使うような大人の綺麗めなベージュ色だった。うれしくて、部屋に飾っている。たぶん使わずにしばらく飾っておくと思う。
化粧品がどうというよりもこれは記念だ。
夫がまた一歩踏み出せたことの。出来ないことができるようになることが全てではないけれど、それでもそばで見ていてうれしく思う。誰でもできること、むしろ喜ぶこと。それがサプライズのはずだった。でも、そうではない人も世の中に入るのだ、と勉強になった。
常識を覆すことの繰り返し。脳のニューロンをぶっ壊して増やす。それが勉強だと私は定義している。
ふと、夫と高松に行ってうどんを食べたことを思い出した。うどん屋さんに入ったのに、夫はうどんを頼まずにとり天丼を頼んだ。私は、せっかく香川まできてうどんを食べないなんてもったいない、と説得したけれどどうしてもとり天に惹かれたようだった。
この頑固者!といって、喧嘩っぽくなって運ばれてきたうどんを黙って食べた。まだ怒ってるの、と目の前から声がしても無視して食べた。お腹がいっぱいになったころ、夫がとり天を一切れだけ残してごちそうさまをした。
そらみろ、胃もたれして食べれなかったんでしょうが。だから、うどんにしておけばいい、といったの。そういってねちねち言うと、それは私のための一切れだという。美味しいから、私もぜひ、一口食べた方がいい、と。
うどんでお腹がいっぱいだったが、食い意地がすごい私は天ぷらも惹かれていた(隣の席の人が天ぷらうどんを食べていて、それを頼めばよかったと少し後悔していたので)。
一口食べてみる。すると、驚いた。うどんよりもずっとずっと美味しかった。次の日、同じ店に行って、二人ともとり天丼を頼んだ。お店の人に悪いから、と夫は気を遣ってうどんも追加していた。
いいじゃない、とり天だって劣らないくらい美味しいってことなんだからさ。うどんばかり食べる客なんて芸がないよ、とわけのわからない持論を展開しながらとり天をざくざく食べた。
香川はうどんが一番うまい、というニューロンが壊れ、それよりもずっとうまいものがある、という水脈が一つ出来上がった。
夫と出会ってから、困らされたことも多いけど、自分だけでは経験しなかったことも多い。このベージュもそうだ。私には全然似合わない大人の色。でも、たしかに、私のとても好きな色だ。
よくわかったね、というと照れていた。すごいじゃん、とほめた。ほめ過ぎて驚かさないように気を付ける。ちゃんとドラッグストアでポイントカードを提示したの?と聞いたら、あ、忘れた、とのこと。
せっかく高めの買い物なのに、ちゃんとしてよ!と叱っておいた。