
新年明けまして「自分」というものを知る
昨日、今年やりたいことに関する記事を書いた。
そんなことを書いておいて、よく言うなあ、と自分でも思うけれど、私は「その年に何がしたいか」と宣言することは、あまり意味がないと思っている。
大切なのはそのもっと奥にあって、何をしたいか、を考えたときに、その人の人物像が浮かび上がるその瞬間にわかる何かなのだと思う。
つまり、その人は心から何を求めているのか、それを(人のものでも自分のものでも)見られることが嬉しいし大切なんだと思う。
例えばメイクを変えたい、という方がいたとする。
その方はきっと、メイクを変えたいわけじゃない。変えてももちろんいいし、気分はよくなるだろうと思う。
でも、もっと根本的に変えたいことがあって、それを「メイク」という一つの作業に落とし込んでいるのではないか、と思う。
その裏にある本当に変えたいことを考えるのは、とても大切な気がする。そうでなければきっと、メイクを変えても満足できず、またほかのことを変えたくなるはずだから。
だから今、私はそれをやってみたいと思う。自分が願うことの奥には何があるのか。表面を「今年こそしたいな」でおおわれている、その下には何が隠れているんだろう。
例えば私は、この記事に「もう一冊、本を書きたい」と書いた。去年の8月に『本になりたがらない本』というものを作って、私の中では発行でも出版でもないことをした。それがすごく楽しくて、またやってみたいと思い温めてきた。
私が初めて「本」というものに惹かれ始めたのは、その装丁である。
残念ながら、中身ではなくて(中身はほとんど読めない。双極性のせいにするのもどうかと思うけれど、ちょうど発症と同時に本を読めなくなった。短編とかショートショートくらいなら読めるときはある。noteのように横書きならほとんど読める)。
海外でも日本でも「いいなあ!」と思える装丁はある。絵を描いている私からすると、中の文章よりそっちの方に惹かれて買って、部屋に飾っておくだけ、という、ポップアートとしての楽しみ方をしている。
でも、不思議なんだけど、自分の本を作ろうとしたときに、絶対に装丁は「しない」。しないというか、少なくともビジュアルを整えない。装丁なのかもよくわからない。絵は絶対に欲しくないし、タイトルもできれば入れたくない。普通の、どこにでもあるような材料で、絶対どこにもない本を作りたいと思う。
でも、また本屋さんにいったら「自分の本ももっとかわいくおしゃれにすればよかった!」と地団太を踏んだりする。やっぱり、表紙がかわいい本は、それだけで価値がある気がするから。
それでも、やはり作るとなるとそうはならない。これはどうしてなんだろう。
私は、本が作りたいんだろうか。本を作りたいと思い込んでいるだけで、本当は、その裏に「何かを作りたい」という大きな野望が潜んでいるんじゃないだろうか。
それが何であるのか、っていうことは今はちょっと置いておくとして、私はそれを作ってどうなりたいんだろうと思う。
有名になりたいとはおもわない。よりたくさんの人に読んでほしいとも、たくさん売って稼ぎたいとも思っていない。
じゃあ一体、なんなんだ?
「本を作りたい」の奥には、何が隠されているんだろう。
そこで、絵のことを考えてみる。
絵は色、線、形。それに埋め尽くされた平面の物体だ。つまり、飾りでおおわれている。だから一目見ればわかるし、興味がある/ないも一瞬ではっきりする。
もちろん、見るたびに印象が変わる場合もあるけど、視覚的に全体が把握できるはず。
本は逆だ。平面の物体だけど、飾りはない。見ているだけでは何も把握できず、開いてみないとわからない。時間をかけて読んでみないとわからない。途中まで読むのか、最後まで読むのかでも価値や印象が変わってくる。
絵は触ったら警察がくるけど、本は触ること前提だ。エッチな袋とじは別として、ほとんどの場合、開いて閉じて、少し確認してから買うだろう。モノとして存在することのよさ。身近で、ひとと関係が深い感じ。
お高く留まらずに、自分のそばにいてくれる感じもいい。
それが、たぶん好きなのだと思う。本というよりは本らしきものを作る時に、人がそれをどのように触るのか、触る時にどんなことを考えるのか。
それを予想しながら工夫するのが好きなのかもしれない。
なんだかドツボにはまりそうな話だなあw
でも、自分が「今年こそしたい」の裏にどんな気持ちがあるのか、それを考えてみるのもなかなか面白いかもしれないです。
私は面白いと感じるけど、人によってはあまり考えすぎないほうがいいのか。うーむ。
ちなみに、ほかの「今年やりたい」を掘り下げてみたら見えてきた私の像はこんな感じだった。
変わりたいという気持ちが強い
幼いころ、別にそのほどではなかったのに、歳を重ねるごとに「変わることはいいこと」の精神が強くなっているのはどうしてだろう。
今の自分が嫌なのではなくて、今の自分を大切にできないのが嫌だ。無理やり変わりたいのではなくて、時の流れとともにゆっくり変わりたい。でも、そのために変わろうなんてなんだか矛盾しているように聞こえるんだよなあ。
人とつながりたい・関わりたい
人とつながりたがることは、私はすごくいいことだと思う。それが長い間、できなくて避けて通ってきたわけだから、今になって人が恋しくなっているというのはすごく貴重な人生の一場面だって思う。
小さなコミュニティの中にいることも、大きな輪のなかにいることも、同時に大切だと思う。少なくとも私にとってはすごく楽しい、記帳な経験だと思っている。
なんだかだらだらと書いてしまった気もするけれど、とにかく今年も一緒に書いたり読んだり。はたまた直接お会いできるのを楽しみにしていますよ、というお話でした。