人生には、誰かに迷惑をかけてもいいときがある
大学生の時にある映画を見た。
「このドレスを着ていると、いいことがないの」
「でも、今夜はもう一度だけ、この服にチャンスをあげることにするわ」
そういってシンプルなリボンがついただけのドレスを着る。金髪の髪が揺れる。そのシーンを思い出した。
◇
北海道に引っ越しを決めたとき、持ち物をひとつずつ片付けていた。ひとつずつだから、かなり時間がかかる。でも、片付いていって、徐々にモノはなくなってきた。
リサイクルセンターへ、ご近所さんへ、母さんの会社の希望者へ、ばあちゃんの友だちへ。できるだけごみが出ないようにしたくて、紙材やパッケージなど廃品回収で集められるもの(近所の学校の備品代となる)以外はすべて人にいきわたるようにした。
私が買い集めた服も、ぼろいものは(絵を描くときのものは絵の具だらけなので)古布としてリサイクルに出したり、まだ着られるものは中古買取センターへ持って行った。
とはいえ、ハイブランドのものなんて一つもないから、値段はつかない。「お引き取りするだけならできますが」と申し訳なさそうに言われてしまうが、いいです、お願いします、ときっぱり言った。だれか、ヴィンテージが好きな人に、巡り巡ってたどり着けばいい。ヨーロッパでしか買えないめちゃくちゃいい服たちだよ、出会えたらラッキーだよ。そう思って送り出した。
すると「これなんですが、」と言われた。ジル・スチュアートのタイトスカートとブレザーの上下セットだった。身体の凹凸があらわになるような、身体に吸い付くデザインだ。「お値段がつくかもしれないのですが、担当のものが長期休暇を取っていまして。後日でよろしければ・・」という。
懐かしいな。友人の結婚式に初めて呼ばれたときに買ったものだった。2018年。岡山の子で、地元の御曹司と結婚した。今は子供を産んだのかな。名古屋経由で新幹線で行くつもりだった。タグをとって、着て、お化粧をして名古屋まで出た。新幹線のホームに着いたら思ったより人が多くいて、怖くて帰ってきたのだった。
恥ずかしくて「行けない」とどうしても言えなくて、行けないことをどうしても謝れなくて、名古屋のバスセンターで途方に暮れていた。開場の10分前に電話が来たので「ごめんごめん、○○駅(最寄り駅)に着いたよ、もうすぐ」なんて言って電話を切って、そのままバスに乗って帰ってきた。
悪いことをしたなって今でも思う。それ以来、連絡をしていない。
「いいです、無料で。処分してしまってください」
ずっとそうしたかったけど、どうしてもできなかったんだろう。そうやって、いつか匂いを放つ記憶として立ち上ってくることは知っていたけど、押し入れの奥に潰すみたいにしてしまっておいた。
不織布の虫よけの袋に包んでおいたせいか、それを見下ろして店員が言った。
「そうですか。大切なものでしょうに、よろしいのですか」
買取センターの女性は、どうしてそんなことを聞いたんだろう。あとで「やっぱり金にしたい」といいだす人がいるのか。それとも大切なものに対価がでない私を不憫と思うのか。事務処理的に話しているようにも見えたし、親切にも見えた。
(いいんです、別に大切でもないですから)と口から出そうになって、すこし戸惑った。相手も私の様子をみて、戸惑っているようだった。すると隣にいた年配の店員が、私に言った。
もしよろしければ店内をぐるっと見てきてください。そして気が変わったらお店を出るときに教えていただけますか。もし、お声をかけられなかったらそのままこちらでお預かりしてしまいます。
そして仕事へ戻っていった。私は頷いて、キャンプ用品、陶器、タオル、子供服、ブーツ、DVD、コミックエッセイと見て回った。トイレにもいった。便座に座ると目の前に、あなたの大切なものは巡り巡ってだれかの楽しみになる、といったようなことが書かれていた。
あのスーツは、大きい。170センチの私が75㎏あったときのものだ。薬の副作用で、あまり食べていないのにすごく太った。腰もお尻もパンパンで、だからこそ、タイトスカートを着たかったんだと思う。自分は若いんだからまだ大丈夫だ、お尻が大きくてもそれこそが魅力なんだ。そう思いたかった。
あの時の自分を見放してしまうような気がして、なかなか手放せなかった。
太ったからだにも合うようなスーツを懸命に選んで外に出ようとしていた自分と、怖くて結婚式に行けなかった自分。
名古屋駅でため息をついて、ベンチに座り込みどうしようもなかった自分や大切なときに友人に嘘をついた自分を。
あの新幹線のホームで、本当はきしめんを食べたかった。わかめとコーンが乗っているやつを食べようとして、お腹を空かせて行ったのだ。
この服を手放したら、このことをすべて忘れてしまうだろうか。そしていつかふと思い出したときに自分を責めるだろうか。服も、記憶もない自分を。
トイレを出た。シャンプーを見た。ベビーカーを見て、掃除機を見た。そして、ふと出口に向かって歩いた。先ほどの店員が、私をちらりと見たことは分かった。そして、納得したことも。私も納得した。
中古だから、意を決して買うような値段ではないだろう。でも、いつかどこかで、大切な日のために誰かが着てくれたらいいと思う。その時はきっと、相手との約束が守れるように。自分に胸が張れるように。あの服にもう一度、チャンスを与えてあげてほしいと思う。
そう思って、気が晴れた。そして、思い出したことがある。
あの日、私は帰りのバスの中でアイスを食べていた。友達にはとても申し訳なかったけど、うれしくもあったのだ。
「でもやっぱり、無理なら帰ってくればいい。相手に迷惑をかけてでも守らなきゃいけないものがあるなら、それは守るべきだ。」
そういって、窓の外を流れる風景を見ながら、アイスを食べていたのを思い出した。
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