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朝の失敗とダイヤモンド
トイレにはいったら、トイレットペーパーを切らしていることを思い出した。しまった。
今朝、チョコチップクッキーを焼いたら、焦がしてしまった。
そして今日はクリスマスということをすっかり忘れていた。夫に言われて気づいた。そっか!今日だったか。
朝からなかなかの失敗が続く。
でも、散歩にでかけた。毎朝、そうするように。
外に出ると雪景色。ホワイトクリスマスはほかの地域ではロマンチックなものだけれど長野では当たり前なことが多い。というよりは12月はほとんどちらちら舞っているし、後半になれば積もるのでよく見る風景である。
それでも、今朝の風景は本当に美しい。
裸の木々が、ずーっと遠くまで。果てしなく並んでいる森や山。そこに覆うように小さな雪の粒が張り付いている。遠くから見ると、輝く白い木たちが白い背景のなかに溶けているように見える。
これを見るとどんな宝石も見劣りしてしまうのではないか。
宝石なんて持っていないけどそんな風に感じてしまう。
長野のひとたちは、宝石買わないんじゃないかな。魅力を感じないかもしれない。
というのは、私にもそんな体験があったのだ。
私がかつて住んだことがあるシンガポールはダイヤモンドの国だった。どこへ行ってもダイヤモンド。東南アジア、中国や台湾、香港の金持ちたちが集まり、宝石をどっさり買っていくのだ。その周りにはシャネル、グッチなどハイブランドの店舗がずらり。
ただの観光客は入れなくて、入口のところでちょっとした審査のようなものをする。本当に買う気があるのか、どのくらい予算があるのか。私も一度、入ったことがあるから知っている。当時、一緒に住んでいた彼がテレビ局のレポーターで、仕事の下見についていったのだ。
ショウルームにサンダルとTシャツで入る私を店員は嫌そうに見た。
宝石のショウケースを覗き込むと、ガラスに息がかかる。それが嫌なようですぐに拭きに来た。私は22歳。何も気にしなかった。好きにするがいい。私の息はぴちぴちの若い息なのだよ。そう思った。
並ぶダイヤモンドを見たとき、今でも覚えている。
ああ、長野の木々の方が美しいな。雪に埋もれる電柱の方が。雪を受けて佇むキンモクセイのほうが。白い風景の遠くまで飛んで行くシロサギのほうが。
ずっとずっと、輝かしいと思った。私は「こんな物は欲しくない」と思ってしまった。今振り返って思う。どうしてそう思ったんだろう。
どうせ手に入らないと思ったから?どうせ自分には似合わないと思ったから?それとも本当にそう思ったのだろうか。いまでもわからない。
何かの番組で、容姿を気にしない一般人の女性に街で声をかけて、なんとかカラットのすごく大きいダイヤモンドを付けさせる。そのまま数か月過ごす様子をカメラが追いかけるというもの。たしかドイツで見た。
女性は、意識が変わるのかみるみる美しくなる。ダイヤがあるなら、爪をきれいにしよう。爪がきれいなら、髪も。次は、靴も。そして化粧も。どんどん変わって、最後はこんなに変わりました。そういう主旨だ。
そして最後に宝石店のコマーシャルが流れる。整形外科、サロン、ヘアケア商品、ハイブランド化粧品のコマーシャル。
おもしろかったのは、番組の最後で女性をパートナーたちに会わせることである。女性が変わる数か月の間、つまり実験中はパートナーたちは女性に会うことを禁じられていた。
数か月後、本人と分からないほど美しい姿で登場した女性を「信じられない」「本当にお前なのか」と喜びながら飛びつく男性陣を見て、うなずくスタジオ。
歓声がわきあがり、主人公の女性たちは涙していた。「もう愛してくれないと思った」「自分がこんなに変われるなんて」スタジオのMCたちの目も潤んでいる。
ただ、ひとり、たしかセルビア人の女性だったか。そのパートナーの男性だけは一人静かに、彼女のそばに駆け寄っていた。そして強く抱擁していた。
リポーターが近づいてあれこれ尋ねた。
彼女がいかに変わったか。それによって、あなたの気持ちはどれだけ強くなったか。そんな内容だったと思う。
すると、そのパートナーは答えた。
「たしかに、すごく変わったよね。でも、一番驚いたのは、たった数ヶ月会えないだけで、こんなに悲しいっていうことなんだ。彼女がいかに大きな存在だったかを思い知らされたよ。ダイヤモンドはこの石じゃない。彼女がそれだったんだ。だから、髪だの服だの、正直そんなことはどうでもいいね」
私は、あっぱれ!と日本語で叫んで拍手をした。その展開を、駅構内の電子掲示板で見ていたから、周りのドイツ人は不思議そうに私を見ていた。