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文豪たちの名文集20選
僕は読書が趣味で、本を読みながら「あ、この文は素敵だな」と思ったものをノートに書き写しています。
今回は、そのノートから特にみなさまにおすすめしたい文章を選んで引用、紹介します。
人間の生命には価値はないかもしれない。僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、しからばそれはなんであろうか?
「あんたは、生命とはなんだと思う」
「性交渉によって感染する致死性の病」
男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、おおぜいと一緒に醜態を呈しているべきだ。でなければ、この世の大事業は成せぬ。
俺たちはな、ただ名前ばかりがシャボン玉のように膨らんだ、夢幻の恋人に恋い焦がれている。さあ、受け取れ。この偽りを、真実に変えるのは君だ。俺は当てもなく、恋だ嘆きだと書き散らしたが、彷徨う鳥の留まるのを、君は見ることが出来る人だ。さあ、取り給え――実がないだけ雄弁だと、君にも分かる時が来る。
――さあ、取りたまえ!
二度と通らない、何気ない風景だけれど、この一瞬は、恐らく永遠なのだ。
大人といふものは侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。
人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。
私は自然が地上を再び征服してゆくのではないかといふ不快な疑惑を持った。だってこの春の花やかさは只事ではないのであった。菜の花の黄も、若葉のみどりも、桜の幹のみずみずしい黒さも、その梢にのしかかる鬱陶しい花の天蓋も、何か私の目には悪意を帯びた色彩のあざやかさと映った。それはいわば色彩の火事だった。
こうやって、煦々たる春日に背中をあぶって、椽側に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽である。考えれば外道に堕ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
君よ!今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り拡げて吸い込んでいる。春が来るのだ。君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし……僕はただそう心から祈る。
しかし逆に向こう側から谷間を隔ててこちらを見れば、この私だって何も思い煩うことなく、一人で悠々と日々を送っているように見えるのかもしれない。遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える。
画は、何にも教へはしない、画から何かを教はる人もない。画は見る人の前に現存してゐれば足りるのだ。美は人を沈黙させます。どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らへて来た。どの様に解釈してみても、遂に口を噤むより外ない或るものにぶつかる。これが例へば万葉の歌が、今日でも生きてゐる所以である。つまり理解に対して抵抗して来たわけだ。解られて了へばおしまひだ。解つて了ふとは、原物は不要になるといふことです。
私は蒼空を見た。蒼空は私の心に沁みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。
海を眺める時、海というもののどんなところが、まずわれわれの心をうつかと言えば、それは彼女がなんら驚くに足るべきものをもっていないことである。
私とは、何か。それは、飛躍によって、或いは、徒歩によって、自身以外のものに絶えずなりたいと志向するところの不思議な精神である。
雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へ昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。
すべてこうした日本人が戦争という現実に示した反応は、今日単に「馬鹿だった」と考えられている。しかし自分の過去を否定することほど、今日の自分を愚かにするものはない。
ふいに僕は奇妙な気分になりました。真夜中の世界に宙づりにされるような感覚に襲われたのです。そんなにも夜が深く、広く感じられたのは初めてのことでした。今こうして自分が夜をさまよっているとき、どんなに遠い街も同じ夜の闇に包まれて、膨大な数の人々がそれぞれの夢を結んでいる。この永遠の夜こそが世界の本当の姿なんじゃないだろうか。
わたしは、速く、あるいはゆっくりと進んでゆくだろう。しかしあえてなさねばならぬことは、断じてこれを行うだろう。わたしは外見をすべてぶち壊すだろう、帳は燃え落ちるだろう、そしてある夕方、わたしはそこに、あなたの掌の上に、現れるだろう。小さな硝子の彫像のように静かで純粋な姿となって、あなたはわたしを見るだろう。わたしの周囲にはもはや何ものも存在しないだろう。
だからいつも世界は
一周進みすぎている
彼が見ているつもりになっているのは
まだ始まってもいない世界
幻の時
針は文字盤の垂直に立ち
開幕のベルも聞かずに
劇は終わった
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