志村けん追悼番組
政府がコロナ対策
布マスク 1世帯 2枚(家族人数不問)
配布を決めた日に
『志村けん追悼番組』
...とんだ 2020年エイプリルフール 。
(2020年4月1日 Twitter 日本のトレンド)
プツリと音を立てて、何かが切れたような気がする。
幼い頃の私は 志村けん さん をなぜか「志村ちゃん」と呼び、「志村ちゃん!志村ちゃんが始まる!」と喜んでいた。ガチャガチャと'チャンネルを回す'と言っていた時代。
ドリフ、バカ殿、カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ、志村けんのだいじょぶだぁ~...ど真ん中世代。土曜の20時にテレビの前にいることが当たり前だった。
実は先日のトイレットペーパー騒動のときに、私は別日のブログにこう書いていた。
[いつも当たり前にあると思っていたものが〈ある日突然無くなる〉という経験はいつかまた姿カタチを変えてやってくると思う。]
まさか、それが志村ちゃんとは。
余談だが、ちょうど今日は通院日だった。
毎度、主治医と禅問答のような話をしている。この先々不安でならないという気持ちを吐露した。
主治医「政府もさすがにそこまでバカじゃないだろうから...何かするでしょ。補償がないと家にこもれないし。感染広がる。」
私「...いや、だから、バカなんですって。」
ほらみろ。 夜スマホ見れば...。
お肉券、お魚券から予想の斜めうえをいくバカだ。こんなつまらないギャグ、誰が笑うか。
日本に曲がりなりにもかろうじて存在していると信じていたかった〈民主主義〉が、崖っぷちから思いきり助走をつけて落ちたのだ。
ここ最近はコロナの話題に絞って海外メディアを漁って、みんなで生き残る為のヒントを探していた。諸外国がどれだけ国民を守るために必死な政策を繰り出してるか日々情報にふれてきたつもりなだけに、我が国への絶望感にはえもいわれぬものがある。
兵站を軽んじる伝統の御国柄、 ...人口呼吸器増産は期待できまい。
人を笑わせることができるのは、頭の良い人。人を悲しませるのは、想像力に乏しい頭の悪い人。私は常々そう思ってきた。
(Twitter上でどなたかが、コントのときにわざわざ志村さんが視聴者に見せてる〈新聞〉の文字がスゴいとアップされてたので、拝借してきました。お許しください。)
眼中にオリンピックしかない政府が国民の命を虫けらのように扱い、国民生活を疲弊させ、みんなから笑いを奪った。
この痛みを忘れまい。
〈ド、ド、ドリフの大爆笑~ YouTube〉