映画『共犯者たち』
遅ればせながら、拝見。
韓国ジャーナリズムの危機をこちらが追ったならば、日本のそれを追うものとして『i新聞記者ドキュメント』森達也監督の作品がすぐさま脳裏によぎる。
韓国の凄いところは、声を挙げる人が1人ぼっちにはならない。劇中の字幕台詞を拝借すれば、最初の1人が〈変な人〉で終わらない。メディア内外からのうねりのようなパワーで、権力の圧力を押し戻そうとする。
『i新聞記者ドキュメント』では日本の〈変な人〉として望月衣塑子 記者 シニカルにシンボリックに描かれているような気がする。責めを負うは官邸記者クラブだけではなく、沈黙する市民1人1人にもある。〈沈黙〉は〈共犯〉に値する。
面倒なことなは関わらないに越したことはないというような風潮は、同調圧力となり、声をあげる最初の1人となることを躊躇させていると思う。
もちろん、日本で抗っている記者の方々は、たくさんおいでだろう。ただし〈記者が黙った〉ときに、どれほど市民が危機感を感じて声を挙げる熱量を私達がもっているだろうか。この2作品を観て、改めて考えされられた。
奇しくも本作品のパンフレットに、森達也監督が2ページの論評をお書きになられていたのを大変興味深く拝読した。
〈国が壊れる〉かどうかの土壇場にあって、〈個〉のパワー すなわち〈i〉のパワーの連帯の仕方が問われるのだと思った。
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