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ドイツ語を学ぶ意義ーー国際語としてのドイツ語について

注意書き


「ドイツ語を学ぶ意義はどこにあるのか。」タイトルしておいてなんだが、実は私はこの問いかけを好まない。というのも、語学(に限らずあらゆる事象)を学ぶにあたって、その意義を事前に措定しておく必要はないと思うからだ。ただ楽しいから、なぜか音や文字に惹かれるから、そんな感覚的な次元にひっぱられるようにして語学を学び始めてみることに一体なにを後ろめたく思う必要があるか。もしかすると、そこに深く没入していくにしたがって、むしろ後から(nachträglich)、その惹かれていたものの正体が明らかになっていく、つまりそれを少しずつ言語化していけるようになる、そういうことも全然あり得る。あるいは早急に動機を固定化してしまうことで、自分の中に蠢いていたはずの原初的な衝動(Impuls)を殺してしまう可能性もある。だから、私は外国語学習に際して各言語を学ぶことのメリット・デメリットを並び立てて(ex.「母国語話者数」「ビジネス有用性」 etc.)、ある言語を取捨選択するよう強いるようなやり方はできるだけ避けたいと考えている。言語を学ぶという行為のもたらす豊かさは、決してそのような喧伝されている「有用性」に留まらないはずだからだ。だから各々自分が好きなものを好きなだけ学べばいいと、心から思う次第である(むろんそれが社会的に許容されているのか、という問題は残るにせよ)。

とはいえ、私自身ドイツ語を長きにわたり学び、使用し、その中に揉まれ生きた中で、「やはりドイツ語を勉強してきてよかった」と感じる場面が少なかったわけではない。その中でも今回は、特にあまり知られていない「国際語としてのドイツ語」というテーマについて自分の知識と経験をもとに自由に記述させていただけたらと思う。

ドイツ語≠「ドイツ的なもの」!?

そもそもドイツ語を学ぶ理由は、冒頭でも述べたように人それぞれ異なるはずだが、ひとまず思いつくものを挙げてみよう。「ドイツ文学に親しみたい」、「ドイツ文化をよく知るため」、「ドイツ人と会話できるようになりたい」、、、こうした理由を第一に挙げる人も少なくないのではないだろうか。かくいう私にとっても「ドイツ哲学を本場ドイツで学んでみたい」というのが、語学学習の(唯一ではないにせよ)大きな目標のひとつとしてあった。

このように、一般的にドイツ語学習は「ドイツ的なもの」とセットで考えられていることが多いと思う。「ドイツ的なもの」とは、あまりにも不明瞭な言い方かもしれないが、ここでは大まかに、「現在のドイツ連邦共和国およびオーストリア共和国(そしてスイスの一部)において支配的な文化」と定義しておこう。ドイツ語を学ぶことは、この地域に代表されている文化(学問、歴史、芸術、、、etc.)を学ぶこととかくも分かち難く結びついている、ということになる。そしてこの結びつきは、多くの人々によってなかば自明視されてきた(いる)のではないだろうか。

国際語とは

しかし、距離をとって眺めてみると、これは決して当たり前のことではない。英語を例にとってみよう。「なぜ英語を勉強するか」と聞かれて「アメリカ文化を知りたいから」、「アメリカ人と会話できるようになりたいから」、と答える人の数は(ひと昔前ならまだしも)今日ではそれほど多くないはずだ。むしろ、大多数の人々は英語を通じて「世界中の人々とコミュニケーションできるようになりたい」、あるいは「世界各国の知識や情報にアクセスしたい」と考えていると表現した方が正しいのではないだろうか。

それは英語が「国際語」として観念されているからに他ならない。国際語とは、もともと異なる言語を話すひとびとがお互いコミュニケーションできるようになるために使う言語のことだ(とここでは定義しておこう)。たとえば、日本語を母語とする者が、アラビア語を母語とする人間、中国語を母語とする人間と商談している風景をイメージしてほしい。ここでは、誰もが英語を話しているが、英語を母国語としている人は一人もいない。そして、話している人間がアメリカ文化に親しんでいるとも限らない。実際にはアメリカやイギリスに行ったことすらないという人々が大半だろう。つまりこの場合、英語はアメリカ合衆国あるいは英国といった個別具体的な国家から切り離された、独立したプラットフォームのようなものとして機能しているということになる。(いや本当に切り離されているのか、という英語帝国主義の問題については今回は立ち入らないでおこう。)

国際語としてのドイツ語

そして、実はドイツ語もこの国際語としての側面を多分にもっているのではないか、と私は考えている。あるいは、近年その傾向を強めていると言ってもいいかもしれない。

たとえば、現在私が居住しているオーストリアの首都ウィーンでは、およそ人口の34%が「外国籍」保持者であり、50%が外国にルーツをもっている(オーストリア国籍保持者も含め)とされている。(1)そして、子どもに関していえば、自宅でドイツ語以外の言語を話すこどもの数は全体の半数に及ぶというデータもある。(2)

たしかにこれは国際都市ウィーンならではの際立った特徴ではあるものの、ドイツでも現在人口のおよそ30%が外国にルーツをもつと言われている。(3)

実際に私自身もう10年近くドイツ語圏で生活してきて、ドイツ語母語話者に数で劣らないほど(あるいはそれを上回るくらい)多くの非母語話者の友人と知り合い、ドイツ語を通じて豊かな交流関係を築いてきた。

大学で中国やトルコの友人とカントについて議論し、バイト先ではチュニジア、アフガニスタン、シリアやパレスチナ出身の友人と共にビールとソーセージを売って働き、学生寮ではエジプトやモンゴルから来た友人らとともに水タバコをくゆらせ談笑する、そんな日常に特段驚きを感じることがなくなってもう久しい。「ドイツ(あるいはオーストリア)に留学してよかったことは?」と聞かれたら私は「世界中の人々と日々共に生活し働き学ぶ機会をもてたこと」と躊躇なく即答するだろう。

とりわけ中東出身の友人の多くは、ドイツ語というツールを介さずしては知り合う機会をもちえなかったかもしれない。私たちはヨーロッパ生活に際する困難な部分に関して共感する部分が多く、深い絆を築くことができたのであった。

もちろんこれは私の個人的な経験だから、過度に一般化することはできない。でも上のような統計に目をやれば、決して特異なものというわけでもあるまい。ドイツ語圏全体で移民を背景にもつ人びとのプレゼンスが高まってきていることはひとつ確認しておいていいだろう。

英語はドイツ語の代わりになるか!?

しかし、なぜ英語ではダメなのか。同じ外国人(非母語話者)同士コミュニケーションする時は、英語のほうが簡単ではないだろうか?たしかに、ドイツに住んでいてドイツ語を話さない人もたくさんいる。留学プログラムなどでやって来た多くの学生は、お互い英語で会話するということがよくあるはずだ。そして、ドイツ人の多くがいとも簡単に英語にスイッチしてくれるので、それで事足りると考えている人も多いかもしれない。

だがそれと同時に、ドイツ語は話せるが英語はあまり得意ではないという人の数も多いことを忘れてはならない。そしてそれは、いわゆる「ブルーカラー」、低賃金労働に従事している人々において特に顕著であるように思われる。というのも大企業や大学のような特殊な環境を除けば、ドイツ語能力をもたずに職業に就くことは困難だからだ。だからこっちで仕事に就こうとやって来るひとびとの多くは、ドイツ語を勉強する必要性に直面する。「いやドイツは英語でも通用する」と言えてしまうのは、事象の一側面においてのみ当てはまることだ。

その結果、多くの居住者にとっては、(たとえ英語で話すことができたとしても)外国人同士でもお互いドイツ語で会話するほうが自然になる、と私は考えている。ここでは、まさに冒頭でみたように、非ネイティブ話者同士がドイツ語を介してコミュニケートするという事態が生じているのである。お互い苦労してドイツ語を学んだということによって共感性が高まるのか、あるいは単に生活上慣れの問題なのか分からないが、多少たどたどしくてもドイツ語で会話するほうが心理的距離が縮まりやすいということがよくあるのだ。そして不思議なことに、一度ドイツ語で話し始めて英語にスイッチしたりするとどこかよそよそしく、他人めいた印象を与えてしまうこともある。

これからのドイツ語学習のあるべき姿!?


結論めいたことを言ってみよう。これからもドイツ語圏で勉強、あるいは就職するために多くの人々がヨーロッパ圏から、そして特に経済格差のため非ヨーロッパ圏からやって来ることが予想される。そして私は(一部の「保守的」ドイツ人が嘆いているような)このような状況こそが、これから先ドイツ語を学ぶことの「強み」を形成する一大要素になってくると思っている。なぜなら、それはドイツ語を通じて、ヨーロッパに留まらない多くの文化圏のひとびとと交流できるチャンスが生じつつあるということだからだ。中東や東アジア、アフリカなど多種多様な地域のひとびとと肩を並べて勉強し、働くことで、西洋で吸収しつつも西洋を相対化する視点を見失なわないでいることができるかもしれない。だからドイツ語を学ぶことは、必ずしも「ドイツ人」、「ドイツ文化」(あるいはこれらの概念を広げてもいいのだが)の理解のためだけに役立つのではなく、むしろそれが窓口となってさらなる文化への関心をも喚起させていくような、そんな(真の意味で)グローバルな方向にも役に立つかもしれない。

(この話、いずれさまざまな統計を元にもっと展開させていきたい。)


統計の参考文献
1)

2)
https://www.heute.at/s/jedes-2-volksschulkind-in-wien-spricht-daheim-nicht-deutsch-100295661 

3)
https://www.bpb.de/kurz-knapp/zahlen-und-fakten/soziale-situation-in-deutschland/61646/bevoelkerung-mit-migrationshintergrund/#:~:text=In%20Ostdeutschland%20lag%20der%20Anteil,4%20Prozent%20in%20l%C3%A4ndlichen%20Regionen.



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