新型コロナ報道でもわかる一次資料(史料)の重要性
歴史を専門的に学ぶ場合、重要なことが一次資料(史料)の重要性が言及されます。一次資料(史料)が見つからない場合は二次資料(史料)をひも解くこともありますが、基本は一次資料(史料)の確認が重要です。
これはどのような情報でも、今回の新型コロナウイルスに関する政府からの要請・補助金交付などのさまざまな情報でも同じことがいえると思います。大本である情報の発信源(情報ソース、以下ソースと記す)を確認することなく、ワイドショーなどの切れ端を確認しただけで納得するような状況です。この結果が紙製品の買い占めなどの社会問題の一端を担ったともいえます。
ここではこの一次資料(史料)・ソースの重要性について語ってみたいと思います。
一次資料(史料)とは何か
文字で記されたものは史料と呼ます。この史料には日記や古文書(手紙・申請書類)などのことをいいます。その他絵画資料であれば絵画そのものなどをいいます。
日記とは記録という側面で必ずしも本人が記したものではないものがありますが、平安時代より多くの公家・女房が日記を記しています。
『御堂関白記』は藤原道長の直筆の日記です。娘三人を中宮(帝の后)に、もう一人を親王妃にし、時の政治の中心ともいえる関白の座に君臨した人でも有名です。その道長本人が記したこの日記は人柄がよく出たものとして有名です。現存する14巻は京都の公益財団法人陽明文庫に所蔵されております。33歳から56歳までその時々の出来事が記されています。源氏物語で有名な紫式部がお仕えした彰子は道長の一人目の娘にて一条天皇の中宮です。
このような日記と一致するものではありませんがTwitterやSNSで自分の言葉で今に対しての思いを綴った発信も一次史料(文字情報ですので史料と記しておきます)です。また政治家などの記者会見を編集せずに全部流したものも一次資料(映像資料)です。
では一次資料(史料)は必ず正しい事実といえるのか。と聞かれたらNOです。
一次資料(史料)でも当然ある出来事を見た人の見方、記し方に違いがでます。客観的事実として認めて良い部分と、異なる部分を冷静に判断する必要があります。
二次資料(史料)とは何か
これに対し二次資料(史料)は、一次資料(史料)に記載されている内容を利用して、編集を施した文書のことで編纂文書と呼びます。後世の編集者や、編集を指示した人の意図が加わります。
古代の有名な編纂文書は『日本書紀』があります。『日本書紀』に続いて編纂された『続日本記』には、
養老4年5月癸酉条
先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷
と記され、先頃より天皇の命令により一品舎人親王が編纂していた『日本紀』がこの度完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上したと記されます。よって『日本書紀』には天皇に忖度した意図が加わり、内容の取捨選択がされていることがあるでしょう。
中世の有名な編纂文書といえば、吾妻鏡(東鑑とも記す)などがあります。これらも時の執政者に対する忖度かされた文書という見方ができます。
ではこれも現代に置き換えてみましょう。記者会見の内容などの一部を切り取り、発言者の意図を上手にまとめた報道や、意図がゆがめられた報道もあるでしょう。これらの編集により一次資料の意図にフィルターをかけた編集者の意図が追加されている可能性があるものが二次資料(史料)といえます。
フィルターがかかっていることを理解するためには
人はどの時代でも生きている限り、社会の中で生活します(余談に追伸しました)。生活を少しでも円滑にするため社会の空気や上司などの雰囲気で思考を変えざるを得ない(一時的な妥協も含む)ことがあります。これを社会的フィルターとここでは呼びです。
井戸端会議などにて、Aさんから「Bさんに聞いたんだけど○○だから××したほうが良いよ」と聞いた場合、Bさんが言うことなら確かだろうと信じてしまうことも多いかもしれません。でもその後Bさんに偶然出会った時に「××したほうが良いって、何で?」と直接聞くとBさんが???となり、話が変わってしまっていることもあります。今のSNSでもこれらは多くあります。Aさんは騙したつもりはありません。自分のフィルターにかかった情報を自分のフィルターに残った範囲で人に話しているんです。これはもっと多数の人が興味関心のあることであれば、さまざまな形に情報が変化していきます。
新型コロナ関連情報で、日々これが発生しています。記者会見の内容をすべて報道するテレビ局はいません。テレビやまとめ記事などで情報だけを入手している人の中には、偏った情報だけを信じてしまっている人が多数います。これらは編集者の意図が多く含まれていることを前提に読んだほうがよいでしょう。よくある例が「Aの海外メディアでは、○○と報道」のメディアを探してもそのような報道がなく、どこかで違うまとめ記事のようなもので歪められてAの海外メディアが発信したかのようになっていることもあります。
時代におけるこの社会的フィルターを想像することで、自分の目に入った情報にはどのようなフィルターがかかっているのかを想像すること。そして複数のソースを確認することが必要です。SNSでも他に類似のものがないか、この情報はいつから・誰から流れているのかを整理することである程度のソースにたどり着くことはできます。このように1つの情報に対して複数の情報を集めることでソースが偽装されていたり、フィルターにより変化した情報であると確信が持てるではないでしょうか。
間違った情報を信じ込まないために
新型コロナを封じ込めるために活動自粛が求められる中、テレビだけを見て情報を信じることは極力避けましょう。できる限りSNSなども検索による情報収集を行い、類似の複数の情報を読むようにしましょう。類似の複数の情報にて一致していること、異なっていることを確かめたり、ソースを確認したりすることで少しでも正しい情報を得るように努力することは可能です。
政府機関のウェブサイトがわかりづらいなどと敬遠せずに読むことも重要です。
基本的な知識を広げましょう。今回の新型コロナにてオイルショックの時と同じような、トイレットペーパーなどの紙製品の買い占めが行われました。これはある職員のデマが招いた結果です。そのデマがまことしやかにマスクの原材料である不織布が在庫切れを起こしているから、今後紙製品も無くなるという尾ひれがついて各地に出回った(マスコミが報道した)結果です。不織布がポリプロピレンやポリエチレンなどから作られている石油系樹脂製品であり、紙製品はパルプが作られる木製品であることを知っていれば「デマ」と一言で一蹴できたことです。
煽りの情報は避けましょう。現在七都道府県に緊急事態宣言が出されています。これらの地域の繁華街の映像を見せて「こんなに人が少なく、半減しています」と少なくなっていることが問題であるようにとらえられる報道しているニュースを見ます。
でも本来ならば8割の活動自粛をしていることが要請されている今は「8割を目指しているのに、五割しか減っておらず、こんなに人が居ます」言っても良いのに・・・と思ってしまいます。。
一度信じた情報でも、常に最新情報にリフレッシュする。これはどんな時でも盲進ではなく、常に最新研究、情報を確認することで情報更新をする意識が必要です。この最新情報に更新することを忘れなければ、一度間違った情報を信じたとしても、その情報に固執することなく正しい情報を更新すればよいでしょう。
まとめ
何事においてもソース確認が重要ですね。
https://5no-kura.com/historical-accuracy/
追伸の余談
余談ですが、一人きりで生きることは「一人で生きていられる」と強がる人の一部しか認めない行為でしょう。最低限、産まれるためには両親の存在が必要です。また死んだあと遺体を埋葬する人々との関わりがあるでしょう。誰も居ないところで突然空中から産まれ、誰にも知られずに生き、誰も居ないところで死後の骨も見つからない人は居ないといえる限り、何らかの社会の中に生きることを認める勇気が必要ですね。