若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(3)
(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)
――若い音楽家たちは、国際コンクール出場のために行った外国でかなりの期間、滞在を余儀なくされます。この間、切望、喪失感、緊張、不安、喜び、悲しみと、これに類似した数々の感情が激しく渦巻くコンテスタント集団の一員になります。
さてそれでは浜松国際コンクールのために行った日本で、この浜松に滞在した期間を通しジャン・チャクムルはどんなことを感じたのでしょうか?
「これまでに私はそれほど多くのコンクールに出場したわけではありません。ですが出場した場合、いつも一番幸せな期間というのは、コンクールのスタートから第1ステージが終わるまでの期間になります。まだ何一つ結果が発表されていないので、その数日間から私が受ける印象というのはいつもお祭りのような、友好的な雰囲気です。自分が第2ステージに進んだとしても、結果発表によってその雰囲気が壊れ、コンテスタントが ”通過者” と ”落選者” というように2つに分かれるのは、常に寂しさを覚える瞬間です。浜松国際ピアノコンクールでは第1ステージ(ここで88名が舞台に上がるため)のプログラムは20分間しかなかったので、日本出発前に第1ステージ向けに集中的に練習しました。ところが抽選の結果、最後に演奏するグループに入ったのです。あらゆる面から見て、自分が全力をかけ入念に準備をしたプログラムを携えて、そんな状況の中で舞台に上るまでに6日も待つのは辛いものですね。
コンクール全体の中で室内楽のステージはとても楽しかったです。モーツァルトのピアノ四重奏のリハーサルとあの場での演奏は素晴らしいものでした。コンクールという場面で舞台に立つのは大きなストレスですが、室内楽ではそのようなプレッシャーは少ししか感じませんでした。一緒にモーツァルトを演奏した25分間は、まるでホラー映画の途中に登場するエスプリと陽の光に満ちた1シーンのようなものでした。コンクールを通して私を一番幸福にしたものといえば、あのコンクール期間中に築いた友情です。他のコンテスタントや運営スタッフとの間に築いた友情は現在も続いています」
――コンクールという事象と音楽コンクールの現実は、クラシック音楽界では常に議論の対象となるテーマです。ベラ・バルトークが ”芸術家のためではなく馬のためのもの” とレッテル貼りした音楽コンクールは、一部の人にとっては芸術を堕落させ、純粋さと親密さを台無しにするイベントでしょう。一方、コンクールは若い芸術家のキャリアにおいて避けては通れない必要不可欠なものであり、厳しい競争を前にした若者が一歩前に抜きん出るためにはコンクールを勝ち抜かなければならない、という ”辛い現実” を反対派に突きつけようとする人もいます。
私は音楽ライターとして、音楽コンクールが今日の熾烈な環境にある若い芸術家の仕事を容易にし、名前を知らしめる一助となってきたところを長年この目で見てきました。私自身はコンクールに反対する人たちの懸念を共有する一方で、コンクールという事象の必要不可欠性を擁護する側にいます。
このような両極化を踏まえ、最初にスコットランド国際ピアノコンクール、次に浜松国際ピアノコンクールという2つの国際コンクール経験を経たジャン・チャクムルの、この音楽家にとっての「必要不可欠の事象」についての考えはどのようなものか、私には当然のごとく関心があります。
「好むと好まざるとに関わらず、近代的な意味でのコンクールは、およそ70年に亘り音楽家の生活の中に場所を占めています。コンクールのお陰で現在、それがなければ自分たちの手の届かない数の聴衆者に手が届くのです。そうでもなければ手の届きえない人々に自分たちの音楽を届けるチャンスを手に入れることができるのです。
コンクールは、自分が現在までに経験した限り、結果ではなくスタートです。このスタート地点に立つ唯一の道がコンクールだというわけではもちろんありませんが、おそらく、いくつかある道の中で最もダイレクトなものです。その一方、どんなコンクールであれ100%目標になりうるとは信じていません。審査員の音楽的嗜好と同じくらい、その瞬間のホールの雰囲気や音響条件、さらにいえば一日のうちのどの時間に当たっているかさえ、何らかの作用を及ぼしていると考えています。したがってコンクールの結果を自分たちにとって ”成功” または ”失敗” ととらえるのは、大きな損失になります。あるコンクールの優勝者が別のコンクールでは予選を通過できないとか、同じ録音がある場所では受理され、別の場所では却下されるというような事態は、いずれの音楽家の身にも降りかかることです。いったんこの道に踏み出せば、私たちはこのような状況も受け入れる必要があるのです。出た結果を、それがどんな結果であれ正しく評価すること、自分たちの成長過程のなかに正しく位置づけることで、コンクールが抱える潜在リスクを失くすことができると私は思います。
一番最後に、私たちは音楽家としてコンクールに優勝するために出場するわけではありません。陸上レースでは議論の余地なく勝者について語ることができる一方で、音楽コンクールについてはそのような定義をすることは絶対に不可能です」
――コンクールという文脈の中で関心をもたれる質問といえば、常にプログラムのことです。プログラムの選択にあたり出場者に自由はあるのか、あるいはコンクールが主にヴァーチュオシティの見せ場として、それに相応しい曲だけが流れるのを助長する場合、それはより奥行きのある曲が無視されることに繋がらないか?
ジャン・チャクムルは、浜松国際ピアノコンクールに向けてどのように準備したか、プログラムの選択はどのような尺度で行ったか、一人のコンテスタントとしてどれだけ自由でいることができたか、といった質問にこのように答えています。
「一部のコンクールでは、プログラムの選択は完全にコンテスタントに任されます。浜松でも、大部分は私たちの自由に任されていました。とはいえこの自由は、演奏したい作品は何でも自由に演奏できるという意味ではありません。一部の曲は評価するには相応しくありません。例えば、記憶に間違いなければ、リストのロ短調ソナタを演奏した多くのコンテスタントのうち、1人しか第3ステージに進めないということがありました。その一方で、多くの先生方から、あまり知られていない曲をプログラムに組み入れるのは良いアイデアではないと聞かされました。同様に、審査員の視点からは、強音で速く弾くだけではプラスの影響をもたらさないことに気付きました。ヴァーチュオシティを見せるには、実に様々な方法があるのです。ロバート・レヴィンはマスタークラスで、ホロヴィッツをホロヴィッツたらしめているのは、いかに速く印象深く弾けるかではなく、これらすべてのことを容易く軽々とこなしていることにある、と言いました。
プログラムでは常にバランスに注意する必要があります。選ぶ曲はピアニスト自身の特徴に適していなければいけませんし、各ステージで十分にバラエティを提示して見せる必要があります。また、もっとも頻繁に演奏される曲は避けるべきですが、その一方でレパートリー中の埃をかぶった片隅で眠っている曲も、舞台に登場させる場所はコンクールではないはずです。こうした条件すべてを考慮しつつ、同時に自分の個性を最も良い形で映し出すような曲を選ぶよう努めました。
プログラムに選んだ曲の大半は、過去にコンサートで演奏して良く知っている曲です。これらの曲を特にコンクールに向けて練習するのは、コンクールの3ヶ月ほど前に始めました。準備を始めた時期に、いくつかのコンサート・プログラムにシューベルトの最後のピアノソナタを加えました。実をいえば、この曲をコンクールのプログラムに入れることはまったく考えていませんでした。ですが、このいくつかのコンサート後に、この曲がコンクールの第3ステージのプログラムにはより良い選択になるのではないかと考え始めました。そして曲目変更の権利がある最終日に第3ステージのプログラムを変更したのです」
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