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ジャン・チャクムル最新インタビュー(2) 後進の育成は自分にとって最大の夢のひとつ


このファイル(インタビュー「素晴らしき若者たち」シリーズ)がカバーする範囲で出会った音楽家たちの中には、コンクールは実のところ音楽家の成長にマイナスの影響を及ぼしており、自分たちを競走馬に変えさせていると言った人たちもいました。あなたの考えもそうですか?コンクールに参加することを拒みながら、国際的な規模で名の知られた音楽家/ピアニストになることは可能でしょうか?

実際のところ、このコンクールというものの大きな危険性です。私たちは頭の中で大抵、賞を成功に、脱落を不成功にしばしば結び付けてしまいます。しかしながらこのような対比は正しくはありません。私たちが受け取る結果とステージで得る経験(プラス・マイナス両方の意味で)とをそれぞれ分けることが非常に大切だと自分は考えます。音楽家のキャリアというものは、数百年間というもの、異なる組織や個人の関心を惹くことで成り立ってきましたし、成り立ち続けています。コンクールもこのようなコネクションや認知度を手に入れるための手段以上のものではないのですから・・・。万が一、音楽をやる目的は称賛を受けることだという状態に至るならば、これは大いなる悲劇です。キャリアと芸術面での成長は、間違いなく、互いに区別する必要があると信じます。

したがって質問の答えは、ええ、コンクールがなくともキャリアを構築することはじゅうぶん可能です。これを実現している音楽家も、各世代にいるはずです。

一方、あなたもいくつかの「型」を破った音楽家です。コンセルヴァトワールで教育を受けませんでしたね。直接ドイツに大学レベルのピアノ教育を受けに行きました。この決断について少し話していただけますか?

この状況はごく自然な成り行きでした。私が音楽家になるという道に決定的に進んだのは高校に入学して最初の年で、周りの友達や高校(中東工科大学発達財団高校)の環境に非常に満足していました。加えていえば学校の授業、特に科学には大変興味を抱いていましたし、いまだに興味があります。中東工科大学高校の先生方は、コンサートやマスタークラスなどの理由で出席できなかった授業の遅れを取り戻すため、献身的に尽力してくださいました。先生方にはあらゆる面で感謝しています。

大変に重要な外国人ピアニストのマスタークラスに参加してこられましたね。これらはあなたの音楽的成長にどのような足跡を残しましたか?

マスタークラスの素晴らしさは、間違いなく、そこで過ごしたきわめて短い期間が深い影響を及ぼし得るということです。ひとりの音楽家と定期的にレッスンするのではなく、おそらく1年に1度か2度しか会わない場合、彼らの音楽的アイデアに対し少しばかり客観的にアプローチできるチャンスが生まれます。このアプローチは、場合によっては完全に理解できないままに私たちが実践している出来事の内面化に役立ちます。

レッスン生活において最も印象に残った先生はどなたですか?ご自身のピアノの弾き方について受けたアドバイスの中で最も忘れがたいものはどのようなものですか?

これまでのレッスンを通し、かなり多くのエコールや先生との間に交流を持ちましたし、持ち続けています。これは大きな収穫であると考えます。というのもこの状況は、音楽と芸術に対し多面的なアプローチを開発することを可能にするからです。それぞれのエコールの一部であるドグマを、いつ何時も、疑問を抱くことなく受け入れたくはなかったのです。

それではあなた自身は、後に続く若い世代の音楽家たちを育てるというような目標は抱いていますか?

間違いなくそうです。それは私にとって最大の夢のひとつですから。

あなたのピアノの弾き方や音楽の創り方により近いのはどのエコールですか?

現時点でそれを言うのは大変難しいです。いまだ知見を広げる過程の途中にいると言った方が正しいでしょう。ハンガリー派のコンセプトの多くには、ディアネ・アンデルセンとのレッスンを通して親しみました。その前の2年間はハンガリー派を代表する他の作曲家を知ることで過ぎていきました。現在は、マスタークラスで頻繁に遭遇するフランス派について研究しています。大変効果のあったその他の研究としては、リストとクララ・シューマンの弟子たちの録音を分析し、回想記を読むことがあります。大学での師グリゴリー・グルツマンとは、ロシアのピアノ奏法について長いあいだ取り組んでいます。しかし今のところまだ、一つのエコールを歴史的に掘り下げるような研究には着手していません。特にサンクトペテルブルグとモスクワにおける20世紀の教育に興味をもっています。一方、ピアノ以外の楽器にも真剣に注意を払っています。前世紀の重要な芸術家のうち、ジョルジェ・エネスクブロニスラフ・フーベルマンミッシャ・エルマンのようなヴァイオリニスト、セルジュ・チェリビダッケカルロス・クライバージョン・バルビローリウィレム・メンゲルベルクのような指揮者、アンナー・ビルスマのようなチェリスト、そしておそらく最も重要なのはバリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウで、彼から自分が受けた影響は絶大です。

それでは、最近あなたのレパートリーに影響を与えた作曲家、あるいはあなたが熟達したいと考える作曲家は誰ですか?

以前に端っこだけ齧ったことがある時代、20世紀初期の音楽(より具体的には民俗音楽)で当面は多忙にしています。ここ最近はエネスク、バルトーク、サイグンの各ピアノソナタ、そしてミトロプーロスの「パッサカリア、間奏曲およびフーガ」のCD録音を行っています。 このプログラムの準備にはおよそ1年かかりました。その一環としてバルカン地域とアナトリア地域の民衆音楽や、当時の国民運動に関連して文化政策についても学ぶ機会がありました。この種の民族音楽学に根差したフォルクローレ音楽と、ミトロプーロスがこのアルバムで代表するシェーンベルクブゾーニによる“絶対音楽”(absolute music)の運動との間における浸透性を仔細に分析するのは大変に興味深いです。さらには、民衆音楽がついに1930年代にはファシスト体制によって「武装化」 されたことと、この哲学に対する上述の音楽家たちの態度(バルトークの言葉を借りる必要があるなら、"民衆の友愛")は今日でもその価値と現代性を保っています。

今日まで自分のレパートリーと自分が持つ知識のベースを成してきたのは、バロック~盛期ロマン派のうち特にドイツ音楽でした。おそらくはこの時代とその内容に自分が覚えている興味は、生涯を通して続くことでしょう。ですが、少しずつフランス音楽とロシア音楽もレパートリーに加えたいと思っています。

コンサートには自分のピアノを持ち込んでいますか?どのピアノを好みますか?

これは往々にして不可能で、大抵はコンサートホールにあるピアノを使います。ですが、シゲルカワイの会社とは近い関係があり、CDのレコーディングや、ライブ録音が行われるコンサートなど選んだコンサートのためにピアノを提供してくれます。初めて日本で出会ったシゲルカワイ・ブランドを除けば、ベーゼンドルファー・インペリアルも、機会があるたびに弾くのを好む楽器です。

あなたにとって欠くことのできない作曲家は誰ですか?そしてその理由は?

その質問に答えることは、残念ながら不可能です。もし自分が、その作品が今日まで受け継がれている作曲家を好まないとすれば、この状況は、その作曲家に自分が十分に親しんでいないためでしょう。この意味で、現時点で唯一、自分が確信できることは、ミニマル・ミュージック運動にはあまりシンパシーを抱いてはこなかったということです。

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