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若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(9)

(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)

――もう一度、日本の話に戻りますが、今度は別の理由からです。日本とトルコの近代化の実践は互いによく比較されます。2国ともほぼ同年代に近代化の動きが始まったわけですから。しかしその後の時代に異なるスピードで異なる方向へと発展を続けていきました。一方、ヨーロッパのクラシック音楽もずいぶん経って、ほとんど同じ時代に2国に入っていきましたが、その発展の仕方は両国とも異なる密度で進みました。この音楽はトルコと日本の文化にどれだけ浸透したのか、あるいはこの音楽は、一部の西洋人が主張するように、常にヨーロッパの音楽であり続けるのでしょうか?

「ええ、ヨーロッパの右派は、クラシック音楽はキリスト教ヨーロッパの伝統であると主張し、この文化は自分たちのものであるとほのめかすことでしょう。しかし “西洋文化” として生まれた西洋芸術が世界中に広まった原因は、植民地化、ヨーロッパの17世紀以降に目立ち始めた強い経済と兵力にありました。芸術作品は、それを創り出した者から自由になり、証人として立ち会ってきた数百年間に、本来の意味の向こう側に突き抜け、新たな地平で意味を獲得したのです。ワーグナー作品のようにドイツ・ファシズムに重ね合わされる音楽を、いかにワーグナーが国家社会主義が台頭する70~80年前に作曲したのだとしても、もはやそこから切り離すことは不可能です。有名なノキアの着信音を本当の状態で、つまりタレガの大ワルツとして聴いた際に、誰がノキアの携帯を思い出さずにいられるでしょうか?この状態は、もちろんタレガをCMソングの作曲家扱いしないのと同様、ワーグナーをファシスト扱いするものではありませんが、音楽は、私たちが意味をそれに帰するのと同じ程度には意味を担っているのです。文化的過去なくして、単独で、どんな音楽も私たちに何も語れはしません。クラシック音楽は、もっと広範なかたちで表現しようとするならば、西洋文化や、我が国や日本やロシア、そしてさらに多くの国々にとって歴史の切り離せない一部となっています。クラシック音楽もこの文脈の中で意味を手にしているのです」

――ジャン・チャクムルを “奥深い問題” に引きずりこんだついでに、もう一つ質問をしてこのテーマを終わりにしようと思います。共和国初期にトルコの音楽(特にトルコの民衆音楽)が西洋古典音楽のモデルを用いて新たに表現しなおされた(あるいはアレンジされた)ことについて、何を考えているか聞いてみたいと思います。

「我が国の音楽が西洋古典音楽を介して作曲しなおされるプロセスにおいて、私たちは基本的な問題に直面することになります。我が国の伝統音楽の音調体系が、西洋音楽とはまったく異なるという点です。この音楽を完全に抽象化することで、西洋の言語で創り直すことは可能です。バルトークやエネスクのような作曲家は、バルカン音楽に対してこれを上手くやることに成功しました。作曲家ふたりとも、この地域の音楽を非常に上手に自分のものにし、オリジナルな言語のベースとして用いました。とはいえ彼らが創り上げた音楽は、民衆音楽に取って代わる音楽ではなく、民衆音楽とともに生きていける音楽でした。もっと言えばこれは、極度に洗練され、言葉の真の意味において”新しい”音楽でした。彼らは、クラシック音楽にそれ以前には存在しなかった音の体系、リズム、ハーモニーを、民衆音楽から見つけ出してきたのです。その目的は、伝統の保護ではなく、それに何かを足すことにありました。彼らが生きた時代は、芸術のあらゆる分野で大きな革命が起きた時代でした。ストラヴィンスキーが革命をある形で起こす一方で、シェーンベルクと新ウィーン楽派は別の形でそれを行ったのです。この間、コルンゴルトやラフマニノフのような作曲家は自分たちの過去にのめり込みましたが、一方で民衆音楽へと向かうこともまた別の形の革命でした」

「民衆音楽から栄養を吸収するか否かは、作曲家各個人が決めたことのようにみえます。独創的な音楽の創造へと真っ直ぐに伸びる唯一の道など、当たり前ですがありません。この意味で、自分のレパートリーに必ずや組み入れたいという作品は、アドナン・サイグン*のピアノソナタになります。死の床で書かれたこの作品は、バルトークのピアノソナタのような作品と共に記憶されるに値すると私は思います」

――西洋古典音楽と名づけられる種類の音楽を演奏する芸術は、録音技術の誕生と発展の結果、20世紀を通して人類にあまりに途方もない遺産を残したため、もはや過去の伝説的な解釈者たちが、カルト状態に至った自分の演奏を乗り越えることが難しくなり、道理として、現代ではもっと少ない数のレコーディングが行われなければなりません(が、当然そうはなりません)。21世紀の演奏家のひとりであるジャン・チャクムルは、この現代的なリアリティに対し何を考えているのでしょうか。そして一音楽家として後に何を残すことを考えているのでしょうか。

「何百年も前に亡くなった作曲家の作品に関連し、私たちは、自分たちの芸術が意味を見出される芸術家であるため、”後に何かを残す” という概念は、私たちの思考の大部分を否応なく占めるものです。しかしながら解釈者であるということは、作曲家であることとは異なり、”その瞬間” に依存するものだと考えています。したがって、レパートリーの中の重要な作品すべてが何百回も演奏され録音されるような21世紀においては、”解釈者” として何らかの遺産を残すことがどれだけ可能か私には分かりません。願わくば、舞台で演奏している間じゅうは、私がメッセンジャーとなっている音楽を生かし続けることができますように。それ以上の願いはありません」

※アフメッド・アドナン・サイグン(Ahmed Adnan Saygun; 1907-1991)はトルコのイズミル生まれの作曲家、音楽民族学者、音楽教育家。トルコ音楽の西洋化、近代化に大きく貢献したことで知られる。1928年から国費で3年間フランスに留学し、スコラ・カントルムでユージン・ボレル、ヴァンサン・ダンディ、ポール・ル・フレム、アメデー・ガストゥエ等に師事した。1934年にはアタテュルクの依頼でトルコ初のオペラ作品を作曲。1936年にはアナトリアの民族音楽調査のためにトルコを訪れたベラ・バルトークに同行し、共に民謡の採譜を行っている。トルコ民衆音楽の収集と採譜、土着の旋律を取り入れた独創的な作品の作曲と、自作品の指揮のほか、19歳で高校の音楽教師となって以来、生涯を通じて音楽の専門教育に従事した。その功績により、国内外で勲章や様々な賞を受与しており、1971年には「国家的音楽家」の栄誉にあずかっている。

◆バイオグラフィー
http://www.turkpopmuzik.net/ansiklopedi-237-ahmed-adnan-saygun (トルコ語)
https://www.haberler.com/ahmed-adnan-saygun/biyografisi/ (トルコ語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%B3 (Wikipedia日本語版)
◆試聴可能な作品一覧(NAXOS MUSIC LIBRARYより)
https://ml.naxos.jp/composer1/28348
◆ピアノ作品集「TROY1168」のアルバム評:
http://www.tobu-trading.com/shinpu-albany19.htm
「作風は20世紀前半の諸潮流、つまり自国の民族要素と西洋近代の語法との融合、自由な不協和音、モード、バーバリズム、複雑なリズムなどの影響を一身に受け、今聴いても新鮮で個性的な世界を確立した。ドビュッシー、バルトーク、ストラヴィンスキーとも共通する雰囲気を持つ一方、トルコ独自のリズムと旋律を取り入れた、たくましくも優美な音楽である」
◆「アクサク・リズムによる10のエチュード Op.58 第10番」(演奏:ジャン・チャクムル、スコットランド国際ピアノコンクール第1次予選)


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