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初の黒海地方訪問、夢のリゼ出張にて ー 2014年8月(1)

*Twitterのモーメントにまとめた過去ログのうち、
失いたくない旅の記録をこちらに移行させることにしました。
(2022年11月22日、Verde*Antalya
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2014年から2016年まで、製茶関係の通訳業務のため黒海地方のお茶処リゼに何度か出張しました。これはその(記念すべき?)最初の出張の記録です。日本サイドからの初めての公式訪問ということでゲストハウスでの宿泊から食事から観光から接待尽くしの、夢のような出張経験でした。
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最初から最後まで「恵まれ」「楽しい/楽しすぎる」「充実した」「神様のご褒美」
という言葉を連ねたため、苦労のない楽ちんな出張だったように読めるかもしれませんが、
100%そうとばかりは言えない、クライアント絡みの苦労も実は陰ではありました。

イスタンブル、アタテュルク空港(まだ健在でした)国際線到着出口でクライアントをお迎えし、クライアントが手配したスルタンアフメット地区のホテルで1泊、翌早朝にトラブゾンへと飛びました。

1日目。まずは朝食。

こんな朝食をご馳走になりました。
ムフラマ(トウモロコシ粉とバター、チーズを練りながら煮たもの)
場所によりクイマックとも呼ばれる、黒海地方の食卓には欠かせない料理です。

次に場所を変えてチャイ休憩。チャイクル(トルコの国営製茶企業)の研究所の横にあるチャイ・バフチェスィ(ティーガーデン)は大きな樹々と様々な品種の植物が繫る植物園となっており、見晴らしもよいため市民の憩いの場所になっています。

樹々の間からは黒海が覗けました。

その後、茶畑の見学に出掛けました。

黒海とリゼの町
虹がかかっていました。

屋外にいる間は雨にも降られず、楽しい1日目となりました。ツイートにも充実した様子が表れていますね。

2日目。まだ茶の収穫が残っている畑に収穫の様子を見学に行きました。

茶畑は勾配の急な段々畑になっているため機械化が難しく、
収穫には一般的に茶鋏が用いられています。
一帯には板張りの木造家屋が並んでいます。
茶葉の集荷場

昼食はクルファスリイェ(白いんげん豆)料理で有名なレストランでいただきました。(クルファスリイェ以外にも牛肉のカヴルマ(肉を脂だけで炒め煮したもの)や色々な皿が並んでいましたが、食事中も通訳に忙しく写真には残っていません)

クルファスリイェで有名なチャイエリ(Çayeli)にある
ラーレ・ロカンタスの牛肉入りクルファスリイェ

昼食後はチャムルヘムシン&フルトゥナ・ヴァディスィ("嵐谷")方面を案内していただきました。

ズィルカレ(Zilkale)
元々は5~6世紀に木造で建設されたものとのこと。
現在の石造りの砦は13世紀のものであり、ビザンツ時代を通して
東方からの襲撃に備えた見張り塔として、またキャラバンサライ(隊商宿)として
利用されていたらしい。
ズィルカレからの風景

フルトゥナ峡谷には石造りの古い太鼓橋がいくつも架かっています。聞いた話では、この地方だけで123もの石橋が残っているとか。

シェンユヴァ橋(17世紀末)


フルトゥナ峡谷(前夜の雨で泥水のよう)

これはとっておきの一枚。石橋の向こうからまるで誂えたかのように黒海地方の典型的な巻物をしたニネ(おばあちゃん)が登場したので、皆大喜びで一緒に写真を撮りました。

この後、チャイ休憩で立ち寄った場所にはス・デイルメニ(水車小屋)やセレンデル(黒海地方によく見られる高床式の穀物貯蔵庫)が残されていました。

セレンデルと呼ばれる、黒海地方によく見られる高床式の穀物貯蔵庫
楔石にはダビデの星が刻まれている。

このダビデの星については、Twitterのフォロアー様何名かの知見を授かりました。その節はありがとうございました!

さらにヤイラ(高原)の方まで案内していただくうちに、日が暮れてしまいます。

身体がすっかり冷えてしまったため、トルココーヒーをいただくことにしました。

炭火で淹れるトルココーヒーは格別です。

そのまま夕食のレストランに移動。ホロン(手を繋いで横になって踊る東黒海地方特有の民族舞踊)やバグパイプなどを用いたフォルクロール・ミュージックによる歓待を受け、ラズ(東黒海地方の少数民族)女性風に頭にスカーフを巻かれて写真を撮られたりと、様々なアトラクションが用意されていました。食事の写真は2枚しか残っていません。

カララハナ(ケール)の炒め物
ラズ・ボレイ(中にカスタードクリームの入ったラズ風パイ)

そして一日の終わりには、このようなツイートを…

この後、(2)に続きます。


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