若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(4)
(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)
――日本のクラシック音楽ファンは世界中のクラシック音楽に熱烈な関心を抱いており、“音楽家に抱く崇敬” という文脈のなかで他の国の人々とは大きく異なる位置を占め、音楽と音楽家に対し大きな敬意を抱いている人々として知られ賞賛を受けています。
ジャン・チャクムルも、日本と日本の人々、日本のクラシック音楽文化についてかなりの知見を得たのではないかと思いますが。
「ええ、日本は本当に、クラシック音楽に対する関心という点で世界の中でも特別な位置づけにあります。日本では人々はただコンサートを聴くというだけでは満足しないのです。コンサート前には演奏される曲目のリサーチを行い、コンサートにもかなりの頻度で楽譜を携えてやってきます。アマチュア音楽家という現象が今でも広く受け入れられているおそらく唯一の国が日本なのです。これに応じて、コンサートホールでは実に特別な雰囲気が生まれます。聴衆がコンサートに一定の期待を抱いてやってくるのです。
日本におけるコンサート経験のもっとも特殊な一面は、ホールと楽器の質です。1980年代に建設された大阪ザ・シンフォニーホールとともに始まった一種の “音響ルネッサンス” のおかげで、日本にはおそらく世界でも最高のコンサートホールがいくつも生まれました。小さな都市にまで、音響と視覚的な面で世界の大都市に引けをとらないホールがあります。
もうひとつ私が触れたい点は、コンサートホールにあるピアノの質です。これは “音響ルネッサンス” に比べればまだ最近になって進歩したもので、ヤマハとカワイが ”安価で信頼のおけるピアノを製造するブランド” というイメージを払拭しようという考えで2000年代初頭から開発の速度を上げたのです。メーカー2社はより優れたピアノを作るため互いに壮大なる競争を続けている状態で、その結果は驚くべきものです。ピアノの品質がこれほどまでに向上するに当たってもっとも重要な役割を占めているのは、議論の余地なくこれらのブランドの、妥協知らずで完璧主義の哲学をもち、やっている仕事に完全に自らを捧げているピアノ技術者の方々です」
――ジャン・チャクムルは浜松後、一瞬にして国際的なスケールで多忙なコンサート・スケジュールの中に組み込まれました。人気のあるソリストたちが乗り越えなければならない最大の問題のトップには、自分たちに向けられる強い関心を拒絶しないということに併せ、コンサートツアーのプログラムの練習、新しい曲を覚えることを決して放棄しないということもきます。ですが、これら全てを今日のような気忙しい世界でどうしたら同時にこなせるのでしょうか?ジャン・チャクムルは短期間のうちに独自の方法を開発したようです。
「一つの曲を練習することとそれをコンサートに向けて準備することは異なる2つの事柄です。現在のように頻繁にコンサートを開いていなかった頃は、こんな区別はしていませんでした。十分練習を繰り返した曲なら、自然にコンサートの準備が整うからです。ですが時間が限られていて、頻繁に舞台に上らなければならない最近では、ピアノに向かって過ごす時間をもっと違う形で計画立てているような状況です。
コンサートの最中に私が一番必要と感じるものは、身体的な信頼感です。一つの曲を演奏するときに行うすべての動きは何百回も繰り返されたものであるという自覚が、この感覚を生むのです。これを確実にするための唯一の方法は、残念ですが、コンサート・プログラムを最初から最後まで何度でも、しかもコンサートホールにいる自分を想像しながら弾くことなのです。私には、別の形ではこの信頼感を手に入れられません。といっても、この種の練習形式を、仕方ないこととはいえ容認しているわけではないのです。それは、これが一方向の練習形式だからで、音楽的能力が伸びることも、演奏テクニックが磨かれることもないからです。重点を置くべき問題はひとつ、集中力です」
「この練習には時間がかかるため、新しい作品の楽曲分析はもっと短時間で行わなければならなくなります。トライ&エラー方式がどんなに楽しくても、時間がかかりすぎるため、楽曲分析は高い頻度でピアノなしでやります。新しい曲の楽譜が手元に届いた場合に、まず問うのは”この曲のコンマとピリオドはどこだろう?”ということです。次の問いは、他の音符に比べより重要な音符はどれか、です。この基本的な構成要素を明らかにしてから後のことは、直感に任されます。本来、私たちが練習する唯一の目的は、直感を磨くことにあると思います。舞台に上がり足をクラッチペダルから離した時に、演奏が味気ないものにならないように」
「練習の際は、近いうちに演奏予定のあるプログラムだけではなく、もっと先に演奏する予定のプログラムに向けても準備する必要があります。ですがツアーの最中に、そのツアーで演奏しない曲に集中することはかなり難しいことに気づきました。というわけで、ツアーでは時間の大半が、自分自身をコンサートに向けた精神状態に置くことで過ぎていきます。
私がリラックスして演奏できるのは、これまではずっと小さいホールでした。ホールの物理的な大きさが、ピアノとの間の関係にネガティブな影響を与えてきたのです。現在、私のコンサートが開かれるホールのほとんどは1500席を超える収容能力があり、2000から2500席というホールもあります。このような状況では、コンサートホールの音響を思い描きながら練習することは大いに役に立ちます。こうすることで、舞台に立つ瞬間に前もって備えることが可能になるのです」
――ジャン・チャクムルは、まだ若い芸術家であるにもかかわらず、コンサート・プログラムの決定に関し、かなり幅広い選択の自由を手に入れていると強調しています。
「自分のプログラムを自分で組むことができるため、私はとても幸運だと感じています。マネージャーの方々はこの点で100パーセント私に自由を認めてくれます。もちろん、時にはオーガナイズ側からのリクエストがあります。例えば日本でこの夏に開いたリサイタルでは、必ずショパンの作品を入れてほしいという特別リクエストがありました。もし私の選んだ曲目が、前々から別のピアニストとの間で合意ができていた曲目だったならば、私の方がプログラムを変更する必要も時には出てきます」
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