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若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(2)

2018年の浜松国際ピアノコンクールでの優勝が、彼自身の言葉を借りれば「人生を180度転換させた」という。過去にセルゲイ・ババヤン、アレクサンダー・ガブリリュク、ラファウ・ブレハッチ、チョ・ソンジンなどを輩出した浜コンでの優勝者という名声以上に、副賞・特別賞の形で与えられた数々の機会によって、それまでほぼ無名の若き一音楽家の前に人生の新たな扉があたかも音を立てて開かれ、コンサート・ピアニストとしての一本の道がみるみる伸びていく様は、遠くから見守るだけの私のような一ファンにとってさえ十分ドラマチックな変化なのに、本人にとっては一体どれほど大きな転換点であったことだろう。

本インタビューでは、ジャン・チャクムル君に「人生を180度転換させた」と言わしめた浜松国際ピアノコンクールを巡る質問を軸に、音楽家とコンクールとの関係とは、プログラムの選択をする際に考えることは何か、初めてのCDレコーディングはどのように行われたのか、今後のキャリアをどう構築していきたいか、これまでの影響を受けた指導者や音楽家は、クラシック・コンサートの過去から現在までに至る意味合いとは、等々の広範囲にわたり、時に抽象的で答えに窮するのではないかと思われる質問が次々に登場するが、そのいずれにも彼は率直、真摯かつ慎重に答えを寄せている。(中には大変に興味深く、同時にチャクムル君の意外な面を知ることのできるような質問もあり、読み応え・読後の満足感という点からも傑出したインタビュー記事である)

皆さんにも、是非じっくりとジャン・チャクムルの音楽家としての人物像に迫っていただきたい。

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(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)

――1991年以来、3年に一度開催される浜松国際ピアノコンクールは、同じコースに入る他のコンクールに比べれば長い伝統をもつコンクールとはいえないものの、クラシック音楽にとって重要な国である日本で開催されていること、現在活躍する優秀なピアニストを何人か世界に送り出していること、1位に選ばれたコンテスタントに示される寛大な待遇などの面から、今日もっとも重要なピアノコンクールの1つとして知られています。セルゲイ・ババヤン、アレッシオ・バックス、アレクサンダー・ガブリリュク、ラファウ・ブレハッチ、チョ・ソンジンは、浜松から世に出た”有名な”ピアニスト達です。そんな訳で、浜松でジャン・チャクムルが1位になったという知らせを受けるや否や、何もかも放りだして私が”大勝利”と見なしたこの成功をぜひとも皆と共有しなければと心に決めたのです。
一方チャクムル自身は、コンクールでの優勝がキャリアに及ぼす影響についてこう考えています。

「浜松国際ピアノコンクールは、こういう言い方が相応しいなら、私の人生を180度転換させました。このコンクールの結果、 “いつかは準備が出来ていなければ”とそれまで常に自分に言い聞かせていたコンサート人生の扉が私の目の前に開けたのです。ある意味で自分は”大人の世界”に足を踏み入れたのだと感じました。自分の人生はコンクール前とコンクール後の2つに分けられたと言うことができます。コンクールに優勝することは目的と考えられがちですが、実はそうではありません。コンクールはスタートに過ぎないのです。その続きがどのような形で訪れるのかは、時が教えてくれます。大事なことは持続可能で満足のゆくキャリアを構築することなのです」

――コンクールに出場するコンテスタントは皆、当然のこととしてまずは1位を目指すものですが、浜松ほどの重要なコンクールではそれだけ競争が激しくなるため、優先すべきは優勝・入賞ではなくコンクール経験を積むことであると考えられる傾向があり、特に指導者は教え子にそう諭すことが多くなります。
ジャン・チャクムルは、浜松国際ピアノコンクールにどのような夢と目的を抱いて出場したかという私の質問に対し、それについて十分考え抜いたことを窺わせるかのようにこう答えました。

「コンクールの準備をする際、”万が一、自分が優勝することになったら?” と考えないようにするのは当然ながらとても難しいことですが、これは危険で、害を及ぼす考えだと思います。音楽家がこのような考えで舞台に立てば、パフォーマンスの全体としての自然さも感情の濃密さも失われてしまいます。こうなるとパフォーマンスは、正確に弾くこと、楽譜に書かれていることを一言一句実行するといった測定可能な尺度が提示された一種のスポーツ競技に転じてしまいます。
浜松に行くとき、コンクールは結果もその先もない単なるイベントなのだと考えるよう努めました。この面では長距離ランナーの心理と類似性があると思います。重要なのは結果ではなく、そこに至る道筋でした。特にセミファイナルが終われば、否応なくあらゆる可能性を計算に入れ始めるものです。ですが、精神的・肉体的にどれほど準備ができていたとしても、優勝は常に大きな衝撃となってのしかかります。このコンクールの優勝が自分に与えられるという事実を直視し、自分の生活と考え方を変えざるをえない現実を受け入れるのには、かなり時間がかかりました。とはいえ、すぐに頭に浮かんだ考えは、”どうして私が選ばれたんだろう?” というものでした。このことを考える際に、他の ”ライバル” 全員を打ち負かしコンクールに(太字で)自分は勝利したと思い込むような誤謬に陥るのはとても簡単です。ところが現実は、審査員が一つの賞を私に与えてくれたということ、それ以上の何ものでもなかったということでした。この種のコンクールでは、このレベルにある音楽家をそれぞれ区別するというのは、ほとんど不可能です。ですから、賞はどのコンテスタントに行くこともありえます。コンクールの結果が出た後で、自分にコンクール後の心構えができていたかどうか、自分は何を期待し何を期待していなかったのか、そして自分にとってもっとも重要な、自分が賞に値していたかどうか、というような疑問が溶けて混じり合いました。このような状況を説明するのは自分にとってとても難しいことです。賞を授かった日以来、それが同時にもたらした責任感というものを、自分自身と音楽に対する責任だけではなく、同時に賞の一部としてのコンサートやオーガナイズを行うため(別の言い方をすれば、1人の若きピアニストの人生を変えるため)に昼夜働いている方々に対する責任感を強く感じましたし、今も感じ続けています」


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